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20.「泉の広場の赤い女」はどうなった?
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おれがまだ、小学生だった時の話だ。
「コタロー! 会いたかったでー!」
「むぎゅ」
小学六年生の夏休み。新幹線が行き交う新大阪駅で、二年ぶりに会った伯父さんに力強く抱きしめられた。
反抗期に突入した男子っぽい反応をしようとしたけど、テンションがバカ高い伯父さんは、おれを勢いよくブンブン振り回した。
「デカなったな! あっちの方もデカなったか⁉︎」
Ahahahahaとアメリカ人ばりに陽気に笑い、下ネタをかっ飛ばすおじさん。クソうざかったことをよく覚えている。
まあ、でも。これから一週間世話になるんだから、とおれは我慢した。
当時、おれの家は常にバタバタしていた。妹と弟が乳幼児で、さらに親の仕事がうまくいってなかった。毎日毎日朝から晩までギャーギャー、増えるストレス、衝突し合う両親、反発するおれ。
見かねた伯父さんが「コタローだけでもこっちに来るか?」と言ってくれたのだ。まさに天啓、渡りに船におれは喜んで乗った。
伯父さんは母さんの兄貴で、自由気ままな独身。大阪で商売をしている、と聞いた。
再会の(一方的な)ハグをした後、伯父さんとJRで移動した。まずは腹ごしえのために新大阪駅から大阪駅――大阪最大の商業地域・梅田へ。
「コタローは、怖い映画が好きなんやろ?」
にんじんみたいな色の電車に揺られながら、伯父さんが尋ねる。
その頃既におれはホラー映画に目覚めていたので、うん、と肯定する。
「やったら、キタの最大の心霊スポット寄ってこか!」
キタとは梅田のことらしい――ウサギさながらに、おれの耳がピン! と立った。
「梅田ダンジョンのセーブポイント・泉の広場の噴水に、女の幽霊が出るんや……」
声を潜ませる伯父さん。電車は間も無く、大阪駅に着いた。
大阪・梅田の地下街は、府外の人間は必ず迷うと言われるほど複雑に入り組んでいる――らしい。
話には聞いていたけど、マジだった。
なんで『梅田駅』って名前の駅が五つもあんの? こっちは東梅田でそっちは西梅田。阪急と阪神ってどう違うの?
これは確かにダンジョンだ。たこ焼きがスライムに見えてきた。伯父さんに手を引かれ、おれは『セーブポイント』に行き着いた。
泉の広場の噴水。
ドーム型の天井には、空の絵が描かれている。
その天井――人工物の空を支えるように、大きな円型噴水が威風堂々と存在していた。
「へえ、キレイな噴水じゃん」
ケータイカメラで写真を撮った。
クリーム色の、ヨーロピアンな意匠の噴水だ。石像の少年が持つ甕から水が放たれていて。
空気に混じった水の匂い。
さぁあああ、と静かな水音。
イタリアのトレビの泉を彷彿させるのは、水の中に何枚もの小銭が沈んでいるからだろうか?
人待ち顔の通行人が、噴水に腰掛けている。
なるほど、確かに『セーブポイント』だ。地下街の端っこにあり、目立つ。待ち合わせ場所としては最適だ。
「で、ここに幽霊が出んの?」
「せやで。赤い服を着た女がな……」
伯父さんは詳しく話そうとしたけど、電話がかかってきてしまった。電波が悪くて、伯父さんは近くの階段から地上に上がっていった。目顔でのゴメンに、おれは頷きで返す。
他の人に倣って、おれも噴水に腰掛けた。ひんやりとした固い感触が尻に染みる。
(赤い服の女、かぁ)
幽霊の服装ってバリエーション少ないよな。
白か黒、たまに赤。なんでだろ?
マカロンカラーとかネオンカラーの服を着た幽霊がいてもいいのに。
なんかルールでもあんのかな。
そもそも幽霊が服を着てるって変な話なんだよなー。
魂だけの存在ならすっぽんぽんなはずだし。
ていうか、格好だけで幽霊を幽霊と判断するのって無理ゲーじゃね?
