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第三話 王子さまのキスは打算の味

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 小早川くんが案内してくれたのは部室棟と呼ばれる建物の三階の一番奥にある部屋だった。ロボット研究部という看板のかかったその部屋は入る前から異様な気配を醸し出していた。
 他の部室の扉よりも明らかに重厚そうな扉。南京錠や暗号鍵、カードリーダーなどの複数の鍵。中からはゴウンゴウンとなにかが動く音。そして、ひんやりと冷たい空気がその扉から漏れだしている。
 お化け屋敷みたいで怖くなって、隣の水戸くんに話しかけようとしたら、彼は何故かその扉の前に立っていた。

「鍵を開けるから下がれ。私の前に立つな」

 小早川くんを無視して、水戸くんはコンコンと扉をたたく。

「蹴り破れるかな」
「……ハ?」

 小早川くんの鈴のような声がこぼれたときには、既に水戸くんの長い脚は扉を蹴りつけていた。踵から全体重をかけて落とされたその蹴りに、ドアがゴオンと大きい音が立て、地面までもが揺れる。

「私の後ろにいろ」

 思わず縮こまった僕の前に、小早川くんは立ってくれた。
 僕よりも小柄で華奢な彼は、背筋をまっすぐ伸ばし、堂々と立つ。その背中は僕は少し安心させた。

「本気で蹴ったんだけどな、歪みもしないか」

 水戸くんはどこか楽しそうな声色で呟いた。たしかにその大きな扉は水戸くんの蹴りをものともせずにそこにあり続ける。でも、なんで蹴ったのかわからない僕はとても怖かった。

「ただの部室にしちゃ厳重だな。今度は何を隠し持ってるのかな、坊っちゃん」

 僕が小早川くんの服の袖をつかむと、小早川くんは僕の手を握ってくれた。魚みたいに冷たく、その指は細い。

「……ロボット研究には金と時間がかかる。迂闊に入った部外者に壊された場合、賠償金を請求せねばいけなくなる。だから厳重にしているだけだ。お前が疑うようなものは、ない」

 小早川くんの言葉に水戸くんは髪をかきあげ、頭を掻く。水戸くんの耳たぶには二つの穴を貫通するように金属片のようなピアスがつけられている。目を伏せた水戸くんの横顔は、一瞬、機械みたいに冷たく見えた。

「マア、信じてやるか」

 けれど、こちらを見るときにはもう彼はいつものように笑っていた。

「……つーかなんでお前ら手つないでんの? ずるくね? 俺をハブるなよ」

 水戸くんはいつも通りだ。それがより一層怖かった。
 僕が小早川くんの腕にしがみつくと、水戸くんは「えー、どうしたよ」と本当に不思議そうに尋ねてくる。ヒ、と息を飲んだ僕の背中を、小早川くんがトン、トンと叩いてくれた。

「水戸、怖がられている」
「……アー、そういやそうか。羽山、ごめんな」
「……なんで謝るの?」
「考えなしなことをしたから」

 水戸くんは僕の足元にぺたりと座ると「ごめん」ともう一度言って頭を下げてくれた。
 足元に座り込んだ彼の頭を見る。彼は顔を上げることもなく、動くこともなく、頭を下げ続けていた。僕は少し悩んでから、その、彼のつむじを押した。

「いて」

 彼が僕を見上げた。その顔は笑っていて、もう怖くはなかった。

「……もうしない?」
「もうしない」
「……わかった」

 水戸くんはにんまり笑うと、ゆっくり立ち上がった。僕は今になって、彼の首や肩が太いことに気がついた。着やせしているけれど、多分、彼は相当鍛えている。
 水戸くんは僕の頬を手の甲で撫でる。

「ほんと、ごめん。俺、ヤンキーから成長できてないな」
「ヤンキーなの?」
「元だよ、元。でもまだヤンキーじゃない人の正解がわかってないんだ。俺が間違えたら教えてくれ。すぐ直す」
「……信じてあげよう」

