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第四章 佐村家だらけの死亡遊戯
第57話 わたしに、光をくれた人だから
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広い部屋の中を、大きなくらげが漂っている。
ゆらゆらと、ゆらゆらと。
透き通った体の中には、虹色の光が輝いている。
キラキラと、キラキラと。
「殺す。絶対に、殺すわ」
くらげを従えている主は、迸る激情のままに、目の前の叔母へ言葉を叩きつける。
強く見開かれた瞳に燃え滾るのは、言葉よりなお明確な殺意の炎。
「ま、待って、美芙柚ちゃん、一体……!」
「お嬢さん、いけません」
前に出ようとする佐村夢莉を、高市が引き留める。
「あの子は本気です」
「ば、馬鹿なことを言わないで、高市! 美芙柚ちゃんが私を殺す? そんなこと、言うはずがないわ。あの勲兄さんの娘なのよ。そんな暴力的なはずがない!」
んん?
取り乱す夢莉の言葉に、俺は引っかかるものを感じた。
それは、俺達と彼女の間にある決定的にして致命的な齟齬のように思えた。だが、
「ガタガタうるせぇのよ、佐村夢莉! あんたは、ドロッドロに溶かしてやるわ!」
ブチギレたミフユちゃんが、先に襲いかかってしまった。ま、いいか。
ミフユの異面体であるNULLが、毒の詰まった触手を伸ばす。
常人であれば、触れたらアウト。
一発で全身を毒に冒され、即死コース待ったなし。ではあるが――、
「させん」
高市が前に出る。
そして、伸びくる何本もの触手を、その手と足ですべて弾いていく。
触手の先端に当たらないよう、場所を選んで打ち払ってるのか、こいつ!
「クッ、このデカブツ! 邪魔するんじゃないわよ!」
「邪魔はする。仕事だ」
「うるせぇわよ! だったらあんたも死になさ――」
高市の姿が、フッと消えた。
「え」
一瞬呆気にとられるミフユの背後に、その巨体が影と共に現れる。速い!?
「しばし、眠らせる」
ミフユが振り返るよりも早く、高市がその首筋に手刀を打ち込もうとする。
俺はマガツラを呼び出そうとするが、これは、間に合わないか。
「アッハハァ~! オレも混ぜてくれよ~ぅ!」
だがそこに弾んだ笑い声と共に、バカ娘がリングイ~ン!
ミフユと高市の間に割って入ったタマキが、すげぇ楽しそうに殴りかかっていく。
「貴様、タマキ・バーンズ!」
「あ、オレのこと知ってるの? って、あー! おまえケンゴか! ケンゴだろ!」
高市の素性に気づいたらしいタマキが、満面の笑みで大声をあげる。
ケンゴ、という名前には俺も聞き覚えがあった。
「ケンゴ……、ケンゴ・ガイアルド! 異世界で『岩にして草』と呼ばれた、東から流れてきたっていう、凄腕の忍者か! だから俺でも気配が読めなかったのか!」
「アハハハッ! 久しぶりだなぁ、おまえとは決着つけられてなかったからいい機会だ、今この場で決着つけようぜ、ケンゴッ! ポコポコに勝負だァ!」
何故そこで擬音だけが可愛いのか。
「だが断る」
「あれ?」
ケンゴはタマキの誘いに乗ることなく、すぐさま退いて夢莉の前に戻った。
「何だよケンゴ、せっかくの再会なんだから、決着つけようよ~!」
「断る」
ブーブー言うタマキに、だがケンゴはにべもない。
そりゃあ、ボディーガードなら、まずは雇い主を守るのが第一だろう。
「そこをどきなさいよ、デカブツ。あんたも溶かすわよ」
「やってみろ」
脅すミフユに、ケンゴは臆することなく立ち塞がる。
その傍らの空間が歪み始めている。あっちも異面体を呼び出すつもりか。
「ま、待って!」
そこで、夢莉が声を震わせて制止をかけてくる。
「お願いだから、待って、美芙柚ちゃん! 何、これは一体、何なの!?」
夢莉は、混乱しているようだった。
ま、彼女は『出戻り』ではない普通の人間だ。異面体を見て驚かないワケがない。
そして、夢莉はまだ状況が呑み込めていないのもわかった。
今のミフユが、そんな求めに応じると思っている時点で、何もわかってねぇ。
「うるさいわね。今から死ぬあんたが、それを知ってどうするのよ」
