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第六章「そして山百合は咲きこぼれる」
第十六話「ひとりぼっちの戦い」
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三瓶セントラルロッジの会議室で、私は心細く座っていた。
これからペーパーテストが始まる。
大会では同時に四種類のテストが行われるので、全員がバラバラの場所でテストを受けないといけないのだ。
ずっと四人でいたので、私は知らない人たちの中で緊張していた。
その時、視界の端に大きな影が入り込む。
ふと見上げると、そこには五竜さんが立っていた。
「おや。ましろさんも『自然観察』の担当ですか。……奇遇ですね」
「ご……五竜さん……」
「お隣、よろしいですか?」
彼女の目には光が灯っておらず、何の感情も見えてこない。
心細い上に五竜さんが隣となると、私のストレス値が跳ね上がりそう。
だけど断るのも空気が悪くなるので、「はい」とうなづくしかなかった。
「先ほどのテントの設営では、恥ずかしい姿を見せてしまいましたね。いやあ、参った参った」
「あは、は……」
「ところであの時の百合プレイですが……」
五竜さんはそう言いながら、首を伸ばすように接近してきた。
「アレは……わたくしに向けた、意図的なものだったのですか?」
まるで問い詰めてくるような言葉遣い。
わざとだと伝えれば、どうなるんだろう。
別に、ルールに反したことはしていない。責められるいわれはない。
だけれど、五竜さんの目はとても険しいものだった。
「どうなのですか?」
「い……意図、してません……」
「おやおや。震えていらっしゃる。またトイレでも我慢されているのですか?」
その問いに応える言葉が出てこない。
いつも助けてくれる美嶺はいないし、慰めてくれるほたかさんも千景さんもいない。
そんな状態で五竜さんに立ち向かうだなんて、できるはずがなかった。
そしていざ問題用紙が配られた時、私の頭の中は真っ白になっていた。
ダメかもしれない。
……その言葉だけが頭の中を渦巻いていた。
△ ▲ △ ▲ △
私の名前は『ましろ』……。
試験になれば頭の中が真っ白になる、本番に弱いダメ人間。
……思い起こせば、高校受験のときだって同じだった。
八重垣高校を受けるときは二番目の候補なんて思いつかなかったから、一校だけにしぼった。
滑り止めがない緊迫感が祟ったせいか、問題用紙を見た時点で頭の中が真っ白になったのだ。
まともに回答なんてできるはずもなく、合格できたのが今でも信じられない。それがたとえ、補欠合格だったとしても。
今、目の前には『自然観察』の問題用紙が広がっている。
字が書いてあることは分かるけど、文字の上を目が滑るばかりで、内容が全く頭に入ってこない。読み込もうとすればするほど、視線がふらついてしまう。
なんでこんなことになってるんだろう。
たった一人でやらないといけないから?
五竜さんとの勝負だから?
隣に五竜さんが座ったから?
……それはきっかけでしかない。
おおもとにある問題は私の心の弱さに違いない。
高校受験はどうやって乗り切ったんだっけ?
そのことに考えを巡らしたとき、筆入れの中に一本の鉛筆が入っていることを思い出した。
鉛筆のお尻の部分に穴をあけて、サイコロとして使えるようにしてある。
受験の時はこのサイコロ鉛筆を転がしまくって、運よく補欠合格のラインを獲得できたのだった。
幸いにも、自然観察の問題は答えを欄内の候補から選択する方式。
私は自分の運にすべてを賭けようと、サイコロ鉛筆を握りしめた。
その時、みんなの言葉がよみがえってきた。
『自由にヒカリになれれば、それだけで役に立つ。だから……慣れるため』
『体力的なところはアタシに任せとけばいいんす』
『みんな……本当にありがとう。わたしは体調の回復に専念しつつ、絶対に読図も記録も、そのほかのことも完璧にやってみせるねっ!』
……みんな、自分の力を振り絞って頑張っていた。
みんなが一生懸命になっているのに、自分は運任せでいいのだろうか。
ほたかさんがせっかく勉強を教えてくれたのに、放り出していいのだろうか。
(あうぅぅぅ……。思い出せ、ましろ! ほたかさんとの熱いキッスを!)
