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第八話「生き延びたやつが地獄を見る」
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第八話「生き延びたやつが地獄を見る」
戦が終わった。
その言葉が口にされたのは、ある朝のことだった。
前線で斬られ、火薬で焼かれ、骨が散った無数の命の果て。
敵軍が降伏し、領地が割譲され、和平が結ばれた――そう、紙の上では。
だが、一蔵は知っていた。
戦が終わっても、戦は終わらない。
本当の地獄は、“生き延びた者”に訪れる。
彼は無名火としての潜入任務を終えた後、正式には“行方不明”となっていた。
砦にも戻らず、名も語らず、ただ山を越え、誰にも見つからない谷で静かに息をしていた。
そこには、奇跡のように残された集落があった。
戦火を逃れ、焼かれず、奪われもせず。
山に守られ、地図に載らない土地。
だが、そこには確かに“戦の終わり”が沈殿していた。
***
その村には、片足の男がいた。
名は「甚内(じんない)」といった。
元は同じ軍の足軽だったが、戦で足を失い、捨てられるようにこの谷に流れ着いた。
「よう、旅の御仁。火薬の匂いがするな」
一蔵は答えなかった。
ただ、黙って囲炉裏の前に座り、黙って芋をかじった。
甚内は笑った。
「しゃべらねぇのか。いいさ、俺も昔はそうだった。
しゃべったら、全部崩れちまいそうだったからな」
彼は、義足の代わりに削った木の棒を使って歩いていた。
その音が、戦場の銃声より重く、一蔵の耳に響いた。
「戦が終わってからのほうが、つれぇんだな、これが」
「……なぜ?」
「死んだ奴らは、死んだ。そんだけ。
でも生き残ったこっちは、“なんで生きてるのか”を毎日自分に問い続けるんだよ」
火鉢の炭がはぜた。
その音だけが、会話の間を繋いでいた。
***
数日後、一蔵は山の尾根に登り、遠くを見下ろした。
あの戦場も、今はただの野だ。
血の匂いは土に吸われ、骨は埋められ、すべては“なかったこと”のようになっていた。
だが彼の目は、そこに立つ一本の杭に留まった。
それは、誰かが自分の死を願って打った杭。
名も刻まれていない。だが、どこかで見覚えがあった。
彼は谷を下り、夜通し歩いて、その杭の前に立った。
風が吹く。草が揺れる。
杭の根元に、小さな骨が埋まっていた。
それは――かつて狼丸が「焼け残した」と言っていた“骨火薬”の原料だった。
焼いたはずの、壊したはずの、あの“火”が、まだ生きていた。
生き延びた者が見る地獄は、
“終わったはずの戦が、まだ自分の中にある”という現実だった。
***
その夜、一蔵は夢を見た。
かつての砦。雷鳴のような号令。
仲間の死。犬丸の笑い声。
蓮見兵庫の誇り。
老婆の手。狼丸の目。
それらすべてが、灰となり、風に巻かれ――そして、目の前にこう囁く。
「まだ終わってないぞ。火足軽」
一蔵は、冷汗で目を覚ました。
火は、終わらない。
燃え残りは、必ず“次”を生む。
一蔵は、もう一度だけ“火”になることを決めた。
骨火薬の破片が埋まっていたあの場所――
そこに何者かが残した意志があるなら、それをこの手で“完全に消す”。
そうでなければ、戦は終わらない。
命を使っても足りないほどの“燃え残り”が、自分の中にも残っている。
***
山を越え、かつての戦場跡に戻る。
もうそこに軍旗もなく、兵の声もない。
だが、地面を掘れば、確かに埋まっている。
焦げた布、割れた火縄銃、歯の欠けた頭骨。
そして――骨火薬の残滓。
一蔵は、それらを手で拾い集めた。
壺もない、巻物もない。だが、素材は生きている。
誰かがまたこれを拾えば、また誰かが爆ぜる。
「終わらせるなら、俺の火でだ」
彼は集めた骨のかけらと火薬を一箇所に積み上げ、
導火線もつけず、ただ火打石だけを手に構えた。
風が吹くのを待つ。
それは、誰もいない山の中での“儀式”だった。
***
火は、静かに始まった。
最初の煙が立ち上がり、次に赤い閃光が地を這うように走った。
音は小さく、爆発とは呼べない。
だが、一蔵はその中に、命が燃える音を聞いた。
それは名もない兵の叫び、
斬られた突兵の咆哮、
野盗として死んでいった狼丸の最後の火――
それらが、すべて混じった“終わりの炎”だった。
「ありがとう」とも「さようなら」とも言えない連中が、
灰になってようやく、“人間”に戻っていく。
一蔵は、その火を見届けた。
涙は流れなかった。
ただ、火が消えるまで、立ち尽くしていた。
***
村に戻ると、甚内が言った。
「……燃やしてきたのか?」
「ああ。やっと、“あの火”は終わった」
「終わった、か。
それを聞いて、やっと眠れる奴も、いるだろうよ」
甚内は、静かに湯を沸かした。
何もない山村の夜、湯の立つ音だけが安らぎだった。
「なあ、一蔵――いや、“無名火”さんよ」
「……名は、もう捨てた」
「けど、人は名前がなくなったとき、初めて“生きる”のかもな。
戦の外で、生きてみねぇか?