「み、美芙柚ちゃん……」
夢莉は愕然となる。予想だにしていなかった、というツラだ。
「お嬢さんはやらせん」
ケンゴが、異面体を出現させる。
それは、空間の歪みがそのまま人の形を取ったような、奇妙な姿をしていた。
「高市、あなたまで!? そ、それは何なの!」
「お下がりください、お嬢さん」
混乱度合いを増す夢莉に、ケンゴはあくまで冷静だ。
「タマキ、あいつの異面体の能力は?」
「え~、それ教えちゃったら……」
タマキが不服そうに唇を尖らせるが、俺が一瞥すると「わかったよう」と応じる。
「あれは大透影。能力は、自身と本体を透明化することだよ」
「なるほどね、実に忍者らしい能力だ。そして――」
俺も、マガツラを具象化させてケンゴを睨み据えた。
「おまえはもう、俺には勝てないぜ、ケンゴ・ガイアルド」
「何……?」
「ホントだぜ、ケンゴ。親父殿の異面体は、そういう性質なんだよ」
タマキはバーンズ家最強だ。
だが俺は、そのタマキに今まで一度も、負けたことがない。
「絶対超越。相手の能力さえ知れれば、それを必ず超越する」
「貴様、アキラ・バーンズか!」
今さら気づいたところで、もう遅い。
「詰みだ、ケンゴ・ガイアルド。おまえも、佐村夢莉も」
「……クソ」
それまで無表情を貫いていたケンゴの顔が、そのとき初めて歪んだ。
しかしミフユはそれに反応をせず、夢莉のことを射貫かんばかりに睨んでいる。
「殺してやるわ、佐村夢莉」
ミフユが、一歩近づく。
凄まじい殺気だ。近くにいる俺ですら、肌に冷たさを覚えるほどに。
一般人の夢莉は、ヘビに睨まれたカエルになるしかないだろう。そう思ったが、
「待って!」
夢莉は、この期に及んで美芙柚に事情を尋ねようとしてくる。
「どういうことなの、美芙柚ちゃん。いいえ、あなたは本当に美芙柚ちゃんなの? 私の知っているあの子は、礼儀正しくて頭がよくて、素直な子だったのに……」
「何も言わずに大人に従うのが素直っていうなら、そうなんでしょうね」
ミフユは、夢莉の言葉にますます顔を怒気に染め上げる。
俺も、夢莉に向かって言いたいことができてしまった。
「夢莉さんさぁ、あんた、言ってることがおかしいぜ」
「な、私の何が……!?」
「だってあんたさ、ミフユのこと、全然見てねぇじゃん」
「え……」
「今のミフユはおかしい。こんな子じゃないはずだ。昔の従順で素直だった美芙柚こそ正しい。今のミフユは美芙柚には見えない。昔の美芙柚こそが正しい姿だ、って。さっきからあんたを見てると、そんな風にしか言ってないように思えるんだがな」
「だって、そうじゃない! 美芙柚ちゃんは、佐村美芙柚なのよ! この子はこんな殺伐とした子じゃなかった。もっとお淑やかな、あの佐村勲の娘なのよ!?」
ああ、そういうことか。『あの』か。そうかそうか。
俺達と佐村夢莉との間にある決定的な齟齬を、このとき、俺は理解した。
「ミフユ」
「…………」
ミフユは無言だった。
「少しだけ、俺に預けてくれないか?」
「…………」
ミフユは無言だった。
「ありがと。ごめんな」
「…………」
ミフユは無言だった。だが、俺達は通じ合えていた。
俺は改めて、ミフユの隣に立って、佐村夢莉へと目を向ける。
「夢莉さん、ちょっと教えてくれないか」
「な、何を……」
「あんたの中の佐村勲は、一体どんな人間なんだ」
「勲、兄さん……?」
夢莉は俺の質問の意図を計りかねているようだった。
しかし、しばしして、小さい声でだが佐村勲について語り始める。
「勲兄さんは、私の、自慢の兄よ。勤勉で、努力家で、実直な性格で人当たりもよくて、才覚にも恵まれていて、およそ欠点なんか見当たらない、本当に完璧な人。あの人を夫にできた美遥さんが、羨ましくて仕方がなかったわ。娘の美芙柚ちゃんも可愛らしくて頭のいい子に育って、親子三人でとても幸せそうで――」
「わかった、もういい」
まだ語りそうだったところを、俺は止めに入る。これで明らかになった。
「夢莉さん、あんた、佐村勲の本性が何も見えてなかったんだなぁ」
「え、ほ、本性……?」
狼狽する夢莉から、俺はミフユの方へと視線を移す。
