『火薬よりも軽い命 ――影足軽戦記』

ガツキー

文字の大きさ
8 / 10

第八話「生き延びたやつが地獄を見る」

しおりを挟む
第八話「生き延びたやつが地獄を見る」

戦が終わった。
 その言葉が口にされたのは、ある朝のことだった。

 前線で斬られ、火薬で焼かれ、骨が散った無数の命の果て。
 敵軍が降伏し、領地が割譲され、和平が結ばれた――そう、紙の上では。

 だが、一蔵は知っていた。
 戦が終わっても、戦は終わらない。
 本当の地獄は、“生き延びた者”に訪れる。

 彼は無名火としての潜入任務を終えた後、正式には“行方不明”となっていた。
 砦にも戻らず、名も語らず、ただ山を越え、誰にも見つからない谷で静かに息をしていた。

 そこには、奇跡のように残された集落があった。

 戦火を逃れ、焼かれず、奪われもせず。
 山に守られ、地図に載らない土地。
 だが、そこには確かに“戦の終わり”が沈殿していた。

***

 その村には、片足の男がいた。

 名は「甚内(じんない)」といった。
 元は同じ軍の足軽だったが、戦で足を失い、捨てられるようにこの谷に流れ着いた。

「よう、旅の御仁。火薬の匂いがするな」

 一蔵は答えなかった。
 ただ、黙って囲炉裏の前に座り、黙って芋をかじった。

 甚内は笑った。

「しゃべらねぇのか。いいさ、俺も昔はそうだった。
 しゃべったら、全部崩れちまいそうだったからな」

 彼は、義足の代わりに削った木の棒を使って歩いていた。
 その音が、戦場の銃声より重く、一蔵の耳に響いた。

「戦が終わってからのほうが、つれぇんだな、これが」

「……なぜ?」

「死んだ奴らは、死んだ。そんだけ。
 でも生き残ったこっちは、“なんで生きてるのか”を毎日自分に問い続けるんだよ」

 火鉢の炭がはぜた。
 その音だけが、会話の間を繋いでいた。

***

 数日後、一蔵は山の尾根に登り、遠くを見下ろした。
 あの戦場も、今はただの野だ。
 血の匂いは土に吸われ、骨は埋められ、すべては“なかったこと”のようになっていた。

 だが彼の目は、そこに立つ一本の杭に留まった。

 それは、誰かが自分の死を願って打った杭。
 名も刻まれていない。だが、どこかで見覚えがあった。

 彼は谷を下り、夜通し歩いて、その杭の前に立った。

 風が吹く。草が揺れる。

 杭の根元に、小さな骨が埋まっていた。
 それは――かつて狼丸が「焼け残した」と言っていた“骨火薬”の原料だった。

 焼いたはずの、壊したはずの、あの“火”が、まだ生きていた。

 生き延びた者が見る地獄は、
 “終わったはずの戦が、まだ自分の中にある”という現実だった。

***

 その夜、一蔵は夢を見た。

 かつての砦。雷鳴のような号令。
 仲間の死。犬丸の笑い声。
 蓮見兵庫の誇り。
 老婆の手。狼丸の目。

 それらすべてが、灰となり、風に巻かれ――そして、目の前にこう囁く。

 「まだ終わってないぞ。火足軽」

 一蔵は、冷汗で目を覚ました。

 火は、終わらない。
 燃え残りは、必ず“次”を生む。

一蔵は、もう一度だけ“火”になることを決めた。
 骨火薬の破片が埋まっていたあの場所――
 そこに何者かが残した意志があるなら、それをこの手で“完全に消す”。

 そうでなければ、戦は終わらない。
 命を使っても足りないほどの“燃え残り”が、自分の中にも残っている。

***

 山を越え、かつての戦場跡に戻る。
 もうそこに軍旗もなく、兵の声もない。
 だが、地面を掘れば、確かに埋まっている。

 焦げた布、割れた火縄銃、歯の欠けた頭骨。
 そして――骨火薬の残滓。

 一蔵は、それらを手で拾い集めた。
 壺もない、巻物もない。だが、素材は生きている。

 誰かがまたこれを拾えば、また誰かが爆ぜる。

「終わらせるなら、俺の火でだ」

 彼は集めた骨のかけらと火薬を一箇所に積み上げ、
 導火線もつけず、ただ火打石だけを手に構えた。

 風が吹くのを待つ。
 それは、誰もいない山の中での“儀式”だった。

***

 火は、静かに始まった。

 最初の煙が立ち上がり、次に赤い閃光が地を這うように走った。
 音は小さく、爆発とは呼べない。
 だが、一蔵はその中に、命が燃える音を聞いた。

 それは名もない兵の叫び、
 斬られた突兵の咆哮、
 野盗として死んでいった狼丸の最後の火――
 それらが、すべて混じった“終わりの炎”だった。

 「ありがとう」とも「さようなら」とも言えない連中が、
 灰になってようやく、“人間”に戻っていく。

 一蔵は、その火を見届けた。
 涙は流れなかった。
 ただ、火が消えるまで、立ち尽くしていた。

***

 村に戻ると、甚内が言った。

「……燃やしてきたのか?」

「ああ。やっと、“あの火”は終わった」

「終わった、か。
 それを聞いて、やっと眠れる奴も、いるだろうよ」

 甚内は、静かに湯を沸かした。
 何もない山村の夜、湯の立つ音だけが安らぎだった。

「なあ、一蔵――いや、“無名火”さんよ」

「……名は、もう捨てた」

「けど、人は名前がなくなったとき、初めて“生きる”のかもな。
 戦の外で、生きてみねぇか?
 死に場所じゃなく、生き場所を探すってのも、悪くねぇぞ」

 一蔵は、しばらく黙っていた。
 それから、火鉢に薪をくべた。

「……火を絶やすには、火を知ってるやつがいないといけない。
 俺はそれになるよ。“燃え方”を見てきたから」

「なら――ここにいろ。火番としてさ」

 一蔵は、微笑んだ。

「悪くないな、それ」

***

 その後、谷の村には“火番の男”が住みついたという噂が残った。

 名は知られていない。
 でも、火の扱いに長けていて、山の向こうから来たらしい。

 祭の火を見守り、炊き出しの火を調整し、
 「火はな、怖ぇんだ。けど、悪くねぇんだよ」と笑っていたという。

 子どもたちは、彼のことをこう呼んだ。

 “やさしい火の兵隊さん”。

 骨火薬はもう、この世にない。
 けれど――あの日、火を背負った男の魂は、まだ静かに燃え続けていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜

かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。 徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。 堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる…… 豊臣家に味方する者はいない。 西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。 しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。 全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。

本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~

bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。

処理中です...