異世界帰りの元勇者・オブ・ザ・デッド

はんぺん千代丸

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閑話 これは、異世界でのとある日の彼女の話

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 これは、異世界でのとある日の彼女の話。
 小宮音夢はその夜、人里から遠く離れた森の中で焚き火の番をしていた。

 本当はこの森を突き抜けて街道まで出る予定だったが、思わぬ足止めをくらった。
 おかげで、テントを張る余裕もなく、こんな場所で野宿をする羽目になった。
 今日中には次の街に着いて、そこで宿をとるはずだったのに……。

 焚き火を見守る彼女のそばでは、妹の玲夢がすやすや寝息を立てている。
 アルスノウェに来て半年、この妹もすっかり野宿に慣れたようだ。
 地面に毛布を敷いて、自分のマントを掛け布団代わりにして寝入っている。

 妹の寝顔を見ていると、あと一時間ほどで起こさなければならないのが心苦しい。
 だが、焚き火は絶やしてはならない。
 そのために、常に誰かが起きている必要がある。

「……こればっかりは、なかなか慣れないわね」

 思わず、ひとりごちる。
 これがただのキャンプなら、火の番などせずに自分も寝てしまうのだが。

 しかし、そう思うことそのものが贅沢な考えなのだと、今は理解している。
 安全と平和は、おそらくは愛と同等の価値を持った、途方もなく貴重な宝なのだ。

 ゾンビが溢れた日本での二週間と、この異世界での日々を通じ、それを痛感した。
 何なら、今だって実は安全ではない。
 この焚き火が消えてしまえば、それだけで自分達は死んでしまうかもしれない。

 ――魔王が遺した、忌まわしき『世界呪』によって。

「ん……」

 近くから声がする。
 そして、焚き火の向こう側で寝ていた女戦士が、のっそりと身を起こした。

「あれ、マリッサさん。起きちゃったんですか?」
「……ん、ああ。少し夢見が悪くてな。今は、ネムが番をしているのか」

「はい、あと一時間くらいで、玲夢に代わりますけど」
「そうか」

 女戦士マリッサ・ルーネは、そう言って焚き火に近寄った。
 そして、玲夢の方を見て、

「気持ちよさそうに寝ているな」
「はい。このまま寝かせておいてあげたいんですけど」

「うん、いいぞ。ここからは私が代わろう。玲夢は寝かせておいてやれ」
「え、いいんですか。でも、順番が……」

 音夢がめをしばたたかせると、マリッサは軽く苦笑して「ああ」とうなずく。

「おまえは本当に真面目だな。もう少し融通を利かせてもいいんじゃないか?」
「妹がいい加減なので。それと、なぁなぁにするのは性に合わないんです」

 彼女の言葉に、マリッサがますます苦笑いを深くする。
 その理由がわからず、音夢は軽く眉根を寄せた。

「どうか、しましたか?」
「いや。性に合わない、というのはトシキもよく言っていたのでな」
「橘君が……」

 橘利己は、音夢と玲夢をこの世界に連れてきた友人だ。
 何でも、このアルスノウェでは勇者として、魔王を討った平和の立役者らしい。

「性格はまるで違うクセに、変な部分で重なったり似通っていたりする」

 そうした部分が今も垣間見えて、思わず笑ったのだと、マリッサは言う。

「やめてください。私は、あんな暴れん坊とは似てません」
「ほら、その答え方。きっと、トシキも同じように答えるぞ。わかるだろ?」

 言われてしまった。
 そして、音夢はそれに反論することができない。何故なら、実際にわかるからだ。
 同じシチュエーションになったら、きっと彼も同じように答えるだろう。と。

「なぁ、ネム。おまえは本当に、トシキの妻ではないのだよな?」
「違います。何度言ったら納得してくれるんですか……」

 またしても同じことを問われ、音夢は静かに息をついた。
 この半年間、幾度この問いに答えてきただろうか。さすがに辟易してしまう。

「いや、すまない。悪気はないんだ。ないんだが、なぁ……」

 誤魔化すように目を逸らし、マリッサは半笑いで頬を掻く。

「だが、何ですか?」

 それを、音夢がキッと鋭く見据えた。
 マリッサはしばし口をもごもごさせていたが、観念したように口にした。

「お似合い過ぎなんだよ、おまえ達は」
「何言ってるんですか……」

 その答えを聞いて、音夢は一気に脱力する。
 お似合い? 自分と? 橘利己が? あんな暴力の権化みたいなヤツと?

「あのですね、私、別にちゃんと恋人がいるんですけど」
「ん? そっちは別れたのではないのか?」
「別れてないです。一方的な連絡が来ただけで、私は納得していませんから」

 あんなメール一通だけで、三年近い交際をなしにされてはたまらない。
 日本に帰ったら、三ツ谷浩介を見つけて、あのメールの真意を問わねばならない。
 この世界に来てから、ずっとずっと、考え続けていることだ。