死に場所じゃなく、生き場所を探すってのも、悪くねぇぞ」
一蔵は、しばらく黙っていた。
それから、火鉢に薪をくべた。
「……火を絶やすには、火を知ってるやつがいないといけない。
俺はそれになるよ。“燃え方”を見てきたから」
「なら――ここにいろ。火番としてさ」
一蔵は、微笑んだ。
「悪くないな、それ」
***
その後、谷の村には“火番の男”が住みついたという噂が残った。
名は知られていない。
でも、火の扱いに長けていて、山の向こうから来たらしい。
祭の火を見守り、炊き出しの火を調整し、
「火はな、怖ぇんだ。けど、悪くねぇんだよ」と笑っていたという。
子どもたちは、彼のことをこう呼んだ。
“やさしい火の兵隊さん”。
骨火薬はもう、この世にない。
けれど――あの日、火を背負った男の魂は、まだ静かに燃え続けていた。
戦が終わった。
その言葉が口にされたのは、ある朝のことだった。
前線で斬られ、火薬で焼かれ、骨が散った無数の命の果て。
敵軍が降伏し、領地が割譲され、和平が結ばれた――そう、紙の上では。
だが、一蔵は知っていた。
戦が終わっても、戦は終わらない。
本当の地獄は、“生き延びた者”に訪れる。
彼は無名火としての潜入任務を終えた後、正式には“行方不明”となっていた。
砦にも戻らず、名も語らず、ただ山を越え、誰にも見つからない谷で静かに息をしていた。
そこには、奇跡のように残された集落があった。
戦火を逃れ、焼かれず、奪われもせず。
山に守られ、地図に載らない土地。
だが、そこには確かに“戦の終わり”が沈殿していた。
***
その村には、片足の男がいた。
名は「甚内(じんない)」といった。
元は同じ軍の足軽だったが、戦で足を失い、捨てられるようにこの谷に流れ着いた。
「よう、旅の御仁。火薬の匂いがするな」
一蔵は答えなかった。
ただ、黙って囲炉裏の前に座り、黙って芋をかじった。
甚内は笑った。
「しゃべらねぇのか。いいさ、俺も昔はそうだった。
しゃべったら、全部崩れちまいそうだったからな」
彼は、義足の代わりに削った木の棒を使って歩いていた。
その音が、戦場の銃声より重く、一蔵の耳に響いた。
「戦が終わってからのほうが、つれぇんだな、これが」
「……なぜ?」
「死んだ奴らは、死んだ。そんだけ。
でも生き残ったこっちは、“なんで生きてるのか”を毎日自分に問い続けるんだよ」
火鉢の炭がはぜた。
その音だけが、会話の間を繋いでいた。
***
数日後、一蔵は山の尾根に登り、遠くを見下ろした。
あの戦場も、今はただの野だ。
血の匂いは土に吸われ、骨は埋められ、すべては“なかったこと”のようになっていた。
だが彼の目は、そこに立つ一本の杭に留まった。
それは、誰かが自分の死を願って打った杭。
名も刻まれていない。だが、どこかで見覚えがあった。
彼は谷を下り、夜通し歩いて、その杭の前に立った。
風が吹く。草が揺れる。
杭の根元に、小さな骨が埋まっていた。
それは――かつて狼丸が「焼け残した」と言っていた“骨火薬”の原料だった。
焼いたはずの、壊したはずの、あの“火”が、まだ生きていた。
生き延びた者が見る地獄は、
“終わったはずの戦が、まだ自分の中にある”という現実だった。
***
その夜、一蔵は夢を見た。
かつての砦。雷鳴のような号令。
