黒狐さまと創作狂の高校生

フゥル

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第8話 臨海公園

バードウォッチング

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 臨海公園の鳥類園内にある、バードウォッチングセンターは円形二階建ての建物だった。黒狐さま、ツキの順に、中央階段から二階へ上がる。
「おっと」
 階段でよろけた黒狐さま。ツキはとっさに両手を伸ばした。幸いにも黒狐さまは、自力で体勢を立て直した。
「大丈夫ですか?」
 長い髪をふわりとなびかせながら、黒狐さまは振り返った。そして、こちらの頭のてっぺんから足先まで、じっくりと眺めてきた。
「あー、転んだ方が役得じゃったのぉ」
 ツキは、気恥ずかしくなって、手を引いた。
「やっ、やめてください」
 二階はまるごと展望フロアになっていた。外側に窓がなく、あるのは手すりだけ。支柱の本数も極力減らしているようで、視界が大きく開けていた。休日だけあって、家族連れが何組か巡回している。
 建物の外には、池が見える。手前は低木で囲まれており、奥には林が隣接している。池の道には、珍鳥目当ての鳥類愛好家たちが、ものものしいカメラを構えて待機していた。
 池にはざっと見ただけでも、カルガモやアオサギ、ハクセキレイがいた。
「黒いカモみたいな鳥がいますね」
「オオバンじゃな。白い頭、黒いからだ。鶴の仲間で、植物を主に食べる」
 黒狐さまは、単眼鏡片手に答えた。
「すごい、よくご存じで」
「さっき展示されておったろう」
「黒狐さまのうなじの生え際に夢中で、全然見ていませんでした」
「桜通のときからそうじゃが、おぬしわらわの髪に執着しすぎじゃろう」
 池に突っ立っている止まり木には、先ほどのオオバンとは逆に、頭だけ黒く体が白い鳥が休んでいる。
「コサギですか?」
「惜しいが違う。あれはクロツラヘラサギじゃな」
「特徴は?」
「首がエラい太いのじゃ。後は、目やおでこの周りがハゲてて、真っ黒」
 言われてみれば、首元がもふっとしている気がする。
 少し離れたところに、運良く本物のコサギが着水した。首は細く、くちばしは黒い物の、顔そのものは白い。足も、クロツラヘラサギよりも長そうだった。
「コサギに比べてくちばしは長く、平べったく、しゃもじ型じゃな」
「本当、展示を一度見ただけで、よく覚えていますね」
「いや、それは直接見比べただけじゃな」
 黒狐さまから単眼鏡を受け取り、クロツラヘラサギを見――
「逃げられたっ!」
「あー、残念じゃなぁ。まあ、生きていればまた出会うこともあろう」
 ケラケラ笑うと、黒狐さまはぽつりとつぶやいた。
「こうして自然豊かな景色を見ていると、ようこの頃を思い出すのぉ」
「今だって妖狐じゃないですか」
「妖怪の妖じゃなくて、幼いの方の幼な」
 幼少の話を聞くのは、初めてだった。
 ツキが身を乗り出すと、黒狐さまは絵本を読む母親のような口調で語り始めた。