「あんたが幸せそうだと言ってた佐村家は、ミフユにとっちゃ、地獄だったんだぜ」
「…………は?」
夢莉が、口をポカンと開けて押し黙ったままのミフユを見た。
「え、そ、そんな美芙柚ちゃん……? あなたの家族が、地獄? 何それどういう……。いえ、いえ、違う。そうじゃないわ。そうじゃないのね。美芙柚ちゃん」
にわかに、その声に力を込めて、夢莉がミフユに問いを投げる。
「――勲兄さんは、あなたに何をしたの?」
俺は、少し驚いた。
佐村夢莉、思っていたよりも頭の回転が速いし、思考も柔軟だ。
てっきり勲を神格化して盲信してるタイプかと思っていたが、違ったようだ。
「大人の男が子供の女にする一番ゲスな行為を想像すればいいわ」
そして、ミフユの返答がこれ。
冷淡に過ぎる、感情など一切乗っていない声での回答に、夢莉は言葉を失った。
「それって、性……、そんな、嘘。そんなの……」
「夢莉さん、そいつは酷な反応だぜ。あんたは今、『美芙柚の言っていることは正しくない。勲がそんなことをするはずがない。美芙柚は嘘をついている』って言おうとしてるんだぜ、わかってるかい。被害者に向ける言葉としちゃ、あまりに残酷だろ」
「被害者……」
夢莉の頬を、汗が伝い落ちていく。
彼女の中の価値観は、今、激しく揺らいでいるようだった。
「わたしのNULLを見なさい、佐村夢莉」
ミフユが言って自分の異面体を指さす。
広い部屋の中を、大きなくらげが漂っている。
ゆらゆらと、ゆらゆらと。
透き通った体の中には、虹色の光が輝いている。
キラキラと、キラキラと。
「あれは異面体。わたしの中の心の一部が、形になったもの。あれが司るものは私の中の『自由と不自由』。わたしは、自由が欲しかった。だから色を失って、形を失って、誰も触ることができない自分になろうとしたのよ。そうすれば誰もわたしを縛ることはできなくなる。そう思ったから。NULLはその残滓」
ミフユの言葉を聞きながら、俺は娼婦時代のこいつを思い返す。
心の形を自在に変質・変形させて、どんな男にも対応した『聖女にして悪女』。
だがそれは、男性不信と現実逃避を突き詰めた末に得た、最終手段だった。
「色を失うことで、わたしはわたしでなくなりかけた。全部、原因は佐村勲。あの男が、わたしに『オンナ』であることを強いてきたから、わたしはそれから逃げるために、色と形を投げ捨てた。でも、そんなわたしに新しく色を塗ってくれた人がいた」
ミフユが、俺の手をギュッと握ってきた。俺も、その手を握り返した。
「わたしのNULLの中に灯る光は、アキラがくれたもの。あの光がある限り、わたしの色が薄くても、わたしはわたしでいられる。光があれば、輪郭はわかるから」
徐々に、徐々に、ミフユから勢いが失せていく。代わりに声が、震えて、濡れて。
「アキラは、わたしに光をくれた人なの。彼と別れろというなら、わたしは戦うわ。そんなこと言うヤツ、百人でも、千人でも、一万人でも一億人でも、殺して、殺して、殺し尽くして、世界を滅ぼしてでも、わたしはアキラを選び取る……!」
「もういい、ミフユ。もういいから」
うなだれて泣くミフユを、俺は抱きしめる。
そして、震えているミフユを自分の胸で支えながら、俺は再び夢莉を見る。
「どうなんだ、夢莉さん」
「え……」
「あんたはまだ、佐村勲が正しいと言うつもりか。今のミフユは、おかしいと」
俺は、刃物の冷たさと鋭さをもって、佐村夢莉に問う。
すると夢莉はその場にがっくりと膝をついて、俺達へただ一言だけ零す。
「――ごめんなさい」
ゆらゆらと、ゆらゆらと。
透き通った体の中には、虹色の光が輝いている。
キラキラと、キラキラと。
「殺す。絶対に、殺すわ」
くらげを従えている主は、迸る激情のままに、目の前の叔母へ言葉を叩きつける。
強く見開かれた瞳に燃え滾るのは、言葉よりなお明確な殺意の炎。
「ま、待って、美芙柚ちゃん、一体……!」
「お嬢さん、いけません」
前に出ようとする佐村夢莉を、高市が引き留める。
「あの子は本気です」
「ば、馬鹿なことを言わないで、高市! 美芙柚ちゃんが私を殺す? そんなこと、言うはずがないわ。あの勲兄さんの娘なのよ。そんな暴力的なはずがない!」
んん?
