【完結】死による救済は許されるか――ペストマスクの診療カルテ

フゥル

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第四話 親子

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 灰色の冬空の下。マンションの一角、黄色いテープを張られた扉の前で、女とペストマスクは向き合っていた。

「ダメだ。あなたの娘は該当しない」
「ここを追いだされたら、あの娘に行き場はありません。限界です」

 ペストマスクが差し出した写真には、先生や友達と肩を組み、体操着姿で笑っている娘が写っている。裏側にはつたない文字で『おかあさん、ありがとう』。

「同じ状況でも、未来をどう感じるかは、人によって違う」

 女は目をそらし、唇を噛みしめた。

「かわいい娘を、一人孤独に野外生活させるなんて……。他人からどう見られ、どんな災難が降りかかるか……」
「どのみち親は先に死ぬ」

 女は怯えた目を向けた。

「どう生きるか決めるのは、あの子だ」
「……私が産んだのに!?」

 女の叫びは裏返っていた。

「産まれさせた、だろう?」

 女は無言で、差し押さえの張り紙を殴った。
 ペストマスクは、携帯電話を取りだした。
 画面に、女の母親の名前が浮かんだ。

「許可をもらえ。子の命が親の物なら、お前の命も親の物だ」
「私は成人して、絶縁もしていて……」
「その血は、誰の血だ」

 ペストマスクは女に顔を近づけ、静かに言った。

「我が子を私物化するな」

 女は後ろへ退き、壁にぶつかった。

「かつて、同じ理屈を語った親がいた。『かわいそうな境遇の子たちも皆一緒に、死なせてあげよう』と」

 ペストマスクが、上から女の顔をのぞき込む。

「死ぬときは、誰もが一人だ」

 女の拳から伝った血の、跳ねる音がした。

「殺して、今すぐに」
「……」
「お願い……!」
「――メスに触れろ」



# 娘
 少女は、愛を与えられた記憶がない。
 両親の結婚離婚が繰り返される度に、父母が入れ替わった。虐待が日常で、学校にもほとんど行けなかった。
 家を出てから、昼は似た境遇の少年少女でネットカフェを割り勘。夜は広場、ゲーセン、二十四時間営業の店で時間つぶしのホームレス生活。
 補導、連行、帰宅、脱走。日々がその繰り返し。
 入院しても、迎えは来なかった。
 大人に優しくされたのは役に立った時だけだった。危ない仕事を押し付けられ、手に入れた金だけが、自分の価値だと信じるしかなかったからだ。
 友達は作らない。自殺か病死か、連絡が途絶えるからだ。失う恐怖から逃れるため「友達」という言葉を捨てた。
 助けはいらない。別に境遇を嘆いていない。ただ漠然と死にたい。でも死ねない。
 だから広場にいる。帰る場所のない者が集まり、勝手に消えていく場所。
 だが、知名度が上がり、居場所も食事もある新参が流入してきた。ファッションのように『死にたい』と言うように見える彼らを見て、思った。
 あいつらとは違うことを、社会に示さなければならない。

 ホームに録画機材を置く。電車が通り過ぎる瞬間、線路に飛び込む。
 恐怖も葛藤もなく、あっさり終わる――はずだった。

「痛ッ」

 腕を掴まれた。

「私が止めを刺すと言ったはずだ」
「離して」

 電車がホームを通り過ぎた。

「君の境遇を産んだ社会を恨む気持ちは理解できる。だが、どんな理由でも、他人を巻き込めば加害者になってしまう」
「分かっています。でも限界です。最後くらい、好きにさせてください」
「ダメだ」
「私は死ぬ勇気もないのに『死にたい』と言う弱虫とは違う。死んだ証を残したいんです!」

 機材に接続されたスマートフォンの画面には、エラーが表示されていた。

「療養病棟では、月三人ほどが死亡退院する。話題は三日、名前は一週間で忘れられる。死は日常の延長に過ぎない」
「そんな……」
「君の行為は『電車遅延』で終わる。自殺配信『如き』、珍しくない」
「如き……」

 電車が停車した。ダウンコートを着込む人々が、二人を迷惑そうに避けて乗り込んでいく。

「愛は興味から生まれる。誰からも愛されない君が死んだところで、誰の記憶にも残らない」
「大勢の中から、私を選んでくれた人が、確かにいた」
「目立ちたいがために他人に迷惑をかける人間を好く者はいない。むしろ、誰にも迷惑をかけず自然死した方が、彼らから同情を得られると思わないか?」

 電車へ駆け込む学生に、撮影器具が蹴飛ばされた。

 迷惑。

 母を例えるなら生きる迷惑だったが、死ぬときだけは誰にも迷惑をかけなかった。

「まさか……あなたが」
「さあ、触れるがいい」

 差し出されたメスは、わずかに振るえていた。

「長年の願いは、それで叶う」
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