ぎゅっと目をつむり、唇に触れた。
この唇の刺激をほたかさんの唇だと思え。
妄想の力を振り絞り、脳内にほたかさんのお部屋を再現する。
(あぅぅ~…………)
あの日開いていたテキストを思い出せば、そこに答えが書いてある!
山を擬人化妄想すればいいと、自分自身も言ってたはず!
(ううぅぅ~……見えたっ!)
ほたかさんのお部屋の光景が広がった。
目をつむれば、目の前にほたかさんが笑っている。
そして手元には登山大会のテキストが見える。
もう大丈夫だ。
ほたかさんの笑顔に見守られれば百人力。
私は鉛筆をしっかりと握り、問題用紙に向かう。
頭はさえわたり、さっきまでの苦悩が嘘のように、すらすらと答えがわかり出した。
問題文を読むごとに、今日の登山の景色もよみがえってくる。
みんなとの思い出がよみがえってくる。
『おっきな建物ですね! なんか、いっぱいアンテナが付いてる……』
『テレビとラジオの……中継基地』
『ましろちゃ~ん……。男三瓶はあってるけど、その横にあるのは子三瓶で、真ん中の池は室ノ内池だよっ』
『……ましろ。自然観察の勉強、大丈夫なのかぁ~?』
『あ……! これこそ姫逃池ですね、ほたかさん!』
『うん、大正解~っ。ちょうどカキツバタが咲いてて、きれいだね~』
……わかる。
わかる!
林の中で見た植物も、山頂の標高も、土地の名前も名産品も!
それぞれが思い出と結びついている。
わたしは一人じゃない。
別々の場所にいても、私はみんなに支えられている……!
「でき……た……」
テストの時間が終わると同時に、答案用紙はきれいに埋めることができた。
時間がギリギリだったから見直しはできないけど、今の自分にはこれが精いっぱいだ。
無事に終わり、心から安堵することができた。
△ ▲ △ ▲ △
「ふむ。自生する植物が間違っているものの、あとは正解のようですね」
試験が終わって席を立つときに、五竜さんがつぶやいた。
彼女の視線は私の答案用紙にそそがれている。
「あぅぅ……。間違ってましたか……」
「嘘です。パッと見る限り、全問正解していますよ」
私が落ち込むや否や、すかさず「嘘」と返してくる。
全問正解と言われたことに安堵しつつも、意地悪なことを言われたのだと分かり、私は頬っぺたを膨らまして抗議した。
しかし五竜さんは顔色一つ変えない。
「わたくしを罠にはめたので、ささやかなお返しですよ。……試験もテントも、頑張りましたね」
罠……。
それは間違いなく、テントを張るときに五竜さんの目の前でイチャイチャして見せた行為の事だろう。
「やっぱり意図的だったこと、バレますよね……」
「あくまでも、わたくしの特製を見抜いてのファインプレー。でも、二度とは繰り返しません。わたくしたちの勝利は揺るいでおりませんので」
それだけを言い、背中を向けて立ち去っていく。
五竜さんは勝利という結果にしか興味がないと言う。明日の競技はいっそう厳しいものになるに違いない。
だからこそ、テントの審査での五竜さんの油断が信じられなかった。
「あ……あの!」
「……なにか、用ですか?」
五竜さんは私に背を向けたまま、首だけをひねって私を見た。
私とかわす言葉はないと言いたげだ。
でも、気になって仕方がなかった。
「……五竜さんは、なんで私たちのチームをそんなに見てるんですか?」
「決まっています。百合を見ることが何よりもの喜びだからですよ」
「でも、だったら五竜さんのチームの皆さんだけで十分じゃないですか。私たちを見るまでもないですよ」
五竜さんのチームには双子の百合カップルやつくしさんがいて、とても楽しそうだ。それなのに、思い起こせば開会式の前やトイレ休憩のとき、そして女三瓶の頂上でも五竜さんは私たちにからんできていた。
五竜さんはしばらく沈黙したあと、私から視線を外してつぶやいた。
「うらやましいだけですよ」
「うらやましい?」
その言葉が何を意味するのか分からず、聞き返す。
しかし五竜さんは「では」と言い、そのまま立ち去って行った。
静まり返った会議室の中で私はたたずむ。
何がうらやましいんだろう。
私なら素敵な人が隣にいてくれるだけで満ち足りた気分になるのに、それだけでは足りないのだろうか?