取り乱す夢莉の言葉に、俺は引っかかるものを感じた。
それは、俺達と彼女の間にある決定的にして致命的な齟齬のように思えた。だが、
「ガタガタうるせぇのよ、佐村夢莉! あんたは、ドロッドロに溶かしてやるわ!」
ブチギレたミフユちゃんが、先に襲いかかってしまった。ま、いいか。
ミフユの異面体であるNULLが、毒の詰まった触手を伸ばす。
常人であれば、触れたらアウト。
一発で全身を毒に冒され、即死コース待ったなし。ではあるが――、
「させん」
高市が前に出る。
そして、伸びくる何本もの触手を、その手と足ですべて弾いていく。
触手の先端に当たらないよう、場所を選んで打ち払ってるのか、こいつ!
「クッ、このデカブツ! 邪魔するんじゃないわよ!」
「邪魔はする。仕事だ」
「うるせぇわよ! だったらあんたも死になさ――」
高市の姿が、フッと消えた。
「え」
一瞬呆気にとられるミフユの背後に、その巨体が影と共に現れる。速い!?
「しばし、眠らせる」
ミフユが振り返るよりも早く、高市がその首筋に手刀を打ち込もうとする。
俺はマガツラを呼び出そうとするが、これは、間に合わないか。
「アッハハァ~! オレも混ぜてくれよ~ぅ!」
だがそこに弾んだ笑い声と共に、バカ娘がリングイ~ン!
ミフユと高市の間に割って入ったタマキが、すげぇ楽しそうに殴りかかっていく。
「貴様、タマキ・バーンズ!」
「あ、オレのこと知ってるの? って、あー! おまえケンゴか! ケンゴだろ!」
高市の素性に気づいたらしいタマキが、満面の笑みで大声をあげる。
ケンゴ、という名前には俺も聞き覚えがあった。
「ケンゴ……、ケンゴ・ガイアルド! 異世界で『岩にして草』と呼ばれた、東から流れてきたっていう、凄腕の忍者か! だから俺でも気配が読めなかったのか!」
「アハハハッ! 久しぶりだなぁ、おまえとは決着つけられてなかったからいい機会だ、今この場で決着つけようぜ、ケンゴッ! ポコポコに勝負だァ!」
何故そこで擬音だけが可愛いのか。
「だが断る」
「あれ?」
ケンゴはタマキの誘いに乗ることなく、すぐさま退いて夢莉の前に戻った。
「何だよケンゴ、せっかくの再会なんだから、決着つけようよ~!」
「断る」
ブーブー言うタマキに、だがケンゴはにべもない。
そりゃあ、ボディーガードなら、まずは雇い主を守るのが第一だろう。
「そこをどきなさいよ、デカブツ。あんたも溶かすわよ」
「やってみろ」
脅すミフユに、ケンゴは臆することなく立ち塞がる。
その傍らの空間が歪み始めている。あっちも異面体を呼び出すつもりか。
「ま、待って!」
そこで、夢莉が声を震わせて制止をかけてくる。
「お願いだから、待って、美芙柚ちゃん! 何、これは一体、何なの!?」
夢莉は、混乱しているようだった。
ま、彼女は『出戻り』ではない普通の人間だ。異面体を見て驚かないワケがない。
そして、夢莉はまだ状況が呑み込めていないのもわかった。
今のミフユが、そんな求めに応じると思っている時点で、何もわかってねぇ。
「うるさいわね。今から死ぬあんたが、それを知ってどうするのよ」
「み、美芙柚ちゃん……」
夢莉は愕然となる。予想だにしていなかった、というツラだ。
「お嬢さんはやらせん」
ケンゴが、異面体を出現させる。
それは、空間の歪みがそのまま人の形を取ったような、奇妙な姿をしていた。
「高市、あなたまで!? そ、それは何なの!」
「お下がりください、お嬢さん」
混乱度合いを増す夢莉に、ケンゴはあくまで冷静だ。
「タマキ、あいつの異面体の能力は?」
「え~、それ教えちゃったら……」
タマキが不服そうに唇を尖らせるが、俺が一瞥すると「わかったよう」と応じる。
「あれは大透影。能力は、自身と本体を透明化することだよ」
「なるほどね、実に忍者らしい能力だ。そして――」
俺も、マガツラを具象化させてケンゴを睨み据えた。
「おまえはもう、俺には勝てないぜ、ケンゴ・ガイアルド」
「何……?」
「ホントだぜ、ケンゴ。親父殿の異面体は、そういう性質なんだよ」
