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駄作を公開すべきか否か
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小説を書いていたら誰もが思うであろう疑問。「書いている小説が駄作としか思えない。これは、書き続けるべきなのだろうか。これは公開すべきなのだろうか?」。今回は、このテーマについて話す。
結論から言うと「公開するしかない」になる。
●著者には自作を「名作か」、「駄作か」を判断する権利はない。
受け入れられないかもしれないが、事実だ。
前提として、著者には、自分の小説を「名作か」、「駄作か」判断する権利すらない。
小説を「名作か」、「駄作か」判断するのは、読者にゆだねられている。
なぜか。
厳密には小説が小説となるのは、読者の脳内だからだ。読者に文章のみで想像を誘発し、読者の脳内に物語を作り出す。著者と読者の共同作業により、一つの物語が読者の脳内に生みだされる。読者は、脳内に生みだされた作品に対して「名作」、「駄作」のジャッジをする。
たとえば、読者があなたの小説を、最初の一ページしか読まなかったとしよう。それでも、読者の頭の中に生まれたものが、完成されたあなたの小説である。読者は、最初の一ページだけを読んで生みだされた物語に対して「名作」、「駄作」を判断する。それで読者が「駄作」だと判定したら、あなたはそれを受け入れなければならない。著者であるあなたは、読者の脳をのぞくことはできないからだ。
だから、読者の頭の中で生まれるものが、良作か、駄作かを、判断することはできない。
私達にとっては不愉快極まりないが、それが現実なのだ。あなたが「これは駄作だ!」と叫ぼうが、読者からの「それってあなたの感想ですよね」の一言で撃沈である。
著者に、自分の作品を評価するなどという、そんな贅沢な権利は存在しない。
●一般的な駄作とは何か
では、どのような小説が「駄作」と言われるのだろう。ネットで検索すると、わんさか回答が昇ってくる。が、どれも既視感があるように思えるだろう。
「著者の哲学や思想の押しつけてくる小説」、「世界観やキャラ設定に矛盾のある小説」、「展開が平坦な小説」……。
何か共通点がないだろうか。そう、創作テクニック本で読んだことばかり。それも、初歩的なことだ。(逆に、そうでないコメントを見つけるととても嬉しい気分になる)。
作品を批評するような読者は、大方、創作テクニック本も読んでいる。テクニック本を読み「ああ、自分のいいたいことは、こういうことだったのか」と納得する。そして、無意識のうちに、ほぼそのまんま引用する。「自分にとっての駄作とは何か」を真剣に考え言語化できる人などほとんどおらず、いたとしても創作テクニック本を参考に考察せざるをえないため、こういうことが起こる。匿名で何の責任もなく知識マウントをとりたいときは、テクニック本から引用するのが無難、というのもあるだろう。
つまり、大方のテクニック本に書かれているような初歩的なことを、ほぼ完ぺきにこなせていることが、まず「良作」の必須条件になる。
初歩を完ぺきにこなせる。自信を持って言える人がどれだけいるだろうか。
この時点で、私を含めた大半の小説書きが脱落する。
●私達は駄作すら書けない
「いや、私は匿名で無責任な有象無象の言葉など信じない。ちょっとしたことで自尊心を傷つけられた人々が罵詈雑言や誹謗中傷をぶつけ合っているネットやSNSの言葉は信用できない」という意見もあるだろう。
では、プロの視点ではどうだろう。
まず、作家の意見を採り上げようと思う。
「ベストセラー小説の書き方」(ディーン・R・クーンツ)からの引用。
『わたしには、読まれることこそ、文学の存在価値をはかるうえでの基本的な尺度に思えてならない。小説の目的は、読者とのコミュニケーションであり、作品が読まれなければ、当然その目的も達せられない』
次に「何がなんでも新人賞獲らせます! 作家の道をまっしぐら!!」(鈴木輝一郎)からの引用。
『「良い作品を書くために一番手っ取り早い方法はプロデビューすること」です。デビューすると、執筆料はデビュー前の比ではなく、厳しい競争にさらされ続けてゆくので、否応なく腕は上がってゆきます』
『書店で、下手くそすぎて金と時間を返せと言いたくなるような作品をうっかり買ってしまった経験はありませんか。それでもその作品は経験を積んだプロが書き、出版社が売れると見込んで買い、編集し、校正され、デザイナーやイラストレーターが装丁したものです』
『実のところ、投稿前のアマチュア作品は、そのプロの駄作でさえ「とりあえずプロは最後まで読めて感想が言えるのだ」としみじみしたくなるようなものが九割だと思っていただいて間違いありません』
では、編集者視点は?