特に邦画ホラーの『降霊』みたいな感じで現れる幽霊だと、すぐには分からないんじゃ――
そう思った、時だった。
ふいに目の前が陰った。誰かが傍に来て、その影で暗くなったように。
伯父さん? と思って顔を上げると、そこには女の人がいた。
ひどい猫背で、肩を落とし、項垂れて。乱れ髪が顔全体を覆い、表情を隠す。
その服の色は、赤。
赤い服の女が、おれの隣に立っていた。
「……っ!」
ひゅっと息が詰まる。瞬間、すべての音が止んだ気がした。
これが……『そう』だと確信していた。
さっき、格好だけで幽霊を幽霊と判断するのは無理ゲーだと言ったけど。
だって赤い服は赤い服でも。
冬物のコートだったから。
分厚いウール生地の毛羽立ちすらしっかり見えた。夏なのに外は気温35度なのに。指先が急に冷えたのを感じた。
女はおもむろにおれから離れた。ゆっくりとした動きで、噴水の周りを歩く。時折立ち止まる。そしてじっと立った。
噴水の周りを歩く。立ち止まる。じっと立つ。
噴水の周りを歩く。立ち止まる。じっと立つ。
噴水の周りを、……なんで誰もおかしく思わないの? 歩く。立ち、……その人明らかにおかしいじゃんこの暑いのにコート着てるよ? 止まる。じっと、……みんな見えてないの? 立つ。
おれは、女をずぅっと見ていた。じぃっと見ていた。目が離せなかった。すると突然、女がおれの方を向いた。
ひぐっ……
口から変な声が出た。女の両目が黒一色だったからだ。白目の失せた眼球。眼窩にコーヒーを注いだような艶のある黒。人形の目。宇宙人の目。その目がこっちに近づいてくる!
赤い服の女はおれを見据えながらどんどん近づいてくる。速い!
「……っ!」
おれは立ち上がり、リュックサックの紐を強く強く握って、その場から逃げ出した。若いねーちゃんとナンパ師のオッサンの間をくぐって、階段を上がる。
ムンとした熱気と明るい日差し。必死に階段を駆け上り、伯父さんの元に急いだ。おれを黒い視線で射竦める女が追いかけてくるようで、後ろは振り返られなかった。
という夏休みの思い出――入道雲が支配する青空もなく、麦わら帽子とワンピースとでかいヒマワリを装備した美少女もない、なんとも薄ら寒くほの暗い思い出が、頭に浮かんだ。
数年ぶりに、その大阪在住の伯父さんから連絡をもらった時に。
「泉の広場の噴水がなぁ、来年撤去されんねん~。めっちゃ悲しいわ」
加齢と共にテンションの高さに磨きがかかった伯父さんが、クソデカボイスで訴えてきた。
噴水の撤去は、地下街の大規模改修に伴って……だそうだ。
「もう待ち合わせ場所がビッグマン前しかあれへん……あっこもコビッグマンしかないのに……時計の広場はワシらにはどうも馴染めん……」
おいおい嘆く伯父さんをスルーして、つい思いついたことを口走っていた。
「おれ、もうすぐ夏休みなんだけど、ちょっとそっち行っていいかな?」
「えっ? 大阪にか?」
「うん」
専門学生の夏休みなんて、あってなきが如しだ。
課題も多いし、作品づくりの資金稼ぎのバイトだってある。やることは山積みで、のんきに旅行なんか行ってる場合じゃない。
でも。
どーしても気になっていた。
「おう、ええで。うち泊まり。仕事やから迎えには来られへんけど」
