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ばけものたちの正体

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7.

 ――『もう二度と会えない予感』は、案外あてにならなかった。

「あ」
「あ」

 惨劇から一夜明けた、翌日の昼。
 七虹は駆けつけた警察からやっと解放され、迎えに来た両親と共にS高原の最寄り駅から都会に帰る始発電車に乗った。
 その直後、ボックスシートに座る大和と椿に出くわした。
 といっても、椿は大和の膝に頭を載せ、スヤスヤ寝入っていたが。

「『消える』んじゃなかったの……?」
「……ゆうべ山を下りた時点で電車がもう無かったんだよ。しゃーねーから駅前の銭湯入ってその辺で野宿して、気づけばこんな時間になってた」

 悪いか、と大和は睨む。誰もそんなこと言ってないのに。
 そして薄々気づいていたが、この少年は口が悪い。

「七虹? どうした?」
「あら、そちらはお友達?」

 両親が心配そうな顔を向けてくる。七虹はすぐに両親のもとへ戻ろうとしたが、ふいに足が止まった。
「う、うん。ちょっと話したいの。お父さんお母さん、別の車両に行ってて」
 しどろもどろで理由をつける。大和が明らかに嫌そうな表情になった。
 両親は眉根を寄せ、逡巡していたが、七虹が言葉を重ねると了承した。
 甘い親でよかった、と七虹は思った。
 両親の姿が見えなくなると、七虹は、大和と向かい合うようにシートに座った。

「あんな優しそーな両親なのに、親不孝だな、あんた」
 大和がぼそっと嫌みを投げてくる。胸がちくっとした。
「うん。……ほんとにバカなことしたなって反省してる」
「あっそ」

 大和は七虹と視線も合わさない。ずっと椿の寝顔に目を落とし、指先でその触り心地のよさそうな髪をもてあそぶ。

「椿ちゃん、よく寝てるね」
「泣き疲れてな」

 涙が出ない体質だけど、と大和が付け加える。

「泣き疲れた?」
「……一ノ宮さんと三井さんを助けられなかった、って」

 ガタン、と車体が揺れ、電車が夏の日差しの中を出発する。

「あくまで標的は『人魚』と『グロススタジオ』の連中だけだったから、無関係な二人を助けられなかったのが相当悔しかったらしい」
「標的?」

 どういうことか聞くと、大和は顔を背けた。

「ねえ、標的って何?」
「……」
「あなたたちは誰かに頼まれて、あそこに行ったの?」
「……」
「ねえってば!」

 ガン!

 大和が七虹が座るシートを蹴った。
「でかい声出すな。椿が起きるだろ」
 忌々しそうに言い放つ。七虹は少なからずショックだった。こんなに邪険に扱われたのは初めてだ。
「……ごめんなさい」

 あからさまな敵意を真っ正面から受けて、七虹の意気が沈んだ。
 早く逃げ出して、優しい両親のもとに帰りたくなる。
 そうすればいい。
 そうするべきだ。
 ――でも。

「教えてほしいの。あなたたちが、どういう存在なのか」

 大和が、嫌悪感をにじませた目を少し開く。

「何でそんなに知りたがる? 別に知らないままでいいだろ。あんたはめでたく元の平和な日常に戻れるんだから。全力で忘れろよ」

 そうすれば、今までどおり生きていける。
 そう続けられて、七虹はゆるく首を振る。

「箱入りは、もう嫌だから……」

 今回危ない目に遭ったのは、七虹の世間知らずが原因だ。
 変わりたいと思って起こした行動だったのに、肝心の飛び込み先についてちっとも調べなかった。バカだ。本当に。
 知ることができたのに知ろうとしなかったから、自らを危険に晒した――。
 だから、知ることができる機会を無為にしたくなかった。
 拙い言葉でその正直な気持ちを伝えると、大和は鼻を鳴らした。
「話してやる義理もないけど、まあいいか」


 窓の外には田園風景が広がっている。今日も暑くなりそうだ。

「あなたたちは、その、どういう種類の『化け物』なの?」
「どういう種類?」
「妖怪とか、あやかしとか、モンスターとか、いろいろあるじゃない」
「知らね」

 短い返答の後、「本当に分からない」と重ねられた。

「オレも椿も、自分たちが何ていう生き物なのか知らない。ただ、姿形は人間で、殺されても死なない生き物だってことくらいしか」
「あなたたち以外も、いるの?」
「何人かいる。で、全員で協力してひとつの商売をやってる。この死なない身体にぴったりの」
「商売? ……仕事?」
「『化け物』退治」

 電車がトンネルの中に入った。
 車内が暗く染められる。
 眼前の『化け物』たちの姿が見えにくくなる。
 トンネルを抜けると、明るさを帯びてきた日差しに照らされた大和が目に入った。やはり美しい姿をしていた。