「あなたの小説にはたくらみがない」(佐藤誠一郎)から引用。
『マーケットの反応や世評ばかりを気にするのはどうかと思うが、市場という奴は無視すべきでない何物かをもっているものだ。実際、「自己救済」ばかり図っていては、作品を一定以上のレベルにもってゆくことすら覚束ない』
そう、私達が書いているものは「駄作」ではない。これを「駄作」と言ってしまうと、世間に出回っている「駄作」たちに失礼だ。
私達が書いているのは「駄作ですらない何か」である。
「今書いている作品が駄作としか思えない」、「自分の作品が読み返せない」と思うのは当然だ。ただの事実だからである。そもそも、人が読めるように文章が書かれていない。私達が書いているのは小説ではなく、「小説を模した何か」である。
●まとめ
読者視点、小説家視点、編集者視点から、私達の作品を分析してみた。
著者としては自分の作品に「出来の良いもの」、「出来の悪いもの」があるように思える。しかし、読者にはそんな微妙な違いはわからない。
他人から見たアマチュア作品は等しく「読むに耐えない、駄作のような何か」でしかない。
「駄作すら書けない」ということが、書きたいとものを書きたいときに書きたいように書くことを選んだ者の代償である。自由に文を書いている私のような小説書きは、「駄作未満しか書かない」ことを、自ら選び続けていることを自覚する必要がある。
私たちは「読むに耐えない、小説のような何か」を投稿し続けるしかない。
私たちには「駄作未満」しか書けないのだから。
結論から言うと「公開するしかない」になる。
●著者には自作を「名作か」、「駄作か」を判断する権利はない。
受け入れられないかもしれないが、事実だ。
前提として、著者には、自分の小説を「名作か」、「駄作か」判断する権利すらない。
小説を「名作か」、「駄作か」判断するのは、読者にゆだねられている。
なぜか。
厳密には小説が小説となるのは、読者の脳内だからだ。読者に文章のみで想像を誘発し、読者の脳内に物語を作り出す。著者と読者の共同作業により、一つの物語が読者の脳内に生みだされる。読者は、脳内に生みだされた作品に対して「名作」、「駄作」のジャッジをする。
たとえば、読者があなたの小説を、最初の一ページしか読まなかったとしよう。それでも、読者の頭の中に生まれたものが、完成されたあなたの小説である。読者は、最初の一ページだけを読んで生みだされた物語に対して「名作」、「駄作」を判断する。それで読者が「駄作」だと判定したら、あなたはそれを受け入れなければならない。著者であるあなたは、読者の脳をのぞくことはできないからだ。
だから、読者の頭の中で生まれるものが、良作か、駄作かを、判断することはできない。
私達にとっては不愉快極まりないが、それが現実なのだ。あなたが「これは駄作だ!」と叫ぼうが、読者からの「それってあなたの感想ですよね」の一言で撃沈である。
著者に、自分の作品を評価するなどという、そんな贅沢な権利は存在しない。
●一般的な駄作とは何か
では、どのような小説が「駄作」と言われるのだろう。ネットで検索すると、わんさか回答が昇ってくる。が、どれも既視感があるように思えるだろう。
「著者の哲学や思想の押しつけてくる小説」、「世界観やキャラ設定に矛盾のある小説」、「展開が平坦な小説」……。
何か共通点がないだろうか。そう、創作テクニック本で読んだことばかり。それも、初歩的なことだ。(逆に、そうでないコメントを見つけるととても嬉しい気分になる)。
