亡霊たち

みや いちう

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呪いの終焉

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「妊娠したみたいなの」
 あの日、七夕の夕暮れを前に、校舎裏で彩香は私に告白した。私は驚いて言葉もなかった。もはや友であるとさえ言えない私に、彩香は包み隠さず述べた。好きな男とそういう関係になり、子供を身ごもってしまったこと。だけれど男の方は身ごもるなり父親は俺じゃないと冷たくつっぱねたこと。その男は別に愛する女がいるということも、全部述べた。
「手術するしかないの。だから、お金貸してくれない?」
 私は困った。もう彩香の子は三か月になっているらしく、手術にもお金がかさんだ。事情は誰にも話す気がないという彩香のことを、語らずして母にお金を無心するのもためらわれた。それにうちの家だって裕福じゃない。家賃だって払うのにやっとの時があるくらい。私も困惑しながら告白したけれど、彩香はしきりに金を求めた。
相手に出してもらえない?
 私が問うても彩香の返事ははかばかしくなかった。相手も学生なの、という彩香。
「それって誰? 」
 私が再度問うと、彩香は言えないの一点張りだった。

言わないんではなく、言えない。

私は杉の木の下で彩香を見て初めて気が付いた。
あれは、太一の子だったんだ――。
「もう、私も大変だったんだから」
 と、杉の木が香る薄闇にて、彩香は告げた。
「あんたがお金貸してくれないせいで、大変な思いしておろしたんだよ。太一に言ってもお金ない、俺じゃないってずっと言い放っててさ。もう、散々だったよ」
 散々だったのは私だよ、彩香――。今までの恨みと憎悪を込めて、怒鳴りつけたいのに。いざとなると言葉がまとまらない。
「どういうこと?」
 混乱しそうな頭で、私はなんとか言葉を組み立てた。どうしてここにあんたがいるの? ということを並べて声に発した。彩香の返答は素早かった。
「あの日、あんたを殺そうとしたのはあたしなの。あたし、あんたらの話を屋上で盗み聞いて、杉の木に名前を書いた藁人形打ち付けると名の主が死ぬって知っていたから。やろうとしたの。学校帰りにバスに乗って、ここまで来て。
そうして杉の木にあんたの名を書いた人形を打ち付けていたら、なんと、見られちゃったじゃない。あの根暗の華子さんにね」
華子、あんたは裏切ったんじゃなかったんだね――。私の胸に恐怖と後悔がよどむ。
「華子は偉かったよ。髪を振り乱して美佳死ね、美佳死ねって叫ぶ私に向かってきたんだ。やめろって叫びながらさ。呪いが自分にも飛び散ることを恐れずにさあ。馬鹿だよねえ。ほんっと、あんたの友情ごっこにはほとほと呆れるわ」
私はもはや言葉もなく、彩香をただただ眺めていた。次第に恐怖も薄れていった。
「で、結果はご存知の通り。呪いは失敗してあんたの周りに飛び散り、あんたの家族は殺したけれどあんたは殺せなかった。華子は飛び散った呪いを受けて瀕死。まあ、最終的には死んだけれどね」
 ふふふと、彩香がほくそ笑む。
「私は呪いが失敗してもずっと、あんたを呪い続けた。美佳死ねって台詞、何度言ったか忘れたくらい。たぶん、千回、いや一万回は言ったかなあ。ブログもたくさん覗いてあげていたの、気づいた? 今日も見たら、あんたブログ書いていたから、嬉しくて会いに来ちゃったの」
もはやこの女は壊れていると、私は直感した。壊れた彩香はなおもいびつに歪んだ笑みを顔にのせて、裂けたまなじりで私を睨んだ。
「あんたのせいであたしの人生は台無しよ。この、人殺し」
「人殺しはあんたよ」
 鞄からハサミを取り出す彩香への恐怖も薄れ、私は叫んでいた。もはや恐怖というよりは憎悪が私に深く歪んでいた。こいつのせいで、こいつのせいで何もかもが。
「私、絶対にあんたを許さない……!!」
 私がぎりと唇をかむと、彩香は声高く笑った。
「別にいいし。もうすぐ死ぬあんたになんて、許されなくて構わないし」
彼女はそのまま、ナイフみたいに鋭いハサミを持ってこちらへ駆けだしてきた。私はかろうじて避けて、彩香の背を拳で殴った。細い背をした彩香がよろめく。だけれど次には血走った眼で、また私を射た。再び向かってくる。
今度はよけきれない――。彩香の鋭いハサミが私の顔をよぎらんとした。ぎりぎりでよける。けれど次には私の腹を彩香が蹴り上げた。痛い、だけれどこの女だけは、許す訳にはいかない――!!
 私が立ち上がった時、鋭い痛みが腹を刺した。かわせなかった。彩香のハサミが私の腹をぐいぐい刺し抜こうとする。
「今度こそ、死ねえええええ」
 うぐ……
私が生を諦めんとした、その時。
「ぎゃああああ」
 私にのしかからんとした彩香が突然、悲鳴を上げた。首をおさえて、何か苦しそうに呻いている。
 気が付けば周りに白装束を纏った死人たちが立っていた。何人いるんだろう。数えきれない。
 あれは――もしかしてあの七夕の日に死んだ人たち? 
 そして彩香の首には、杉の木の枝から黒い髪の毛が垂れて幾重も巻き付いていた。
「ぐっぐえええええ」
 ハサミを振り廻す彩香の首を、髪の毛は絡みとって離さない。やがて彩香の顔は紫から白に変じ、手はだらりと垂れてハサミを取り落とした。
 髪の毛の主は杉の木の裏から現れた。
「華子……」
 華子は白いワンピース姿で、変わらぬ笑顔をたたえて私に近づいてきた。
「美佳、ごめんね」
 私はほっとしたのか何なのか、涙が溢れて止まらなくなった。それを華子の指が優しくすくう。その指が冷たい。
「今まで怖い思いさせたね。あの女の呪いから守るために、ちょくちょくお部屋をのぞかせてもらっていたの。でも、怖かったよね。こんな形でしか美佳を守れなくて、本当にごめん」
 私はひとしきり泣いた後に、
「もう、華子は私に謝ってばっかりだね」
 と微笑んだ。
華子も微笑み返してくれた。
 やがて死人たちが何か一心に呪文を唱えだした。呪文のような、お経のようなものを。
「華子、私こそごめんね」
 私はその中で華子に謝罪した。私こそ、華子の友情を疑った。華子は命がけで私を守ってくれ、また死したのちも救ってくれようとしたのに、私は憎悪すら彼女に抱いていた。
「本当にごめん……」
 気が付けば私はまた泣いていた。華子がふふと声を漏らす。
「謝ってばっかりなんて、美佳らしくないよ。大丈夫。私のお守りが、美佳を守ってくれてよかった」
 華子の笑顔は生前と変わらず温かで優しくて。 
私の眼は涙を振りこぼすことをやめなかった。
「さあ、美佳。そろそろいきな。死人たちが騒ぎ出している」
「騒ぐって、どうして」
 私が不思議そうにあたりを見回す。さっきまで遠巻きに見ていた死人たちが、近づいてきている。一歩、また一歩と。 
私をも連れていこうとしているのだとは、すぐに察しがついた。
「華子、華子も一緒に……」
「私はもう、行けない」
 そうして差し出す華子の指が、骨と化しているのを私は認めた。
「私はもう駄目だけど、美佳は生きているから、これから何があっても大丈夫よ」
「けど華子……」
「ほら、最後に握手しよ。友情の握手」
 私がためらうと思ったのか、控えめに華子の腕が伸びる。骨だけの手。これでずっと私を守ってくれていたんだ――。
「華子、大好きだよ」
 私は思い切り華子の身体を抱きしめた。華子の身体は細くて、温かだった。ありがとう、そんな思いを込めて、私は華子のぬくもりを忘れないように力いっぱい抱きしめた。華子の眼に涙が光る。
「さあ、もういきな美佳っ。戻ったら、もっと太りなさいよね! あんた、痩せすぎているから」
 最後まで私の心配をしてくれる華子に、私は背を向けて走りだした。
「振り向いちゃダメよ! 連れていかれるからっ元気で、幸せにねっ今まで、ありがとう」
「私こそだよ、馬鹿華子っ」
 最後に叫んだのは、聞こえたか聞こえなかったか。お経が満ちる杉林のなか、華子の笑顔を私は見た気がした。
 杉林を出て、本殿にたどり着いた時、私は意識を手放した。