彼女が出ていった部屋の扉を、私は見つめ続けた。
これからペーパーテストが始まる。
大会では同時に四種類のテストが行われるので、全員がバラバラの場所でテストを受けないといけないのだ。
ずっと四人でいたので、私は知らない人たちの中で緊張していた。
その時、視界の端に大きな影が入り込む。
ふと見上げると、そこには五竜さんが立っていた。
「おや。ましろさんも『自然観察』の担当ですか。……奇遇ですね」
「ご……五竜さん……」
「お隣、よろしいですか?」
彼女の目には光が灯っておらず、何の感情も見えてこない。
心細い上に五竜さんが隣となると、私のストレス値が跳ね上がりそう。
だけど断るのも空気が悪くなるので、「はい」とうなづくしかなかった。
「先ほどのテントの設営では、恥ずかしい姿を見せてしまいましたね。いやあ、参った参った」
「あは、は……」
「ところであの時の百合プレイですが……」
五竜さんはそう言いながら、首を伸ばすように接近してきた。
「アレは……わたくしに向けた、意図的なものだったのですか?」
まるで問い詰めてくるような言葉遣い。
わざとだと伝えれば、どうなるんだろう。
別に、ルールに反したことはしていない。責められるいわれはない。
だけれど、五竜さんの目はとても険しいものだった。
「どうなのですか?」
「い……意図、してません……」
「おやおや。震えていらっしゃる。またトイレでも我慢されているのですか?」
その問いに応える言葉が出てこない。
いつも助けてくれる美嶺はいないし、慰めてくれるほたかさんも千景さんもいない。
そんな状態で五竜さんに立ち向かうだなんて、できるはずがなかった。
そしていざ問題用紙が配られた時、私の頭の中は真っ白になっていた。
ダメかもしれない。
……その言葉だけが頭の中を渦巻いていた。
△ ▲ △ ▲ △
私の名前は『ましろ』……。
試験になれば頭の中が真っ白になる、本番に弱いダメ人間。
……思い起こせば、高校受験のときだって同じだった。
八重垣高校を受けるときは二番目の候補なんて思いつかなかったから、一校だけにしぼった。
滑り止めがない緊迫感が祟ったせいか、問題用紙を見た時点で頭の中が真っ白になったのだ。
まともに回答なんてできるはずもなく、合格できたのが今でも信じられない。それがたとえ、補欠合格だったとしても。
今、目の前には『自然観察』の問題用紙が広がっている。
字が書いてあることは分かるけど、文字の上を目が滑るばかりで、内容が全く頭に入ってこない。読み込もうとすればするほど、視線がふらついてしまう。
なんでこんなことになってるんだろう。
たった一人でやらないといけないから?
五竜さんとの勝負だから?
隣に五竜さんが座ったから?
……それはきっかけでしかない。
おおもとにある問題は私の心の弱さに違いない。
高校受験はどうやって乗り切ったんだっけ?
そのことに考えを巡らしたとき、筆入れの中に一本の鉛筆が入っていることを思い出した。
鉛筆のお尻の部分に穴をあけて、サイコロとして使えるようにしてある。
受験の時はこのサイコロ鉛筆を転がしまくって、運よく補欠合格のラインを獲得できたのだった。
幸いにも、自然観察の問題は答えを欄内の候補から選択する方式。
私は自分の運にすべてを賭けようと、サイコロ鉛筆を握りしめた。
その時、みんなの言葉がよみがえってきた。
『自由にヒカリになれれば、それだけで役に立つ。だから……慣れるため』
『体力的なところはアタシに任せとけばいいんす』
『みんな……本当にありがとう。わたしは体調の回復に専念しつつ、絶対に読図も記録も、そのほかのことも完璧にやってみせるねっ!』
……みんな、自分の力を振り絞って頑張っていた。
みんなが一生懸命になっているのに、自分は運任せでいいのだろうか。
ほたかさんがせっかく勉強を教えてくれたのに、放り出していいのだろうか。
(あうぅぅぅ……。思い出せ、ましろ! ほたかさんとの熱いキッスを!)
ぎゅっと目をつむり、唇に触れた。
この唇の刺激をほたかさんの唇だと思え。
妄想の力を振り絞り、脳内にほたかさんのお部屋を再現する。
(あぅぅ~…………)
あの日開いていたテキストを思い出せば、そこに答えが書いてある!