「狐は、人がいない場所を巣穴に選ぶ。巣穴を中心に、半径300~500メートルくらいに人気がないのがベストじゃ。未利用の農地や、樹林地、原地、墓地の一角、河川敷に残された藪の多い場所なんかに、わらわの巣穴があった」
「一か所じゃないんですか」
「狐はめっちゃ引越ししまくるんじゃ。具体的には一シーズンに4~5回。親が先行して、子がそのあとを追うんじゃ。鴨の親子みたいにのぉ」
 狐の親子が、仲良く歩いて引っ越ししている様子が頭に浮かんだ。ほっこりして、思わずにやけてしまう。
「兄弟同士で追いかけっこしたり、じゃれ合ったり。巣穴の前の小川のほとりを仲良く散策したりするんじゃ。毎日が新鮮で楽しかったのぉ。見せられないのが残念じゃ。SNSに投稿すれば、大拡散間違いなし。超キュートな幼少期」
 草木を咥えたり、コケの匂いを嗅いだり、兄弟に跨ったり、甘噛みし合ったり……。
「旅行もしたのぉ。縄張りの範囲は結構広くて、半径10平方キロほどじゃ。まず親が先に進む。子はそのあとに続く。子がついてこないと親は立ち止まり、子がついてくるのを確認して歩き出す。そうやって、いろんなところを回るんじゃ。重要な場所へ、繰り返し子ぎつねを連れまわし、学習させるんじゃ」
「親の同伴とはいえ、巣穴から遠く離れた場所に行くの、結構勇気がいりそうですよね」
「怖いときは、親を無視して巣穴に帰った。引っ越しは親主体じゃが、旅行は子が主体じゃからな。わらわはさぞや面倒な子供じゃったろう」
「マジですか」
 黒狐さまは、申し訳なさそうな笑みを浮かべた。
 ツキは気づいた。目標だけ提示して、あとは放置。これはまんま黒狐さまがツキに対してしていたことだ。突き放して自主を促すのは、狐の育児そのものだったのだ。そして、親にさんざん逆らった過去があったからこそ、黒狐さまはツキに対しても寛大になれたのだろう。
「母上にも、伯母上にも、迷惑をかけた」
「伯母上?」
「メスの6割は子育てせず、血縁の育児を手伝う。そうすることで間接的ではあるが、自分に近く、なおかつ自分よりも優秀な遺伝子を、より多く残せるのじゃ。伯母上、優しかったのぉ」
 繁殖力が高いメスと、優位なオスしか、結婚できない。婚活が厳しいのは狐も人間も変わりない。
 それでも、叔母は悲観せず、全力で黒狐さまと兄弟を育ててくれた。
 そんな叔母が最も苦労していたのが、給餌だ。
「餌の取り合いはいつだって本気じゃった。親や叔母から、頭突きする勢いで餌をふんだくり、近づいてきた弟を尻でガード。そうして、兄弟を追っ払う。そうすれば餌を独り占めできる。この時ばかりは、仲良し兄弟も敵じゃ。毎度毎度、跳んで跳ねて駆けて叫んでの大乱闘」
「こんな感じですか?」
 ツキがスマホを操作してすると、黒狐さまが肩を寄せて覗き込んできた。
 給餌用の皿を置きに来た飼育員さんが、狐に囲まれて「危ない!」「待って!」と、金切声を上げている動画。狭い室内で、数十匹の狐が、最高時速50キロで駆けまわる。もう、混沌としか言いようがない。家族単位でしか群れず、人にこびず、それでいて賢く、好奇心旺盛。犬のように『待て』などという上品な真似はしない。狐の潜在的な凶暴さを、まざまざと見せつけられる。
「そうそうこんな感じ。規模は小さいが、誇張抜きでこんな感じ。懐かしいのぉ」
 懐かしそうに、動画を眺める黒狐さま。
「母上は、徐々に給餌の回数と、一緒にいる時間を減らしていった。わらわも、巣穴や休み場で、親を待つことが少なくなっていった。行動範囲、探索範囲が広がって、昆虫類の採食をはじめ、自力で餌を見つける力も増えていったからじゃ」
 そこまで語ったとき、黒狐さまの表情に影が差した。