仲間の死。犬丸の笑い声。
蓮見兵庫の誇り。
老婆の手。狼丸の目。
それらすべてが、灰となり、風に巻かれ――そして、目の前にこう囁く。
「まだ終わってないぞ。火足軽」
一蔵は、冷汗で目を覚ました。
火は、終わらない。
燃え残りは、必ず“次”を生む。
一蔵は、もう一度だけ“火”になることを決めた。
骨火薬の破片が埋まっていたあの場所――
そこに何者かが残した意志があるなら、それをこの手で“完全に消す”。
そうでなければ、戦は終わらない。
命を使っても足りないほどの“燃え残り”が、自分の中にも残っている。
***
山を越え、かつての戦場跡に戻る。
もうそこに軍旗もなく、兵の声もない。
だが、地面を掘れば、確かに埋まっている。
焦げた布、割れた火縄銃、歯の欠けた頭骨。
そして――骨火薬の残滓。
一蔵は、それらを手で拾い集めた。
壺もない、巻物もない。だが、素材は生きている。
誰かがまたこれを拾えば、また誰かが爆ぜる。
「終わらせるなら、俺の火でだ」
彼は集めた骨のかけらと火薬を一箇所に積み上げ、
導火線もつけず、ただ火打石だけを手に構えた。
風が吹くのを待つ。
それは、誰もいない山の中での“儀式”だった。
***
火は、静かに始まった。
最初の煙が立ち上がり、次に赤い閃光が地を這うように走った。
音は小さく、爆発とは呼べない。
だが、一蔵はその中に、命が燃える音を聞いた。
それは名もない兵の叫び、
斬られた突兵の咆哮、
野盗として死んでいった狼丸の最後の火――
それらが、すべて混じった“終わりの炎”だった。
「ありがとう」とも「さようなら」とも言えない連中が、
灰になってようやく、“人間”に戻っていく。
一蔵は、その火を見届けた。
涙は流れなかった。
ただ、火が消えるまで、立ち尽くしていた。
***
村に戻ると、甚内が言った。
「……燃やしてきたのか?」
「ああ。やっと、“あの火”は終わった」
「終わった、か。
それを聞いて、やっと眠れる奴も、いるだろうよ」
甚内は、静かに湯を沸かした。
何もない山村の夜、湯の立つ音だけが安らぎだった。
「なあ、一蔵――いや、“無名火”さんよ」
「……名は、もう捨てた」
「けど、人は名前がなくなったとき、初めて“生きる”のかもな。
戦の外で、生きてみねぇか?
死に場所じゃなく、生き場所を探すってのも、悪くねぇぞ」
一蔵は、しばらく黙っていた。
それから、火鉢に薪をくべた。
「……火を絶やすには、火を知ってるやつがいないといけない。
俺はそれになるよ。“燃え方”を見てきたから」
「なら――ここにいろ。火番としてさ」
一蔵は、微笑んだ。
「悪くないな、それ」
***
その後、谷の村には“火番の男”が住みついたという噂が残った。
名は知られていない。
でも、火の扱いに長けていて、山の向こうから来たらしい。
祭の火を見守り、炊き出しの火を調整し、
「火はな、怖ぇんだ。けど、悪くねぇんだよ」と笑っていたという。
子どもたちは、彼のことをこう呼んだ。
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けれど――あの日、火を背負った男の魂は、まだ静かに燃え続けていた。
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