地上の偉大な大天使

みや いちう

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二章

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オースティアン帝国に星のさんざめく夜がやってくる。城内ではオースティアン帝国皇帝フランツが、執務室で仕事を片付けた後、部屋を出、ある場所へ向かっていた。そこは薔薇の香る回廊を伝って奥にある、妻の寝室である。彼は頭の中でこう繰り返していた。
 (断じて夜這いなどではない! ただ美しい妻の寝顔を小一時間見つめるだけだ!)
  ガチャリ
 ドアを静かに開けると、妻は寝台で寝息をたてていた。
 (シシィ! なんという愛らしさか!!)
  その花のかんばせに手を伸ばそうとした時、
 「おっす! おらルティウス! よろしくな」
 「なっ」
  彼女の隣では少年姿の悪魔ルティウスが寝入っており、さらには訳の分からない寝言を呟く。
 (なっ何いー!! これでは夜這いも出来ないではないかー!! というかなぜこんな場所に奴が……ああ、絶望!!)
  フランツはあまりの事に引き付けを起こし、白目をむいて失神した。

  翌日、朝食の間にはフランツとシシィ、それに少年悪魔ルティウスがテーブルを囲んでいた。シシィとルティウスが仲もよさげに語り合っているのを見、フランツは歯がみする思いだった。この悪魔は先日、己が妻と仮契約を結び、彼女と本契約を結ぶまではこの城に棲みつくという。本来ならすぐさま殺してやりたいところだが、今の彼はシシィと一心同体で、彼を殺すと、シシィも失う事になってしまう。本契約を結びたい悪魔を、結局見張り続けるしかないのだ。
 (くそっこやつさえあの時倒しておけばっ)
  そうしてルティウスを憎しみのこもった目線で睨んでいると、シシィが可愛らしくそれを諌めた。
 「まあ陛下、そう睨まないでやって下さいませ。この悪魔さんは私を助けてもくれたのですから」
 「そうだよフランツ。俺があの時、仮契約して取り憑いていなかったら、今ごろシシィは棺桶の中だぜ」
 「ぐぬぬ……」
それでも眼を怒らせるフランツへ、シシィが間に割って入った。
 「陛下……それに、私、嬉しいんですの。ほら、私、まだ子どもを持てた事がないから……。ルティウスは甘え上手ですし、夜だって私の子守唄を聞かないと眠れない程ですのよ。それがなんだか私、嬉しくて……」
  はっとして、フランツは言わんとしていた言葉を失った。シシィとフランツはともに二十五才、結婚して五年が経つが、まだ子どもが出来た事はない。以前フランツの母が存命だった頃は、その事でシシィは王宮でねちねちといじめられてきた。彼女は気丈な性格で、いつもにこにこして受け流していたが、影では涙を流したとセシルから聞いている。フランツが庇った事も何度となくあったが、母やその取りまきは納得しなかった。
 (それからシシィの放浪癖は始まったのだ……それから、虐められる弱者に対するいたわりも、より見せるようになった……)
  フランツが黙りこくっているので、シシィが慌ててまた微笑む。
 「あら、陛下申し訳ありません。お気になさらないで。で、ルティウスの事ですけれど、いつもは少年の姿ですわ。大人になるとはいえ六分ですし、何も出来ませんわ」
  フランツはこれに声を荒げる。
 「甘いぞシシィ!! 男は六分もあれば!」
  げしいっ
「ぎゃふんっ」
  首にチョップをくらった皇帝は、打たれた犬のような声を出した。
 「なっ何をするのだセシル!!」
  セシルはもはやあきれ顔である。
 「皇妃様にお下品な事を仰らないで下さい。それに大丈夫です。夜は私が見張っていますから(たまに)」
 「セシル、お前って奴は……」
  フランツが感涙にむせばんとした時、ルティウスがにやりとして、
 「シシィ、キスをしてくれ」
 「あらいけないわそんな事、あ」
  ちゅ
 気づけばシシィの唇を奪っていた。深くとろけるようなキス。
 「あっいやよいやっ」
  いやがり逃げるシシィの唇を追いかけて、さも美味しそうに食む少年ルティウス。
  ぼんっ
途端に彼は世にも美しい黒髪の美青年になった。
 「ありがとう、シシィ。さて、六分で何をして遊ぼうか」
  そう言ってシシィの手の甲にキスを降らすルティウス。フランツは城全体に鳴り響く大音量で叫んだ。
 「全然防げてないじゃないかこんちくしょー!!」
 「だからたまにと申し上げたではありませんか」