「そして、あの日。突然、母上が豹変した」
「へ?」
「巣穴に近づくと、じゃれ合いとは比べ物にならない速さ、長さで追いかけてきたんじゃ。『捕まったら噛まれる』。そう察知したわらわは、巣穴から逃げ出した。兄弟の中には、何度も親に懇願した者もいた。でも母上は、無慈悲に吠え、噛みつき、戦い、追い返した」
「そんな……いったいなぜ?」
「餌場にはもう、わらわと兄弟を養うだけの食料がなかった。自分が飢えることを恐れた母上は、自分の勝手で、子であるわらわたちを追い出したんじゃ。それ以降は赤の他人として生きていく。それが、狐の、巣立ちじゃ」
 あまりにも壮絶な巣立ち。そこまでする必要はないのではないか。
「わらわはそれから、巣穴から少し離れた場所で、何とか寝床と餌場を確保した。わらわは母上を憎んだ。憎んで憎んで憎み抜いた。巣穴でたった一人くるまって、寒さに耐えているとき。飢えに飢えて、倒れそうになったとき。嵐に飛ばされた枝が強打したとき。理不尽にさらされる度に、母上に憎悪を募らせた」
 自然は過酷だ。犬やオオカミ、そして人間といった数多くの天敵がいる。飢えや疥癬をはじめとする致命の病、台風などの天災の脅威もある。
 そんな危険な場所へ、我が子を放逐する。人間では考えられないほど、残酷な所業だ。
 でも、黒狐さまは母上を恨んでいるようには見えない。
「一歳になり、母上と同じく、妊娠できる身になって初めてわかった。母上は、叔母上は、こんな過酷で理不尽な世界で、わらわたちを育ててきたのだと。己が限界に達し、発狂する寸前まで、命がけで守ってくれたのだと。そして、たとえ離れていても、わらわの憎悪を引き受けることで、理不尽に耐える力を授けてくれたのだと。それに気づいた瞬間的、わらわの憎悪は一気に感謝へと変わった。わらわは、母上に恩義を返すべく、ヘルパーとして巣穴へ戻った。」
 してあげたものは覚えていても、してもらったことは忘れやすい。黒狐さまもその例に漏れず、親にさんざん甘えておいて、その全てを忘れてしまっていた。
「じゃが、母上も、伯母上も、兄弟も、誰もいなかった。残された小さな骨の欠片が、全てを物語っていた。子ぎつねが一歳に達するのは、全体の一割程度。そして、野性の狐の寿命はおおよそ三~四歳。珍しいことではない」
 残酷すぎる結末だった。黒狐さまは実に千年以上もの間、大切な人に感謝を伝えなかったことを後悔し続けてきたのだ。
「わらわは、母上に守られ、すみかを与えられ、食べ物を与えられ、いきる術を与えられ、世話をされることが当然じゃと思っていた。だから母上にたいして、産まれてから一度も『ありがとう』と、言ったことがなかった」
 ツキはなんとなく、黒狐さまが自分にたいして辛く当たった理由がわかった。
 きっと黒狐さまはツキに、過去の自分を重ねていたのだ。未熟な自分を見れば、叱咤したくなるのも当然。同時に、親近感がわき、庇護したくなる気持ちも沸いたのだろう。
「常日頃から感謝を感じていて、『ありがとう』を言いそびれていたのならまだいい。わらわは尽くしてもらうことを当然と思い、感謝すらしていなかった。すべき感謝に、気づくことすらできなかったのじゃ」
 子供の親が、手招きしながら子供たちに近づいた。子供は親と手を繋いで、去っていく。

 ツキは、黒狐さまが語り終えたのを確認して、口を開いた。
「感謝を伝えようと思ったとき、相手はすでにこの世にないなんて。悲しすぎます」
「そうじゃ。だからわらわは、おぬしがうらやましいんじゃ。感謝を伝えるべき人がまだ生きていることが。嫉妬で狂いもだえそうになる。『なぜ感謝に気づかない! なぜ感謝をしない! なぜ感謝を伝えない! 自分も相手も、いつ死ぬかわからんのに!』とな」
「怒り、嫉妬、不安、不満、同族嫌悪……黒狐さまの、僕に対する感情を並べてみると凄烈ですね。黒狐さまが僕を攻撃するの、当然のような気がしてきます」
「そうか、言われてみればそうじゃな。気づかんかった」
「だから、そんなに自分を責めないでください」
 黒狐さまは、下を向いて、髪の毛を弄り始める。気分が落ち着かないときに行う、黒狐さまのくせだ。
 ツキは黒狐さまの前にかがむと、手を取った。そして、瞳を直視する。
 黒狐さまは、強く握り返すと、力なく頷いた。
「それにしても、今日はやけに、過去のことを思い出すのじゃ」
「認知しょ……ごふっ」
「16才のピチピチ女子高生になにいっとんじゃ!」
「ピチピチは死語……げふぅっ」
 ビンタを二発くらい、ツキはダウンした。
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