ダンケシェン

たこ焼き太郎

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第一話 はじまり

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 埼玉県某所、ここはとある地域の居酒屋だ。そしてこの若者はこの店の店長だ。26歳。3年前まで舞台役者として活動していた。結婚を機に舞台役者を辞め、アルバイトとして働いていた店に就職した。
 彼の名前は佐藤琢磨。特にパッとしない普通の居酒屋の店長だ。対して取り柄も無い。夢は3年前に諦めた。             
 彼は18歳の時に群馬から東京へ上京して来た。
なんのツテもなかったが、舞台のオーディションを片っ端から受けていった。とにかく何でもいい。芝居がしたい。自分という人間を知ってもらう為にはたくさん舞台に出て、自分の芝居を見てもらわないと、そんな事を思いながら、彼は役者活動をしていた。チケットも自分で告知して売らなくてはならない。家族や友人に毎回来てもらっていた。
 いつも、来てくれてごめんねと公演が終わったら言っていた。いつか、売れたら返してくれればいいよとみんなが言ってくれる。いつ、売れるんだろう。どうやったら売れるんだろう。そんな事を毎日考えていた。好きな事をしているのに心が苦しかった。
 孤独とプレッシャーに押し潰されそうになっても、彼は続けた。何故なら、芝居が好きだから。
 そんな生活を続けていたある日、次の作品の顔合わせがあった。そこで彼は現在の妻に出会った。一目惚れだった。そこからの結婚までの道のりは早かった。付き合って1ヶ月で婚姻届を提出した。彼は苦しい現実から逃げ出したかったかもしれない。温もりがほしかったかもしれない。理由はどうであれ、彼は好きだった芝居を辞めた。もう2度と芝居をやらないと誓った。誓ったはずだったのに…

 「ありがとうございました!またお待ちしております!」
最後のお客さんを見送り、閉め作業をはじめる。
ふと、アルバイトの女の子がこんな事を聞いてきた。
『佐藤さんも子供の頃に戻りたいって思ったことあります?』くだらない質問に少々腹が立ったが素直に答えた
「そりゃ、俺だって戻りたければ戻りたいよ。急にどうした?」
『さっき、常連さんたちの会話を聞いてて、ふと思ったんですよねぇ。私もあの時こうしてたら、こうなってたのになぁって最近、すごい思うんですよ』
バカっぽい喋り方がさらに苛立たせた。
「もう、いいから帰ろう」閉め作業を終えて俺は自転車に跨った。お疲れ様とアルバイトに言って自転車のペダルをゆっくりと踏み込んだ。
 (子供の頃は何も考えずに過ごしてたからなぁ)
さっきまであんなに鬱陶しく思っていたのにと自分にツッコミたくなる程考えてしまった。
(子供の頃に戻って一体何をやり直せばいいんだ?やっぱり勉強だよな。勉強をろくにやって来なかったからこんなに苦労しているのか?勉強出来なくても好きな事はやれてたかな?やり直すとなると小学生からかな?)とそんな事を考えてたら、我が家に着いた。
 家に着いたらまず、やる事がある。リビングに行く前に手を洗う。これをやらないと妻に怒られるからだ。
そして、手を洗い、リビングの扉を開け、ようやくただいまと言う。
 おかえり、素っ気ない返しだがいつも通りだ。
そして、今日はお金をいくら使ったかの報告をする。お金の管理は妻がしている。何故なら、自分はお金を持っていたら全部使ってしまうので、妻にお金の管理を任せている。なので、遊びに行っても必ず、レシートを持って帰り、何にお金を使ったか事細かく説明しなくてはいけない。もちろん、交通費もだ。どこから乗ってどこに降りて、帰りはこの路線を使ってと説明をする。計算が合わなかった時は説明をするのが大変だ。とても面倒なやり取りだ。
 だが、自分がやろうとしてもここまで細かくできないだろう。お金の管理は自分には向いてない。
 そして、俺は妻に何気なく聞いた。
「子供の頃に戻って人生をやり直したいと思ったことある?」
家計簿に記入している手が止まった。
「そんな事をいくら考えても無駄だから、考えたこともないな」氷のように冷たかった。結婚したらお互い変わってしまった。特に俺は前より妻に対して気遣いが出来なくなってしまった。
 それには原因がある。役者活動を辞め、今までストレスなどあまり感じていなかったのに社会人になってからストレスばかりの毎日だ。
 アルバイトの教育、お店の売上、上司の圧力。お客さんのクレーム。慣れない事ばかりでストレスを感じずにはいられなかった。だんだんと妻との会話もなくなっていった。
 そうだよね、と言い、自分の部屋に戻った。過去に戻るなんてSF映画の話だ。現実に起こるわけがない。そんな事を思いながら眠りについた。
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