 (何てこった! このままでは我が妻がっしかし仕事もほうっておく訳にはっ)
  その騒ぎが静まり、フランツが本を探しに城のライブラリへ出向くと、その無数の黄色い本棚の隙で男女の甘い声が聞こえた。
 「ねえあなたご存じ? 最近皇妃様は夜な夜な地下室に行かれるそうよ」
 「地下室? あんなところにどうして?」
 「ほらあの悪魔よ! あの男が地下室を勝手に活用して怪しげな呪術を行っているって、それを御覧に……きゃっあなたどこを触っているのっ」
 「大丈夫誰も来やしないさ」
 「そうだな来るといったら妻の不貞にも気付かない哀れな皇帝くらいだな」
  睦んでいた従官と侍女がひっと息をのむ。彼らの視界には、腕を組み、ものすごい目つきでこちらを睨んでくる皇帝しか見えない。
 「ひいいいいいいいいいいいい陛下申し訳ありません!!」
  二人が狂乱する勢いで謝ってきたのを、フランツはうろんげに一瞥し、告げた。
 「それより本当なのか、その話は」
 「ひいいいいいいいいいただの噂ではありますが、信ぴょう性は高いそうですううううう」
 「お前達息ぴったりだな。そしておびえ過ぎだ」
  はあと嘆息し、フランツはその場を急ぎ足で去った。長靴の音高く向かうのは地下室である。そこは雨漏りがして、薄暗い。
 (そういえばそうだった。夜執務の後で、僕は何度となくシシィに夜這いをかけにいったが、たまにいない日もあり疑問に思っていたのだ。セシルも役に立たんし、くそっ何でもっと早く気付けなかったんだ)
  北の階段を降りて、地下室へはすぐであった。木製のドア越しに、確かにシシィと悪魔の声がする。
 「ほれシシィ、俺の胸を触ってみろ」
 「まあ、熱い程だわっ。どうなっているの」
 「これは炎の心臓といってな、高位の悪魔しか持てない、不思議な力を宿した心臓なのさ」
 (炎の心臓? 確かに、聞いた事があるな)
  フランツが耳をそばだたせる。
 「不思議な力って、どんな力なの?」
 「くく、秘密だ」
  なんだなんだと気になって、フランツはますます戸に耳を押し付けた。
 「それよりお前、また旅に出るつもりか?誰かさんを泣かせて」
 「へっ」
  フランツは慌てて口に手をやった。誰かさんとは自分の事か! 一体シシィは何と答えるのか、はらはらどきどきであった。
 「それは、控えなくてはならないとは思うのだけど……。ただ、私が旅に出るのは個人の楽しみではなく、ハングリードへの理解を求める為、少しでもあの国に心を寄せて欲しいが為なの。武力を使ったやり方より、他のやり方も、とって頂けたら、と思って。
もしやシシィは……。フランツはいつか彼女が寝所でぽつりと漏らした言葉を思い出していた。
 (このあいだハングリードに赴いた時、泣いていましたのよ。老婆が、一人息子に先立たれたと言って……)
  それはむろん自分の弾圧に抵抗したゆえであろう。そしてそれは自分の夫によるものなのだ。
 私はハングリードが大好きだから、陛下にもついてきて頂けたら、そしてあの国の歴史や町並、誇りや民の人柄を、よさを知って頂けたら、こんなやり方は……」
  声の沈むシシィを、くくくと悪魔が笑っている。
 「それは難題だよ、シシィ」
 「どうして?」
 「全ての人間の心に、俺達はいるからさ、もちろんお前にも、フランツにもな」
 「え?」
 「なっ! どういう事だ!」
  その話にフランツが戸を開けた瞬間、ぶわっと突風が走りガラス瓶が割れた。その途端、何か光る球のようなものが部屋より飛び出した。それへ少年の姿のルティウスが叫ぶ。
 「まずいぞフランツ、シシィ! 化けフェアリーが逃げ出した!」
 「化けフェアリー?」
  シシィとフランツが口を合わせて尋ねるのに、ルティウスは頭をかきかき答える。
 「あーやばいなー。化けフェアリーは見た人間の姿にその身を変じる事が出来るんだよ」
 「ではつまり、陛下や私、ルティウスへも化けられるという事?」
 「いや、もはや城内の誰に化けてもおかしくない。生き恥をさらしたくないのなら、早く探しに行け」
 「な、何だってー!!」
  フランツとシシィ、ルティウスは階段をかけあがり、光射す城内に戻った。
 「ちっ、どこから探せばいいんだ」
 「きゃあああああああああああ」
 「絹を裂くような女の悲鳴!」
 三人が急ぎ城の一角へ走ると、そこには侍女の一人が床に臥して両手で顔を覆っていた。
 「なっ大丈夫か?」
  フランツが揺さぶり起こすと、彼女は目を覚まし、
 「ぎゃー!!変態っ」
と叫んでまた失神してしまった。
 「な、なぜ僕が変態扱いされなくてはならないんだ」
  憤るフランツへ、悪魔が冷笑を浮かべる。
 「いやー妻の写真に毎日頬ずりする男は変態だと思うぜえ?」
 「貴様なぜそれをっ。って違うよシシィ、違うからね」
  夫を困ったもんだとみたいな眼で見るシシィに、慌てて釈明するフランツ。しかし。
 「きゃー!!」
 「ぎゃー!! 助けて!!」
 「すっごいの見たっすっごいの見た!」
  という無数の声は、やむ事なく、吹き抜けになっている城内から降り注ぐ。
 「早く見つけなくてはっ」
  フランツ達が急ぎ階段をかけあがり、楕円の吹き抜けを囲む廊下へ辿りついた時、化けフェアリーがついに姿を現した。
 「きゃあああああああああ」
  シシィが悲鳴をあげる。
 「やあ諸君、元気でやっているかな?」
  化けフェアリーはにこにこして片手をあげた。その姿はフランツにそっくりで、恰好はパン一である。しかも白いブリーフである。
 「ぎゃはははは」
  ルティウスが耐えきれず笑い出した。
 「何でブリーフ一枚? ぎゃはははは」
 「ぷっおほほほほほ」
 「ちょっとごめ、つぼに入ってしまったわ。ぎゃはははは」
 「――地上の守護天使、ハブスブルグの名において、悪を滅さん! 死ねっ」
  ぼんっ
 フランツが鬼のような形相で呪文を唱え、小瓶を投げつける。しかしフェアリーフランツ(パン一)は、さすが妖精、すうと影のように薄くなり、あっという間に見えなくなった。
 「くっ! 逃がしたかっ!」
  いきり立つフランツの背後で、くくくほほほと笑いの止まらない二人組。
 「貴様らー!!!」
  フランツがしゃーっと噛みつき、二人は毅然とした美男美女の威儀を取り戻した。
  それからも城内を駆け巡るが、毎度うまい事逃げられてしまって、なかなかフェアリーはつかまえられない。それどころか侍女には
「きゃー痴漢!!」
  と罵られ、従官には
「皇帝陛下はお疲れのご様子だ」
  と哀れみの目を向けられる。たまらなくなったフランツは、
 「……悪魔よ。何か奴をとっつかまえるコツはないのか」
  ついにルティウスに尋ねた。
 「うーん、そうだ。あいつは確かこんな性質があって」
 「ふむふむ」
  フランツはここは悪魔の策にのる事にした。