もう十九歳なんだからその辺は心配ご無用、と返した。
そんなわけで、おれは必死でやりくりをして、七月の頭に再び大阪に赴いた。
七年ぶりの大阪。新大阪駅も改装されて、どこもかしこも綺麗になっていた。
おれはJRに乗って、さっそく大阪駅に向かう。梅田ダンジョンも昔よりは案内板が増え、攻略の難易度が若干下がっていた。
あの時の同じ、真っ昼間。
果たして、泉の広場に『あれ』はいるんだろうか。
泉の広場は、去りゆく噴水を惜しんで写真を撮る人たちだらけだった。
甕を持った少年の像はオークションにかけられているらしい。大阪人っぽい発想だな、とちょっと思う。
カシャッ。噴水の西側で女子高生らしいグループが、自撮り棒を駆使して噴水を背景にピースしている。
カシャッ。黒ずくめの服装の中年男性が、大仰な一眼レフを構えている。
カシャッ。年齢不詳な女性が、何故かぬいぐるみと一緒に噴水を撮影している――それを目にした時、ひどくにぶい『赤』がおれの目に焼きついた。
いた。
赤い服の女だ。
多くのカメラが向けられる噴水の傍に、記憶と寸分変わらない、分厚い赤いコートを着た女が立っていた。
(やっぱり誰も見えてない、か……)
覚悟していただけあって、頭は冷静だった。そもそも、おれの目的はこれだ。
赤い服の女を、見にきたのだ。
野次馬根性じゃない。見納めとかじゃない。気になったのだ。
赤い服の女は、この噴水がなくなったら……
「!」
女がこちらを見た。まっくろな両目で、おれを捉えた。
見つかってしまった。女はあの時のように近づいてくる。人の間を縫って、おれとの距離をどんどん詰めてくる。カシャッ。カシャッ。カシャッ。あちこちからシャッター音が連続した。彼ら彼女らのカメラに、あの女は写ってるのだろうか。
おれはとっさに近くの百円ショップに逃げ込んだ。狭い店内の奥に行き、物陰に隠れる。
女は追ってこないようだ。
「……」
少し経ってから、店の外に出た。
人々の雑踏、さぁあああああ、と噴水の水が放出される音、……噴水周辺を見渡して、あのにぶい赤を探そうとした時だった。
おれの鼻先に、赤い服の女が通り過ぎた。
「⁉︎」
声も出せずに後ずさる。と、赤い服の女の『前』を歩く男がこちらを見た。
リーマンっぽい三十代くらいの男が訝しげな表情を一瞬だけ向ける。すぐに前を向いて、サクサクと歩いていった。
……背中に、赤い服の女をピッタリとつけて。
(ついていった、のか……?)
その後、とうとう赤い服の女を見ることはなかった。
伯父さんの家に一泊した翌日も、その姿はどこにもなかった。
赤い服の女は、
噴水よりも先に泉の広場から去ったのだ。
「とりあえず、疑問は解消された……のか?」
伯父さんから噴水がなくなると聞いて、おれが抱いた疑問。
赤い服の女は、どうなるのだろう。
昔からずっと同じ場所にいた幽霊が、その場所を失ったら、どうなるんだろう。
気になったのだ。
ホラー映画好きとして。というより、ホラー映画監督志望として。
(あのリーマンの家まで、ついていったのかな……)
棲みつく場所が『泉の広場の噴水』ではなくなった。
だから、あの女はもう『泉の広場の幽霊』ではないのでは?
つまり実質、『泉の広場の幽霊』は消えたことになるんだろうか?