 水戸くんの手を、さっき小早川くんとしてたみたいにつなぐと、彼は嬉しそうに笑った。その素直さは小学生みたいだと少し思った。

「さて、……では、もう余計なことはしないな?」

 小早川くんの言葉に僕らは頷いた。小早川くんは僕らの顔を見てから深く頷く。

「よろしい。では開けるぞ」

 彼はいくつかの鍵とセキュリティカードとパスワードを使って、ロボット研究会の部室の扉を開いた。
 部屋の中からあふれでてきた冷気に産毛が逆立つ。

「「おおー……」」

 僕と水戸くんは同じような声をあげた。
 部室には作業スペースと作りかけのなにかや、恐らく部員分はあるPCとモニター、そうして奥にはガラス張りのセキュリティールームもあった。とても充実している設備だ。
 しかもセキュリティールームで静かに動いているものに僕は覚えがあった。

「うそ……すごい!」
「おい、はしゃぐな。走ると危ないぞ、羽山、っておーい……聞いてないな……一瞬でおてて離されたー」
「失恋だな、水戸」

 思わずガラスに駆け寄り、その向こうをじっと見てしまう。

「なに? なんかあるのか?」
「たくさんあるよ!!」

 ついてきてくれた水戸くんも僕と同じようにセキュリティールームの向こうを見たが、彼にはよくわからないらしい。しかし僕は『宝の山』に興奮してしまっていた。

「小早川くん! もしかして、あれパルファミリア!?」
「ホウ。よく知っておるな」
「大人になったら買おうって思ってたんだ! 実際、運用費ってどのくらいかかる? 電力どのくらい使うの? 同時並行でどのくらいまで試算できる? あ、あれはサーバー? ここってどういう構成になってるの? 今試算しているのはなに? アッ、あそこにおいてあるのは初代のクルーファニアじゃない! どんなカスタムしてるの! 中が見たい! 僕は二台目のクルーファニア持ってるんだけど、初代の方がカスタムの幅が広いって後から知ったんだよね。僕、三足歩行させたくて……あ、」

 振り返ると、僕の後ろに立っていた小早川くんと水戸くんが目を丸くして僕を見ていた。彼らは僕の視線に気がつくと、ほっと息を吐いた。

「なんだ。全然元気そうじゃん」
「ふむ、……羽山はそのような者なのか」

 そんな二人の反応に、『やってしまったこと』に気がついた。

「……ごめんなさい、僕、……き、もちわるかったよね……一人で興奮してベラベラ喋って……調子乗るなって、ゴホッ、感じだね……ごめんなさい、あの、僕、……ゴホゴホッ」
「いやいや、突然どうした。大丈夫かよ?」

 苦しくて咳き込むと、水戸くんが大きな手のひらで僕の背中を撫でてくれた。彼は咳き込む僕に優しく微笑む。

「ゲホッ……ごめん、なさい、……」
「……しゃーねえな……はい、ぎゅー」
「ひぇ!?」

 水戸くんはいきなり僕を抱き締めた。甘くて苦い水戸くんのいい匂いに包まれて、意味がわからなくて、顔が熱くなる。

「ゆっくり息しろ。暴れんな」
「えっ、なん……ゴホッ、うぎゅうっ離してっ!」
「大丈夫だから落ち着け」

 叫んでも彼はやめてくれない。それどころか頬擦りしたり、鼻やら額やら目蓋やら頬やらに、風みたいなキスをしてくる。
 ふざけているのはわかるが、僕は今までこんなふざけ方をするタイプとは付き合ってこなかったから対応がわからなかった。水戸くんは顔がきれいだし、照れるし恥ずかしいしすごく困る。
 顔が真っ赤になっている気がする。それでも彼はやめてくれない。