  その夜、フランツはフェアリーの事など忘れたかのように、執務室で書類に目を通していた。そんな彼へ、そっと近づく影がある。
 「……シシィ」
  影は、ネグリジェをしどけなく纏った、美しい妻のものであった。
 「どうしたんだ。こんなところにそんな恰好で。フェアリーはつかまえられたのか?」
  シシィは妖しいまでの微笑を浮かべ、頷いた。
 「ええ陛下。フェアリーは無事つかまえて、今は地下室に。ですからご安心くださいませ」
  そう言いながら、シシィは執務室のデスクにのぼり、椅子に腰かけるフランツの胸へすがる。
 「シシィ」
 「ああ、愛していますわ陛下。こんな美しい方を夫に出来た私はなんて幸運なんでしょう」
  シシィの白魚のような指がフランツの胸を這う。
 「どうしたらこの思いをもっと深く伝えられるんでしょうね」
 「……それにはいい方法があるぞシシィ」
 「きゃっ」
  次にはシシィの細い腰をフランツがかき抱いた。
 「へ、陛下、こんなところで……」
  そして――。
 「獲ったぞー!!!」
と彼は叫んだ。
  すぐさま、クロークに隠れていたセシルやルティウス、従官侍女が飛び出てきて、シシィ(偽)をとっ捕まえる。
 「な、なぜ偽物だと分かった!!」
  ぼんっ
 正体を見破られた妖精は煙と共に元の姿に戻る。その正体はバーコード頭でぶくぶくに太った、やたら汗をかくただのおっさんであった。体調は約十五センチといったところか。
 「ふん、甘いのだよフェアリー。お前は人をからかうのが趣味らしいが、化けてからかうには下調べが足りなかったな。あのシシィが僕にあんな風に迫ってくると思ったか? それにシシィはもっと胸がうす……」
  ドゴオッ
「ぐへっ」
  皇帝はすぐさま侍女セシルに股間を蹴りあげられた。こうして妖精は縄に据えられた後、小瓶に戻された。
 「ぐぬぬうう」
  額に汗をかきかき、歯がみしながら。
  その瓶を右手に掴んで、
 「それにしてもこいつは使えるかもしれんな」
とフランツが笑った。
 「まあ、どのように使われるのです?」
  後から現れたシシィが問うても、彼は微笑むばかりだった。
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