これは『怪異の消失』と定義すべきか? 誰か教えてえらいひと。
そこから数ヶ月経ち、ネットニュースで噴水は撤去されたことを知った。
新しくできたのは、泉の広場を模した『ウォーターツリー』と呼ばれる場所だ。光で『木と水』というモチーフを繊細に表現している。
動画で観たけど、モダンかつオシャレ。インスタ映え待ったなしって感じだ。
最初、伯父さんは「馴染まれへん! 俺たちの泉の広場を返せ!」とか抜かしていたが、新しくできた彼女(ピチピチギャル(死語)らしい)が気に入ったらしく、見事に手のひらを返して自撮りツーショを死ぬほど送ってくる。つらい。
ただ、伯父さん曰く。
新たな姿となった泉の広場に、新しく幽霊の目撃証言が出た――という。
でも今度は、若い男だとか小さな子どもだとか、言われているらしい。
「コタロー! 会いたかったでー!」
「むぎゅ」
小学六年生の夏休み。新幹線が行き交う新大阪駅で、二年ぶりに会った伯父さんに力強く抱きしめられた。
反抗期に突入した男子っぽい反応をしようとしたけど、テンションがバカ高い伯父さんは、おれを勢いよくブンブン振り回した。
「デカなったな! あっちの方もデカなったか⁉︎」
Ahahahahaとアメリカ人ばりに陽気に笑い、下ネタをかっ飛ばすおじさん。クソうざかったことをよく覚えている。
まあ、でも。これから一週間世話になるんだから、とおれは我慢した。
当時、おれの家は常にバタバタしていた。妹と弟が乳幼児で、さらに親の仕事がうまくいってなかった。毎日毎日朝から晩までギャーギャー、増えるストレス、衝突し合う両親、反発するおれ。
見かねた伯父さんが「コタローだけでもこっちに来るか?」と言ってくれたのだ。まさに天啓、渡りに船におれは喜んで乗った。
伯父さんは母さんの兄貴で、自由気ままな独身。大阪で商売をしている、と聞いた。
再会の(一方的な)ハグをした後、伯父さんとJRで移動した。まずは腹ごしえのために新大阪駅から大阪駅――大阪最大の商業地域・梅田へ。
「コタローは、怖い映画が好きなんやろ?」
にんじんみたいな色の電車に揺られながら、伯父さんが尋ねる。
その頃既におれはホラー映画に目覚めていたので、うん、と肯定する。
「やったら、キタの最大の心霊スポット寄ってこか!」
キタとは梅田のことらしい――ウサギさながらに、おれの耳がピン! と立った。
「梅田ダンジョンのセーブポイント・泉の広場の噴水に、女の幽霊が出るんや……」
声を潜ませる伯父さん。電車は間も無く、大阪駅に着いた。
大阪・梅田の地下街は、府外の人間は必ず迷うと言われるほど複雑に入り組んでいる――らしい。
話には聞いていたけど、マジだった。
なんで『梅田駅』って名前の駅が五つもあんの? こっちは東梅田でそっちは西梅田。阪急と阪神ってどう違うの?
これは確かにダンジョンだ。たこ焼きがスライムに見えてきた。伯父さんに手を引かれ、おれは『セーブポイント』に行き着いた。
泉の広場の噴水。
ドーム型の天井には、空の絵が描かれている。
その天井――人工物の空を支えるように、大きな円型噴水が威風堂々と存在していた。
「へえ、キレイな噴水じゃん」
ケータイカメラで写真を撮った。
クリーム色の、ヨーロピアンな意匠の噴水だ。石像の少年が持つ甕から水が放たれていて。
空気に混じった水の匂い。
さぁあああ、と静かな水音。
イタリアのトレビの泉を彷彿させるのは、水の中に何枚もの小銭が沈んでいるからだろうか?
人待ち顔の通行人が、噴水に腰掛けている。
なるほど、確かに『セーブポイント』だ。地下街の端っこにあり、目立つ。待ち合わせ場所としては最適だ。
「で、ここに幽霊が出んの?」
「せやで。赤い服を着た女がな……」
伯父さんは詳しく話そうとしたけど、電話がかかってきてしまった。電波が悪くて、伯父さんは近くの階段から地上に上がっていった。目顔でのゴメンに、おれは頷きで返す。
他の人に倣って、おれも噴水に腰掛けた。ひんやりとした固い感触が尻に染みる。
(赤い服の女、かぁ)
幽霊の服装ってバリエーション少ないよな。
白か黒、たまに赤。なんでだろ?
マカロンカラーとかネオンカラーの服を着た幽霊がいてもいいのに。
なんかルールでもあんのかな。
そもそも幽霊が服を着てるって変な話なんだよなー。
魂だけの存在ならすっぽんぽんなはずだし。
ていうか、格好だけで幽霊を幽霊と判断するのって無理ゲーじゃね?