山を擬人化妄想すればいいと、自分自身も言ってたはず!
(ううぅぅ~……見えたっ!)
ほたかさんのお部屋の光景が広がった。
目をつむれば、目の前にほたかさんが笑っている。
そして手元には登山大会のテキストが見える。
もう大丈夫だ。
ほたかさんの笑顔に見守られれば百人力。
私は鉛筆をしっかりと握り、問題用紙に向かう。
頭はさえわたり、さっきまでの苦悩が嘘のように、すらすらと答えがわかり出した。
問題文を読むごとに、今日の登山の景色もよみがえってくる。
みんなとの思い出がよみがえってくる。
『おっきな建物ですね! なんか、いっぱいアンテナが付いてる……』
『テレビとラジオの……中継基地』
『ましろちゃ~ん……。男三瓶はあってるけど、その横にあるのは子三瓶で、真ん中の池は室ノ内池だよっ』
『……ましろ。自然観察の勉強、大丈夫なのかぁ~?』
『あ……! これこそ姫逃池ですね、ほたかさん!』
『うん、大正解~っ。ちょうどカキツバタが咲いてて、きれいだね~』
……わかる。
わかる!
林の中で見た植物も、山頂の標高も、土地の名前も名産品も!
それぞれが思い出と結びついている。
わたしは一人じゃない。
別々の場所にいても、私はみんなに支えられている……!
「でき……た……」
テストの時間が終わると同時に、答案用紙はきれいに埋めることができた。
時間がギリギリだったから見直しはできないけど、今の自分にはこれが精いっぱいだ。
無事に終わり、心から安堵することができた。
△ ▲ △ ▲ △
「ふむ。自生する植物が間違っているものの、あとは正解のようですね」
試験が終わって席を立つときに、五竜さんがつぶやいた。
彼女の視線は私の答案用紙にそそがれている。
「あぅぅ……。間違ってましたか……」
「嘘です。パッと見る限り、全問正解していますよ」
私が落ち込むや否や、すかさず「嘘」と返してくる。
全問正解と言われたことに安堵しつつも、意地悪なことを言われたのだと分かり、私は頬っぺたを膨らまして抗議した。
しかし五竜さんは顔色一つ変えない。
「わたくしを罠にはめたので、ささやかなお返しですよ。……試験もテントも、頑張りましたね」
罠……。
それは間違いなく、テントを張るときに五竜さんの目の前でイチャイチャして見せた行為の事だろう。
「やっぱり意図的だったこと、バレますよね……」
「あくまでも、わたくしの特製を見抜いてのファインプレー。でも、二度とは繰り返しません。わたくしたちの勝利は揺るいでおりませんので」
それだけを言い、背中を向けて立ち去っていく。
五竜さんは勝利という結果にしか興味がないと言う。明日の競技はいっそう厳しいものになるに違いない。
だからこそ、テントの審査での五竜さんの油断が信じられなかった。
「あ……あの!」
「……なにか、用ですか?」
五竜さんは私に背を向けたまま、首だけをひねって私を見た。
私とかわす言葉はないと言いたげだ。
でも、気になって仕方がなかった。
「……五竜さんは、なんで私たちのチームをそんなに見てるんですか?」
「決まっています。百合を見ることが何よりもの喜びだからですよ」
「でも、だったら五竜さんのチームの皆さんだけで十分じゃないですか。私たちを見るまでもないですよ」
五竜さんのチームには双子の百合カップルやつくしさんがいて、とても楽しそうだ。それなのに、思い起こせば開会式の前やトイレ休憩のとき、そして女三瓶の頂上でも五竜さんは私たちにからんできていた。
五竜さんはしばらく沈黙したあと、私から視線を外してつぶやいた。
「うらやましいだけですよ」
「うらやましい?」
その言葉が何を意味するのか分からず、聞き返す。
しかし五竜さんは「では」と言い、そのまま立ち去って行った。
静まり返った会議室の中で私はたたずむ。
何がうらやましいんだろう。
私なら素敵な人が隣にいてくれるだけで満ち足りた気分になるのに、それだけでは足りないのだろうか?
彼女が出ていった部屋の扉を、私は見つめ続けた。
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