タマキはバーンズ家最強だ。
だが俺は、そのタマキに今まで一度も、負けたことがない。
「絶対超越。相手の能力さえ知れれば、それを必ず超越する」
「貴様、アキラ・バーンズか!」
今さら気づいたところで、もう遅い。
「詰みだ、ケンゴ・ガイアルド。おまえも、佐村夢莉も」
「……クソ」
それまで無表情を貫いていたケンゴの顔が、そのとき初めて歪んだ。
しかしミフユはそれに反応をせず、夢莉のことを射貫かんばかりに睨んでいる。
「殺してやるわ、佐村夢莉」
ミフユが、一歩近づく。
凄まじい殺気だ。近くにいる俺ですら、肌に冷たさを覚えるほどに。
一般人の夢莉は、ヘビに睨まれたカエルになるしかないだろう。そう思ったが、
「待って!」
夢莉は、この期に及んで美芙柚に事情を尋ねようとしてくる。
「どういうことなの、美芙柚ちゃん。いいえ、あなたは本当に美芙柚ちゃんなの? 私の知っているあの子は、礼儀正しくて頭がよくて、素直な子だったのに……」
「何も言わずに大人に従うのが素直っていうなら、そうなんでしょうね」
ミフユは、夢莉の言葉にますます顔を怒気に染め上げる。
俺も、夢莉に向かって言いたいことができてしまった。
「夢莉さんさぁ、あんた、言ってることがおかしいぜ」
「な、私の何が……!?」
「だってあんたさ、ミフユのこと、全然見てねぇじゃん」
「え……」
「今のミフユはおかしい。こんな子じゃないはずだ。昔の従順で素直だった美芙柚こそ正しい。今のミフユは美芙柚には見えない。昔の美芙柚こそが正しい姿だ、って。さっきからあんたを見てると、そんな風にしか言ってないように思えるんだがな」
「だって、そうじゃない! 美芙柚ちゃんは、佐村美芙柚なのよ! この子はこんな殺伐とした子じゃなかった。もっとお淑やかな、あの佐村勲の娘なのよ!?」
ああ、そういうことか。『あの』か。そうかそうか。
俺達と佐村夢莉との間にある決定的な齟齬を、このとき、俺は理解した。
「ミフユ」
「…………」
ミフユは無言だった。
「少しだけ、俺に預けてくれないか?」
「…………」
ミフユは無言だった。
「ありがと。ごめんな」
「…………」
ミフユは無言だった。だが、俺達は通じ合えていた。
俺は改めて、ミフユの隣に立って、佐村夢莉へと目を向ける。
「夢莉さん、ちょっと教えてくれないか」
「な、何を……」
「あんたの中の佐村勲は、一体どんな人間なんだ」
「勲、兄さん……?」
夢莉は俺の質問の意図を計りかねているようだった。
しかし、しばしして、小さい声でだが佐村勲について語り始める。
「勲兄さんは、私の、自慢の兄よ。勤勉で、努力家で、実直な性格で人当たりもよくて、才覚にも恵まれていて、およそ欠点なんか見当たらない、本当に完璧な人。あの人を夫にできた美遥さんが、羨ましくて仕方がなかったわ。娘の美芙柚ちゃんも可愛らしくて頭のいい子に育って、親子三人でとても幸せそうで――」
「わかった、もういい」
まだ語りそうだったところを、俺は止めに入る。これで明らかになった。
「夢莉さん、あんた、佐村勲の本性が何も見えてなかったんだなぁ」
「え、ほ、本性……?」
狼狽する夢莉から、俺はミフユの方へと視線を移す。
「あんたが幸せそうだと言ってた佐村家は、ミフユにとっちゃ、地獄だったんだぜ」
「…………は?」
夢莉が、口をポカンと開けて押し黙ったままのミフユを見た。
「え、そ、そんな美芙柚ちゃん……? あなたの家族が、地獄? 何それどういう……。いえ、いえ、違う。そうじゃないわ。そうじゃないのね。美芙柚ちゃん」
にわかに、その声に力を込めて、夢莉がミフユに問いを投げる。
「――勲兄さんは、あなたに何をしたの?」
俺は、少し驚いた。
佐村夢莉、思っていたよりも頭の回転が速いし、思考も柔軟だ。
てっきり勲を神格化して盲信してるタイプかと思っていたが、違ったようだ。
「大人の男が子供の女にする一番ゲスな行為を想像すればいいわ」
そして、ミフユの返答がこれ。
冷淡に過ぎる、感情など一切乗っていない声での回答に、夢莉は言葉を失った。