「離してってば……」
「どうどう。落ち着けって……」
「落ち着かないよこんなの……!」
「じゃあ、ちゅーだな」
「なんでそうなるの!」

 次第に大きい犬と戯れている気になってきた。なら犬にする対応でいいかと彼の頬をつかむ。彼の唇がムニとゆがむ。

「突然なんなのさ!」
「俺のことはお母さんとお呼び」
「いやだよ!? 意味がわからないよ!」

 なにかを聞いたら、より一層わけがわからなくなった。「離してよ」と彼の胸を軽くたたくと、「本当に大丈夫か?」といいつつも離れてくれた。

「本当に……なんなの、いきなり……」
「過呼吸ではないな?」

 水戸くんを見上げると水戸くんは真顔だった。

「もしかして……ふざけてたんじゃなくて心配してくれてたってこと?」
「そりゃいきなりあんなに苦しそうに咳き込まれたら心配はするだろ」
「そ、れはごめん……」
「だからなんで謝る? あ、もしかしてあれか。いじめられるとか思ってんの? ねえよ、そんなこと。小早川だって相当極まってるけどいじめられてないだろ?」

 失礼な水戸くんの物言いに小早川くんは真顔で頷いた。

「この学校にそんな暇人はいない。お前が楽しそうに話しているところは好感がもてた」
「……本当?」
「私は真実しか話さない」

 小早川くんは真顔だった。
 どうやら本当に、気持ち悪いとは思われていないらしい。ほっとした。すごく、ほっとした。

「……ありがとう」
「礼をいわれることもない。では質問に答えよう。……しかし、水戸はパルファミリアとクルーファニアについては知っているか?」

 水戸くんが首を横にふると小早川くんは一台のPCを起動し説明を始めてくれた。

「パルファミリアは個人所有が現実的なスパコン、クルーファニアはシングルボードコンピューター搭載のカスタム前提のロボットキットだ。初代はCPU以外分解可能でカスタム幅が広かったが二台目は初期から歩行可能な分、分解できない箇所が増えている」
「へー、そんなのあるのか。面白そうだな」
「どちらも日本ではあまり使われていないが、海外では教育現場で使われているものだ。さてと、……このパルファミリアについてだったか。まず、運用費はどれ程使うかによるが、ここでは月十万にはおさえている。電力は他システムを圧迫するほどは使用していないな。構成としては……設計書を見せよう。羽山、これでわかるか?」
「うん! あー、……こう組んだのか……でもこのツールって脆弱性指摘されてなかったけ?」
「確かに大量データの扱いは不得手なツールだ。しかしここではそこまで大きな試算はしないからな、部費との兼ね合いだ」
「なるほど……ここのスケーリングって……あ、」

 出された構成図を見ながらそこまで話して、思い出して水戸くんの顔を見上げる。彼は僕の視線に気がつくと「ん?」と首をかしげた。

「……水戸くん、わかってる?」
「心配してくれたのか。ありがとうな、ちゅーしてやろうか?」
「本当にやめて」
「アハ、ごめんな。大丈夫だよ、ついていけてるからさ」

 水戸くんはそういいながら、僕の頭をくしゃくしゃと撫でる。

「……水戸くんって、なんですぐ触るの? 僕、過呼吸起こしてないよ?」
「今は触りたいから触ってるけど?」
「え? なんで?」

 僕が首をかしげると彼も首をかしげた。彼は首をかしげたまま小早川くんを見る。

「ハグもちゅーも親愛だよな、小早川?」
「私にそのようなことをするのはお前だけだ。……親でもしない。普通は恐れる」
「普通ね……もしかしてずっと嫌だったか?」
「……嫌ではない」
「じゃあハグしようぜ。愛の証明だ」
「赦してやろう。来るがよい」

 小早川くんが腕を広げると、水戸くんは自然に彼の腕の中に進み、ためらわずに彼を抱き締め、ぽんぽんと頭を撫でた。小早川くんはそんな水戸くんの背中をぽんぽんと撫でる。日本ドラマでは見られない完璧なハグだ。
 それどころか水戸くんはクスクス笑いながら、さっき僕にしたみたいに小早川くんの顔にキスをする。小早川くんは目を閉じてそれらを受け、「水戸」と声をかけると、今度は水戸くんの頬に軽いキスを返した。
 すごく綺麗な顔をした二人がそんなことをやっている。僕はなんだか見てはいけないものを見せられた気分になった。

「こんなところかな」
「ではやってみろ、羽山」

 海外ドラマから出てきたような彼らが僕を見ている。だから僕は笑顔ではっきりと返した。

「無理」

 彼らは僕の回答に目を見合わせたあと、「そりゃ残念」と笑った。
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