特に邦画ホラーの『降霊』みたいな感じで現れる幽霊だと、すぐには分からないんじゃ――
そう思った、時だった。
ふいに目の前が陰った。誰かが傍に来て、その影で暗くなったように。
伯父さん? と思って顔を上げると、そこには女の人がいた。
ひどい猫背で、肩を落とし、項垂れて。乱れ髪が顔全体を覆い、表情を隠す。
その服の色は、赤。
赤い服の女が、おれの隣に立っていた。
「……っ!」
ひゅっと息が詰まる。瞬間、すべての音が止んだ気がした。
これが……『そう』だと確信していた。
さっき、格好だけで幽霊を幽霊と判断するのは無理ゲーだと言ったけど。
だって赤い服は赤い服でも。
冬物のコートだったから。
分厚いウール生地の毛羽立ちすらしっかり見えた。夏なのに外は気温35度なのに。指先が急に冷えたのを感じた。
女はおもむろにおれから離れた。ゆっくりとした動きで、噴水の周りを歩く。時折立ち止まる。そしてじっと立った。
噴水の周りを歩く。立ち止まる。じっと立つ。
噴水の周りを歩く。立ち止まる。じっと立つ。
噴水の周りを、……なんで誰もおかしく思わないの? 歩く。立ち、……その人明らかにおかしいじゃんこの暑いのにコート着てるよ? 止まる。じっと、……みんな見えてないの? 立つ。
おれは、女をずぅっと見ていた。じぃっと見ていた。目が離せなかった。すると突然、女がおれの方を向いた。
ひぐっ……
口から変な声が出た。女の両目が黒一色だったからだ。白目の失せた眼球。眼窩にコーヒーを注いだような艶のある黒。人形の目。宇宙人の目。その目がこっちに近づいてくる!
赤い服の女はおれを見据えながらどんどん近づいてくる。速い!
「……っ!」
おれは立ち上がり、リュックサックの紐を強く強く握って、その場から逃げ出した。若いねーちゃんとナンパ師のオッサンの間をくぐって、階段を上がる。
ムンとした熱気と明るい日差し。必死に階段を駆け上り、伯父さんの元に急いだ。おれを黒い視線で射竦める女が追いかけてくるようで、後ろは振り返られなかった。
という夏休みの思い出――入道雲が支配する青空もなく、麦わら帽子とワンピースとでかいヒマワリを装備した美少女もない、なんとも薄ら寒くほの暗い思い出が、頭に浮かんだ。
数年ぶりに、その大阪在住の伯父さんから連絡をもらった時に。
「泉の広場の噴水がなぁ、来年撤去されんねん~。めっちゃ悲しいわ」
加齢と共にテンションの高さに磨きがかかった伯父さんが、クソデカボイスで訴えてきた。
噴水の撤去は、地下街の大規模改修に伴って……だそうだ。
「もう待ち合わせ場所がビッグマン前しかあれへん……あっこもコビッグマンしかないのに……時計の広場はワシらにはどうも馴染めん……」
おいおい嘆く伯父さんをスルーして、つい思いついたことを口走っていた。
「おれ、もうすぐ夏休みなんだけど、ちょっとそっち行っていいかな?」
「えっ? 大阪にか?」
「うん」
専門学生の夏休みなんて、あってなきが如しだ。
課題も多いし、作品づくりの資金稼ぎのバイトだってある。やることは山積みで、のんきに旅行なんか行ってる場合じゃない。
でも。
どーしても気になっていた。
「おう、ええで。うち泊まり。仕事やから迎えには来られへんけど」
もう十九歳なんだからその辺は心配ご無用、と返した。
そんなわけで、おれは必死でやりくりをして、七月の頭に再び大阪に赴いた。
七年ぶりの大阪。新大阪駅も改装されて、どこもかしこも綺麗になっていた。
おれはJRに乗って、さっそく大阪駅に向かう。梅田ダンジョンも昔よりは案内板が増え、攻略の難易度が若干下がっていた。
あの時の同じ、真っ昼間。
果たして、泉の広場に『あれ』はいるんだろうか。