「それって、性……、そんな、嘘。そんなの……」
「夢莉さん、そいつは酷な反応だぜ。あんたは今、『美芙柚の言っていることは正しくない。勲がそんなことをするはずがない。美芙柚は嘘をついている』って言おうとしてるんだぜ、わかってるかい。被害者に向ける言葉としちゃ、あまりに残酷だろ」
「被害者……」
夢莉の頬を、汗が伝い落ちていく。
彼女の中の価値観は、今、激しく揺らいでいるようだった。
「わたしのNULLを見なさい、佐村夢莉」
ミフユが言って自分の異面体を指さす。
広い部屋の中を、大きなくらげが漂っている。
ゆらゆらと、ゆらゆらと。
透き通った体の中には、虹色の光が輝いている。
キラキラと、キラキラと。
「あれは異面体。わたしの中の心の一部が、形になったもの。あれが司るものは私の中の『自由と不自由』。わたしは、自由が欲しかった。だから色を失って、形を失って、誰も触ることができない自分になろうとしたのよ。そうすれば誰もわたしを縛ることはできなくなる。そう思ったから。NULLはその残滓」
ミフユの言葉を聞きながら、俺は娼婦時代のこいつを思い返す。
心の形を自在に変質・変形させて、どんな男にも対応した『聖女にして悪女』。
だがそれは、男性不信と現実逃避を突き詰めた末に得た、最終手段だった。
「色を失うことで、わたしはわたしでなくなりかけた。全部、原因は佐村勲。あの男が、わたしに『オンナ』であることを強いてきたから、わたしはそれから逃げるために、色と形を投げ捨てた。でも、そんなわたしに新しく色を塗ってくれた人がいた」
ミフユが、俺の手をギュッと握ってきた。俺も、その手を握り返した。
「わたしのNULLの中に灯る光は、アキラがくれたもの。あの光がある限り、わたしの色が薄くても、わたしはわたしでいられる。光があれば、輪郭はわかるから」
徐々に、徐々に、ミフユから勢いが失せていく。代わりに声が、震えて、濡れて。
「アキラは、わたしに光をくれた人なの。彼と別れろというなら、わたしは戦うわ。そんなこと言うヤツ、百人でも、千人でも、一万人でも一億人でも、殺して、殺して、殺し尽くして、世界を滅ぼしてでも、わたしはアキラを選び取る……!」
「もういい、ミフユ。もういいから」
うなだれて泣くミフユを、俺は抱きしめる。
そして、震えているミフユを自分の胸で支えながら、俺は再び夢莉を見る。
「どうなんだ、夢莉さん」
「え……」
「あんたはまだ、佐村勲が正しいと言うつもりか。今のミフユは、おかしいと」
俺は、刃物の冷たさと鋭さをもって、佐村夢莉に問う。
すると夢莉はその場にがっくりと膝をついて、俺達へただ一言だけ零す。
「――ごめんなさい」
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『断罪なう』。
王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。
すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、
国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。
そして宣言される、前代未聞のルール。
支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。
処刑台は舞台へ。
断罪はエンタメへ。
悪役令嬢は、世界をひっくり返す配信者となった。
これは、
処刑されるはずだった悪役令嬢が、
“ライブ配信”で王子と王国を公開処刑する物語。
支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、
それとも――自由か。
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(当面、月、水、金、土、日の更新)
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