「今回退治すべき『化け物』は、『人魚』とグロススタジオの連中。フリークス科とヒト科の『化け物』」
 フリークス。
 奇形とか異形という意味だったか。一般的な、人外の『化け物』を指すのだろうか。
「両者がうまい具合にかち合うってんで一石二鳥だと思ったんだけど、予想よりキツかった。椿は手首食われるし」
 言われて、椿の失われた右手に注目した。手当てし直したようだが、それでも痛々しい。

「椿ちゃんの手……大丈夫なの?」
「完全復活するのには時間がかかるな。少なくとも三日は」

 七虹は声を上げるのをなんとか堪えた。三日。たった三日で元通りになるというのだろうか。
 新しい手首が生えてくるのだろうか……と想像して、めまいがした。

「あんたみてーな守られてる人間には分かんねーだろうけど、この世は『化け物』だらけだよ」
「そう、ね。仁藤さんたちとか」
「ヒト科じゃねーよ。オレたちみたいなのだよ」
 電車が駅で停まった。駅のホームに何人か乗客の姿が見える。
「たとえば、あれ」
 杖をついて、ヨボヨボ歩くおじいさんを指さす。
「あれもオレたちと同じ、姿だけは人間の『化け物』」
「!?」
 七虹が声を失うが、大和は「あのチビの中学生も」「あの若い駅員も」「あの厚化粧のオバサンも」と次々と指摘する。
 気のせいだろうか。彼ら彼女らが、一瞬こっちを見た気がする。

「人を食うタイプもいるから、気をつけろよ。ーーあんたは椿の恩人だから、一応忠告しとく」

 そう言って大和は瞳を伏せた。椿がむにゃむにゃと口を動かす。

「恩人って、あたしは何も……」
「夏みかんやったんだろ?」
「へっ?」

 七虹は目を見開いた。

「七虹さんがくれたんだって、嬉しそうに自慢された」
「……」

 ーーそんなことで?
 たったそれだけで、椿は七虹に感謝し、「守ります」と言ったのか。
 電車がまた動き出す。
 七虹は、涙が浮かぶのを抑えられなかった。胸がきしむ。七虹は夏みかんを椿に押しつけただけなのに、椿は。

 ――椿のことを、『持っているものが極端に少ない子』なのかもしれないと、七虹は思ったことがある。

 椿にとっては、夏みかんひとつもらうことがそんなに大きなことだったのか。有難いと喜ぶほどの。『健気』という言葉が浮かんだが、そんな言葉じゃ形容できない。

 携帯電話を持つこと。高校に通うこと。

 七虹が当たり前だと思っていたことが、当たり前ではない人たちがいる。

「泣くならどっか行ってくれ。うっとうしい」
 大和が容赦なく言い放った時、椿が身じろぎして、大きく上げた手で大和の頭をぺしっと叩いた。
「ん~……ひーちゃん、ひどいこと言っちゃだめ……」
 その言い方といまだに目を閉じていることで、単なる寝言と寝相だと分かったが、あまりにもタイミングがよすぎて。
「ふふっ……」
 笑いをかみ殺そうとしたが無理だった。
「笑うな」
 そう赤い顔で言う大和も、少し可愛く思えた。

 携帯電話が振動した。「まだお友達と話し中?」という母からのメッセージだ。
 そろそろ戻ろうとした時、ふいに大和がひとりごちた。

「……腹減った」
 ぐぅ、と大和のおなかが鳴る。一瞬身構えかけたが、この子たちは人を食べるタイプの『化け物』ではないと思い直す。
「ごはんは普通に食べるの?」
「食わなくても死なないけど、空腹感はある。クソ厄介」

 どうせなら空腹感もなくなりゃいーのに。小さな声で大和が続ける。
 そうなんだとしか言えず、七虹は席を立った。別れの言葉に大和は何も返さなかった。椿の寝顔が視界の端に最後まで残った。
 両親のもとに戻ると、「大丈夫か」を連発された。
 笑顔で応えると、電車が次の駅に停まった。

 売店が見える。

(……)
 七虹は両親に断りを入れ、急いで売店へ駆け込んだ。
 買い物を済ませると、椿と大和のところに行く。

「よかったら、これーー……」

 言い切らぬうちに七虹は自分の口をふさいだ。

 先ほどと変わらず、椿は大和の膝枕で寝ている。そして大和もぐっすりと寝入っていた。

 他の乗客がくすくすと笑う。「可愛い」という声もちらほらと。

 日に透けてはちみつ色に見える椿の髪。いい夢を見ているのかうっすら微笑んでいる。
 先ほどまできりっと引き結ばれていた大和の口元が綻んでいる。

 見ているこっちがあたたかくなるような。
 赤ん坊のように無邪気な二人の寝顔。

 いったい誰が、この子たちを『化け物』だなんて思うだろう。

「……ありがとう」
 七虹はふたりの傍に、そっと、ビニール袋に入った弁当やおやつを置いた。
 身を寄せ合って眠る、言葉が通じて心も通じる『化け物』たちに、感謝の言葉をささやいて。
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