泉の広場は、去りゆく噴水を惜しんで写真を撮る人たちだらけだった。
甕を持った少年の像はオークションにかけられているらしい。大阪人っぽい発想だな、とちょっと思う。
カシャッ。噴水の西側で女子高生らしいグループが、自撮り棒を駆使して噴水を背景にピースしている。
カシャッ。黒ずくめの服装の中年男性が、大仰な一眼レフを構えている。
カシャッ。年齢不詳な女性が、何故かぬいぐるみと一緒に噴水を撮影している――それを目にした時、ひどくにぶい『赤』がおれの目に焼きついた。
いた。
赤い服の女だ。
多くのカメラが向けられる噴水の傍に、記憶と寸分変わらない、分厚い赤いコートを着た女が立っていた。
(やっぱり誰も見えてない、か……)
覚悟していただけあって、頭は冷静だった。そもそも、おれの目的はこれだ。
赤い服の女を、見にきたのだ。
野次馬根性じゃない。見納めとかじゃない。気になったのだ。
赤い服の女は、この噴水がなくなったら……
「!」
女がこちらを見た。まっくろな両目で、おれを捉えた。
見つかってしまった。女はあの時のように近づいてくる。人の間を縫って、おれとの距離をどんどん詰めてくる。カシャッ。カシャッ。カシャッ。あちこちからシャッター音が連続した。彼ら彼女らのカメラに、あの女は写ってるのだろうか。
おれはとっさに近くの百円ショップに逃げ込んだ。狭い店内の奥に行き、物陰に隠れる。
女は追ってこないようだ。
「……」
少し経ってから、店の外に出た。
人々の雑踏、さぁあああああ、と噴水の水が放出される音、……噴水周辺を見渡して、あのにぶい赤を探そうとした時だった。
おれの鼻先に、赤い服の女が通り過ぎた。
「⁉︎」
声も出せずに後ずさる。と、赤い服の女の『前』を歩く男がこちらを見た。
リーマンっぽい三十代くらいの男が訝しげな表情を一瞬だけ向ける。すぐに前を向いて、サクサクと歩いていった。
……背中に、赤い服の女をピッタリとつけて。
(ついていった、のか……?)
その後、とうとう赤い服の女を見ることはなかった。
伯父さんの家に一泊した翌日も、その姿はどこにもなかった。
赤い服の女は、
噴水よりも先に泉の広場から去ったのだ。
「とりあえず、疑問は解消された……のか?」
伯父さんから噴水がなくなると聞いて、おれが抱いた疑問。
赤い服の女は、どうなるのだろう。
昔からずっと同じ場所にいた幽霊が、その場所を失ったら、どうなるんだろう。
気になったのだ。
ホラー映画好きとして。というより、ホラー映画監督志望として。
(あのリーマンの家まで、ついていったのかな……)
棲みつく場所が『泉の広場の噴水』ではなくなった。
だから、あの女はもう『泉の広場の幽霊』ではないのでは?
つまり実質、『泉の広場の幽霊』は消えたことになるんだろうか?
これは『怪異の消失』と定義すべきか? 誰か教えてえらいひと。
そこから数ヶ月経ち、ネットニュースで噴水は撤去されたことを知った。
新しくできたのは、泉の広場を模した『ウォーターツリー』と呼ばれる場所だ。光で『木と水』というモチーフを繊細に表現している。
動画で観たけど、モダンかつオシャレ。インスタ映え待ったなしって感じだ。
最初、伯父さんは「馴染まれへん! 俺たちの泉の広場を返せ!」とか抜かしていたが、新しくできた彼女(ピチピチギャル(死語)らしい)が気に入ったらしく、見事に手のひらを返して自撮りツーショを死ぬほど送ってくる。つらい。
ただ、伯父さん曰く。
新たな姿となった泉の広場に、新しく幽霊の目撃証言が出た――という。
でも今度は、若い男だとか小さな子どもだとか、言われているらしい。
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