作品を批評するような読者は、大方、創作テクニック本も読んでいる。テクニック本を読み「ああ、自分のいいたいことは、こういうことだったのか」と納得する。そして、無意識のうちに、ほぼそのまんま引用する。「自分にとっての駄作とは何か」を真剣に考え言語化できる人などほとんどおらず、いたとしても創作テクニック本を参考に考察せざるをえないため、こういうことが起こる。匿名で何の責任もなく知識マウントをとりたいときは、テクニック本から引用するのが無難、というのもあるだろう。
つまり、大方のテクニック本に書かれているような初歩的なことを、ほぼ完ぺきにこなせていることが、まず「良作」の必須条件になる。
初歩を完ぺきにこなせる。自信を持って言える人がどれだけいるだろうか。
この時点で、私を含めた大半の小説書きが脱落する。
●私達は駄作すら書けない
「いや、私は匿名で無責任な有象無象の言葉など信じない。ちょっとしたことで自尊心を傷つけられた人々が罵詈雑言や誹謗中傷をぶつけ合っているネットやSNSの言葉は信用できない」という意見もあるだろう。
では、プロの視点ではどうだろう。
まず、作家の意見を採り上げようと思う。
「ベストセラー小説の書き方」(ディーン・R・クーンツ)からの引用。
『わたしには、読まれることこそ、文学の存在価値をはかるうえでの基本的な尺度に思えてならない。小説の目的は、読者とのコミュニケーションであり、作品が読まれなければ、当然その目的も達せられない』
次に「何がなんでも新人賞獲らせます! 作家の道をまっしぐら!!」(鈴木輝一郎)からの引用。
『「良い作品を書くために一番手っ取り早い方法はプロデビューすること」です。デビューすると、執筆料はデビュー前の比ではなく、厳しい競争にさらされ続けてゆくので、否応なく腕は上がってゆきます』
『書店で、下手くそすぎて金と時間を返せと言いたくなるような作品をうっかり買ってしまった経験はありませんか。それでもその作品は経験を積んだプロが書き、出版社が売れると見込んで買い、編集し、校正され、デザイナーやイラストレーターが装丁したものです』
『実のところ、投稿前のアマチュア作品は、そのプロの駄作でさえ「とりあえずプロは最後まで読めて感想が言えるのだ」としみじみしたくなるようなものが九割だと思っていただいて間違いありません』
では、編集者視点は?
「あなたの小説にはたくらみがない」(佐藤誠一郎)から引用。
『マーケットの反応や世評ばかりを気にするのはどうかと思うが、市場という奴は無視すべきでない何物かをもっているものだ。実際、「自己救済」ばかり図っていては、作品を一定以上のレベルにもってゆくことすら覚束ない』
そう、私達が書いているものは「駄作」ではない。これを「駄作」と言ってしまうと、世間に出回っている「駄作」たちに失礼だ。
私達が書いているのは「駄作ですらない何か」である。
「今書いている作品が駄作としか思えない」、「自分の作品が読み返せない」と思うのは当然だ。ただの事実だからである。そもそも、人が読めるように文章が書かれていない。私達が書いているのは小説ではなく、「小説を模した何か」である。
●まとめ
読者視点、小説家視点、編集者視点から、私達の作品を分析してみた。
著者としては自分の作品に「出来の良いもの」、「出来の悪いもの」があるように思える。しかし、読者にはそんな微妙な違いはわからない。
他人から見たアマチュア作品は等しく「読むに耐えない、駄作のような何か」でしかない。
「駄作すら書けない」ということが、書きたいとものを書きたいときに書きたいように書くことを選んだ者の代償である。自由に文を書いている私のような小説書きは、「駄作未満しか書かない」ことを、自ら選び続けていることを自覚する必要がある。
私たちは「読むに耐えない、小説のような何か」を投稿し続けるしかない。
私たちには「駄作未満」しか書けないのだから。
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