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「アイデアが思い浮かばなくて自己嫌悪に陥る」問題

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 ある日、全く小説が書けなくなるということがある。
 なぜか。
 それは、単にアイデアのタネが足りないからだ。
「いや、自分は毎日インプットをしている。もちろんそのインプットは、読書・映画鑑賞・旅行・友達(いれば)との交流といった能動的なもの。ある程度の運動はしているし、休日は気分転換をかねて必ず外出し、カフェで執筆したりもしている。インプットにはYouTubeやSNS、ネットサーフィンやソシャゲをだらだらしているといった、時間の浪費はふくまれていない。もちろんアイデア本も二、三冊読んでいる。アイデアノートもあるし、スマホのメモも活用している。思い浮かんだことは仕事中だろうが、コソコソ紙切れにメモってる。なのになぜアイデアが浮かばないんだッ! 私には執筆の才能がないのかッ!」
 と嘆く、以前の私のような人もいるかもしれない。(ちなみにこのエッセイを一話からここまで読み進めて、かつ私の文章に共感できる人に、執筆の才能はない。現実は非情である。私と一緒に非才を嘆こう! そして、非才なりにできるあがきをしよう!)
 それでもなお、インプット不足と、私は言いたい。涙声で。

 では、作品を作るのに、具体的にはどれほどのインプットが必要なのか。
 勉強のためだったらインプット3:アウトプット7といった、アウトプット重視が適切とされる。しかし、残念ながら創作には適用できない。勉強しただけで名作が書けるのなら、あなたは今頃出版社からお声がかかっていてもおかしくない。
 創作参考書を読んでも「インプットは欠かすな」、「観察力を駆使せよ」、「アイデアはどこにでもころがっている」、「とにかくメモしろ」くらいしか書いておらず、具体的な量に関しては言及していない。個人差と生存者バイアスがすごすぎて、宛にならないのだろう。
 参考までに私の例を挙げる。

 私の場合の比率は、95:5~99:1である。インプットが95~99でアウトプットが5~1。5000字書くのに最低でも95000字以上の情報をあびる必要がある。20冊以上読破してようやく一冊本が書けるかどうかといったところだ。笑えるほど効率が悪い。もはやコスパがどうのという次元じゃない。
 動画やSNS、テレビやゲームの時間を極力減らして、その分電子書籍を読む時間に全力投資する。ソシャゲの課金に使っていた金は、全部電子書籍に注ぎ込む。休日は必ず外へ出かけ、ついでに本屋へ足を運ぶ。
 大切なものをいろいろ失っている気がするものの、ようやく安定してアイデアが出るようになった。たとえ、書きたい物がなくなっても、しばらく待てば、書きたいアイデアが本の中から自然と浮かび上がってくる。

 安定してアイデアが出ている状態が異常なのであり、アイデアが出ないからといって嘆く必要はない。
 この考えを採用したおかげで、たとえアイデアが枯渇しても、
「まぁ、書きたい物の約20倍読まないと、アイデアなんて思い浮かばないしな。本でも読んで気長に待つか!」
 と気楽にかまえるようになった。アイデア枯渇が怖くなくなったのである。
 また、『登場人物の次の台詞が思い浮かばないから、図書館に行って本をあさる』とか、『サブキャラ人のために本を買う』といった、一見馬鹿げたことをするのにも抵抗がなくなる。100字の台詞を考えるのにも9900字の下地が必要なので、台詞が思い浮かばないから本を読む、というのはごく自然の発想だからだ。

 自然とアイデアが浮かんでくるとかぼやく人は、天才か、努力を努力と思わない化け物である。そうとしか考えられない。
 プロのコピーライターですら、キャッチコピーを作るのに100案以上のアイデアを出す。素人がそこそこのアイデアを生みだすためには、それ以上の素地が必要だと考える方が、自然だ。
 逆に言えば、書こうとしている文章の方向性をおぼろげに頭の片隅においといて、その99倍もインプットすれば、大抵アイデアは思い浮かぶ。
 並外れて頑張った結果生まれた文章には、愛着が生まれる。愛着は、読まれない小説を書ききる原動力になる。
 逆に、そこまでやってもダメだったら、「まあ、やることはやったし、それで爽やかだ」とサッパリ諦めることもできる。
 発想は枯渇するもの。
 アイデアは浮かばないもの。
 だから、良い案が浮かばなくても、自分の能力を悲観せず、気長に待とう。大丈夫、この文章をここまで読んだ強靭な精神力を持つあなたなら、その時が来るまで待てる。
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