「う~ん、わからんなぁ」

 と、見れば、焚き火の向こうで歴戦の女戦士が腕を組んで何やら考え込んでいる。

「まだ、何か?」
「んん? ああ、前々から不思議に思っていたことがあってな」

「何でしょう? 私に答えられることなら答えますけど」
「では尋ねるが。……何故、その恋人とトシキと、まとめて結婚せんのだ?」

 何を問われたのか、音夢は一瞬わからなかった。

「え、それは、どういう……?」

 半分ほど頭が理解して、残り半分の理解を頭が拒んだため、聞き返してしまう。

「言った通りだ。別に夫が二人いようと、おかしくはない気がするんだが」
「え、え? いや、え? あの、それはおかしい、でしょう……?」

 マリッサがあまりに平然としているため、音夢は自分がおかしいのかと錯覚する。
 いや、そんなことはないはずだ。マリッサの言っていることの方がおかしい。

「そんな、マリッサさんの言ってることは、二股じゃないですか!」
「こっちではそれが当たり前なんだぞ、ネム」

 気色ばんで言ったら、マリッサに逆に言い返された。
 そして、音夢はハッとした。ここは異世界アルスノウェ。日本ではないのだ。

「そちらの婚姻制度、確か、一夫一妻だったか。何とも贅沢な話だと思うよ。一人が一人を独占する、なんてな。こっちじゃ、そんなことをすればそれだけで村八分だ」
「……そうでしたね」

 改めて、ここは異郷なのだと思い知る。
 アルスノウェでは、重婚が半ば当たり前だ。その原因は、死者の多さにある。

 少し前までは魔王軍との戦争で、そして今は、魔王が遺した『世界呪』で。
 アルスノウェという世界は、日本よりはるかに人と死の距離が近い。近すぎる。

 だからこそ、一夫一妻などという贅沢は言っていられなくなる。
 本人の気持ちがどうだ、などという余裕は、今のアルスノウェには微塵もない。

 強い者がいたならば男でも女でもとにかく子を作り、殖やしていかねばならない。
 人という種が、今後もこの世界で生きていけるよう、血を保たねばならない。

 恋だの愛だの、付き合うだの別れるだのを語れるのは、社会に余裕があるからだ。
 そこに考えを及ぼすと、もう、音夢は何も言えなくなってしまう。

「こうして、焚き火を介した『魔除けの結界』を維持しなければ、おちおち眠ることもできない。全く、魔王も厄介な呪いを残してくれたモノだ」

 黙り込む音夢を気遣ってか、マリッサが話題を変えた。

「何もせずにいれば、突然虚空から魔物が現れる。何の悪夢だと思うよ」

 肩を竦めるマリッサに、音夢が想起したのは日本のゲーム用語だった。
 ランダムエンカウント。
 この世界を蝕む魔王の呪いは、言ってしまえばそれに尽きる。

 道を歩いていたら、突然虚空から魔物が現れ、襲ってくる。
 そんなことが、このアルスノウェでは、日常の現実として発生してしまう。
 今日、野宿することになった原因もそれだ。余計な戦闘を強いられたからだ。

 目の前の焚き火とて、ただの獣避けではない。
 燃やしている薪は神殿で清めてもらったもので、周囲に魔除けの効果をもたらす。
 焚き火の光が届く範囲であれば、魔物が出現することはない。

 だから、焚き火の番が必要となる。
 薪が燃え尽きる前に、新たな薪をくべて、結界を維持するために。

「『世界呪』は、解くまでにどれだけの年月かかかるんでしょうか」
「今の予想では二百年ほどだそうだ。まぁ、私が生きている間には無理だな」

 言って、マリッサはクスクス笑う。
 この大災厄の解消にはただひたすら時間が必要であることは、音夢も知っていた。
 曰く、魔王の死に際の無念と怨恨が、呪いを補強しているのだとか。

「橘君は、まだこの世界に必要だったんじゃ……?」

 つい、そんなことを思ってしまう。
 だがそれを口に出した途端、マリッサの顔から笑みが消えた。

「その考えには賛同できないぞ、ネム」
「え、でも……」

「トシキは魔王を討った。この世界を滅ぼしかけた魔王を、だ。それだけでもこの世界の人間はあいつに返しきれない大恩がある。その上でさらに頼ろうというのは、もはや恥だろう。それは。本来であれば、魔王自体、我々が解決するべき問題だぞ?」
「それはそうかも、ですけど……」

 真っすぐに見つめられ、その視線の圧力に音夢は言い淀んでしまう。
 だが、マリッサはすぐに顔に笑みを戻し、続けた。

「それにな」
「はい?」

「悔しいじゃないか。勇者さえいれば何とかなる、なんて考えてしまうのは」
「え、悔しい、ですか……?」
「そうとも。だって、アルスノウェは私達の世界だぞ。その世界を、他の世界の人間に任せるなんて、まるで自分の出番を奪われたようだ。悔しいに決まっている」

 嗚呼……。
 マリッサの言葉に、音夢は思わず息をついていた。

 何て、強い考え方なのだろう。
 この人は、死が近すぎる厳しい世界を、ちゃんと自力で歩こうとしている。

 自分の運命を、自分の存在を、他の何かに委ねようとしていない。
 その在り方はソラスで震えていた自分からすると、とても眩しく映って……、

「そう。そうなんだ……」

 きっと、橘利己が自分に教えようとしていた『生き方』は『これ』なんだ。
 いつだって強く在ろうとする心。
 弱い自分に甘えことなく、屈することなく、まっすぐに前を向くこと。

 理解と実感は、音夢の体の中に染みるようにして広がっていった。
 そして、彼女はマリッサに「ごめんなさい」と頭を下げる。

「わかってくれれば、いいさ。それよりもそろそろ時間だ。夜明けまで寝ておけよ。焚き火の番は、このまま私がやっておくからな」
「はい、おやすみなさい」

 そう言って、音夢は妹と同じように毛布の上に身を横たえ、眠りについた。
 その日は、久しぶりにぐっすりと眠ることができた。

 ――音夢がアルスノウェに来て、半年ほど経った頃の、ある日の出来事だ。
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