マトリョシカ

アジャバ

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懸命なる自己弁護 (一)

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 彼女は、Marihuanaのような女だった。

 いつか、フィリピンに留学していた友人が、Marihuanaの話をしてくれた事がある。彼はルソン島を、マニラからラオアグまで縦断する際に、その交通手段をヒッチハイクに拠った。ヒッチハイクという交通手段は、旅行者にまず間違いなく新しい出会いをもたらしてくれる。留学中ですべてから学ぼうと躍起になっている身にしてみれば、貴重な異文化交流の場という事にもなるだろうが、その出会いは、必ずしも有難いものであるとは限らない。彼の元に、雪のひとひらのように降って下りた出会いも、決して良きものではなかった。

 快く彼を後部座席に乗せたチェコ人の男は、重度のMarihuana中毒者だったのである。その男に勧められ、彼は、立ち寄ったパーキングエリアでMarihuanaを一吸いした。「ジョイント」と呼ばれる吸引法らしく、男に手渡された薬物は、奇妙な香りがする他は一見市販の煙草と見分けがつかなかった。
 彼は、日常、煙草さえも嗜まない人間だったので、その綺麗に過ぎる肺は、外部から侵入してくる刺激物に対して、全くの抵抗力を持ち合わせていなかった。その為、身体中にもたらされる刺激の量は、普段から煙草を吸う者の比ではなかった。先ず喉が痺れ、次に手足の指が痺れて来る。そして、しまいに、彼は少量、失禁をするに至ったのである。彼は「パーキングエリアに、雪の降るのを見たよ」と言った。当然、常夏のフィリピンに雪の降るはずも無い。「常夏の細雪」などと言葉にしてみれば、如何にもEcstasyの果てにありそうな幻想的な一景に思えるが、実際には、唯々苦痛があるだけで、少しのEcstasyさえ享受できなかったと言う。彼が言うには、煙草の吸い方もわからない奴が、その薬煙を肺の隅々まで染み渡らせる術など知っている訳がない、との事であった。
 
 彼の話を信じるのであれば、喫煙者は汚煙に強くなってしまった肺を持つ事に拠って、非喫煙者は上手い吸い込み方を知らない事によって、Marihuanaの恩恵を得る事に関して言えば、どちらも不得手と言えるのだろう。であれば、Marihuanaの甘美なる悪汁を正しく享受する事ができるのは、今しばらく禁煙に成功している元ニコチン中毒者という事になる。その者の、煙を吸う事に長じた喉は、実に円滑に薬煙を肺へと送るだろう。禁煙によって枯渇し尽くした肺は、その禁欲期間が長ければ長いだけ喜びに満ち満ちて、その薬煙を四肢末端にまで吸収するだろう。そして、その者はこの世において最も贅沢な快感を得るのである。その快感を一度知ってしまった者は、もう二度と依存の道から外れる事は出来ない。強烈な快楽の後にはそれ相応の苦痛が付いて回るのである。綺麗な薔薇に禍々しく棘が生える様に。美しく見える雪の欠片でさえ様々な排気ガスに侵されて、その身に多量の毒素を帯びている様に。
 
 幸運な事に、私の友人はMarihuanaに嵌る事はなかった。その事は正常な目をして日本の検問を通れた事からも確認が出来た。

 「一度目に嵌るやつはいないんだよ」彼は、言った。
 「二度目からはヤバいけどね。僕はその二度目を運よく避けられたという訳さ。」
 私は、Marihuanaを乱用し続ける者の副作用について知りたがったが、彼はあまり語りたがらなかった。たった一言だけ子細を思い出そうとするよううに、「そのチェコ人の男の歯だけど、上下に四本ずつだけ残して後は全部溶けてしまっていたよ」と言った。

 Marihuanaの話を聞いた時、私はある女性の事を思い浮かべた。彼女はまぎれもなく魔性の女であった。私はかつて、女の魅力に手招かれて心に深い損傷を負った。歯こそ溶けて落ちる事はなかったが、彼女による副作用は今なお私の体を蝕み続けている。

 これから、私はその魔性の女について語ろうと思う。Marihuanaのように危険な魅力に溢れた彼女の事を。
 彼女の名前は仮に「静」としておこう。本名を伏せたいと思うのは、彼女のプライバシーを気遣うばかりではない。私の持ち得る海溝のように深く刻まれた恐怖心がそうさせるのである。もし、その名前を再び口にしてしまったなら、それはきっとMarihuanaを深く深く吸い込んでしまうようなものだ。「静」という薬物に関して言えば、私は「今しばらく禁煙に成功している元ニコチン中毒者」に違いないのだから。彼女に心酔した過去を持ちながら、現在、彼女との関わりを完全に絶たれているのであるから。

 「…どうだ、僕も頭が痺れてきやがった」
 私は、小さく呟いた。それを聞いて、友人は笑った。
 「君もやってみるかい?」
 
 何を言う。中毒の恐ろしさであれば、私の体がとうに知っている。
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