 それから。
私の幻覚は嘘のように消えて、私はまたふつうに大学に通えるようになった。もうあの、黒髪にも死ねという声にも脅えることはない。
それが嬉しくて、たまらなくて。ほんの少し、黒髪にだけには名残惜しさを感じた。呪いは全部華子が持っていってくれたんだと思うことにした。
 学校でもふつうにしている私へ、最初こそ煙たがっていた人たちも次第に挨拶してきてくれるようになった。このあいだは
「よかったら、一緒に食事に行かない?」
 と誘ってくれる子も出来た。私は喜びを満面に表して頷いた。別な大学に一緒に遊びに行く友達も出来た。
 それと。
本当に偶然に、太一に会った。太一は専門学校の時に学生婚していたとは聞いていた。私の大学のある地域に住んでいるとも。おなかのふくれた女の人を連れて、私が友と歩くその道を歩いていた。私たちは一瞬目があったけれど、互いに目礼するにとどめた。
 これから彼に何が起こるんだろう。私に何が待っているんだろう。
 私には分からない。
けれど私にはわかることもある。
私たちには確かに友があって、青春があった。それは儚く消え去っていってしまったけれど、確かにあったのだ。実在していた。もう二度とあがいても手の届かぬところに、実在して、思い出として今も、ある。
「美佳―!!」
 学校途中の道で、私に手を振ってくる友たち。みんな笑顔だ。いい顔つきしているな。
 ねえ、華子。
私たちはもう二度と出会えないんだね。
だけど私はもう、過ぎ去った日々を惜しむことはやめる。いつか、どこかでもう一度会うために、進んでいく。今はただ何も見えない、けれどただひたすらに。
「みんなー! 今行くー!!」
 私は空いっぱいに満ちる日の光を浴びて、駆けだした。
                 了
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