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新婚生活編

1.ぷろぽーず

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2×××年。
ニホンではここ十数年で同性同士の結婚も認められるようになり、中には結婚で得られる法的・社会的メリットに魅せられて同性の友人同士で形だけの結婚をする層が急増した。
同性パートナーに対する世間の目が少しずつ変わってきているのは喜ばしいことだが、その反面独身者の肩身は狭くなる一方だ。

だからといって俺は結婚なんてするつもりはなかったのだが。

「おい起きろ。遅刻するぞ」
俺は隣で寝ている男の体を揺すって起こそうとすると、男は布団から手を出してひらひら振った。
「…あと5分」
「そう言ってお前いつもギリギリまで寝てるじゃねえか。今日こそは早く起きるって昨日言ったよな?」
「うーん……」
俺がもう一度体を揺らすと、ようやく男は体を起こした。
「…瞬ちゃんは朝強くていいねー」
「お前が弱いだけだろ」
この無駄に顔の良い男の名前は立浪彗(たつなみ けい)。
俺の幼馴染であり…

一応、配偶者だ。
しかも先月籍を入れたばかりの新婚夫婦なのである。
とはいえ別に俺たちは自ら望んで結ばれたわけではない。
少なくとも俺はコイツに恋愛感情の類は一切抱いていなかった。

ーー先月のこと。
母親から「祖父が危篤だから最後に結婚相手の顔を見せて安心させてやって欲しい」という連絡があった。
「この際“婚約者のふり”でも良いから誰か連れてきてくれ」と。
恋愛にも結婚にも関心のない人間は今のニホンでは希少種らしく、祖父は以前から俺の将来を心配していた。

しかし彼女どころか同性の友人すら片手で数えられる程しかいない俺には婚約者役になってくれそうな人物は1人しから思い浮かばなかったのだ。

「…もしもし彗?」
『おーどうした?』
「ちょっと頼みがあるんだけどさ……」

彗とは幼稚園からの付き合いで互いの家がほぼ隣同士という事もあり幼い頃から家族ぐるみの交流があった。
小学校の頃は毎年夏休みになると彗の家族と一緒に旅行に行ったりしていたものだ。
学生時代は放課後になると自然とどちらかの家に集まりゲームをしていた。もはや兄弟のようなものだった。
高校卒業後進路は別れてしまったが、お互い地元からさほど離れていないということもあり今でも定期的に会って近況報告をするくらいの関係は続いていた。
今回も彗なら協力してくれるだろうと思って相談してみたのだが…

「彗、俺と結婚してくれ」
『…え? 』

電話越しでも分かるくらいに戸惑っている様子が伝わってきた。
無理もない。
今まで友人として付き合ってきた相手がいきなり「結婚しよう」と言ってきたら誰だって驚くだろう。
しかし祖父を安心させるためにはこれしか方法がなかった。
「頼む! 今度飯奢るから!」
『あのー…もしかしてドッキリか何か?』
「違う。本気だ」
電話の向こうで沈黙が流れる。
そして数秒後、彗は大きなため息をつくと口を開いた。
『……分かった。とりあえず話聞かせてよ』

待ち合わせ場所は祖父が入院している病院の近くの喫茶店だった。
時間通りに行くと既に彗は席についてコーヒーを飲みながら待っていた。
「悪い、待ったか?」
「いや全然大丈夫だよ。それよりどういうこと?」
俺は彗の前に座ると注文を取りに来た店員さんにブレンドコーヒーを頼んだ。
「……ってわけなんだけど…」
「なるほどねぇ。どうせそんな事だろうと思ったよ」
彗は呆れた様子で言った。
あの時は慌てていたとは言え、もう少し順序立てて説明すべきだったかもしれない。
「つまり、身内の前で婚約者のふりをすればいいんだよね」
「引き受けてくれるのか!?」
俺は思わず前のめりになる。
「まぁ、瞬ちゃんとこの爺ちゃんには子供の頃可愛がってもらってたし」
恩返しさせてよ、とあっさりと承諾してくれた彗に感謝を伝え、俺たちは早速祖父の元へ向かう事にした。

ーー病室にて。
「…瞬介か?」
祖父はベッドの上で横たわったまま弱々しくこちらを見た。
傍らには祖母と母もいる。
重苦しい空気に俺は少し緊張していたが、彗はいつも通りの調子で話しかけた。
「どもーお久しぶりです。僕のこと覚えてますか?子供の頃よく瞬介くんに遊んでもらっていた近所の…」
「彗くんか。立派になったのう…今日はわざわざお見舞いに来てくれたのかい?」
彗は俺の方を見て目配せすると、今度は祖父に向かって笑顔を向けた。
「お爺さま。実は僕、瞬介くんと交際させていただいておりまして」
全く緊張する素振りもなく堂々と話す彗に、俺は感心すると同時に少々面食らう。
「あの…男同士だけど俺たち真剣に付き合ってるんだ。けっ結婚も…考えてて…」
声が裏返り言葉に詰まる俺を横目に彗は穏やかな笑顔を崩さず続けて言った。
「お爺さま、僕達の結婚を許していただけますか」

祖父は大きく目を見開いた後、考え込むように眉間に皺を寄せ黙り込んでしまう。

「……瞬介が選んだ相手なら間違いないな…」
その言葉に俺たちは思わず顔を見合わせ胸を撫で下ろした。

「彗くん、瞬介を頼んだよ」
「はい。必ず幸せにします」
祖父は彗の言葉を聞くと安心したように静かに目を閉じた。
背後からは祖母と母の啜り泣く声が聞こえる。

「爺ちゃん…!」

俺は祖父に駆け寄り手を握る。
こんな突然の別れになるのならもっと会いに行くんだった、日頃から感謝を伝えるんだった…
そんな後悔が頭を支配していた、次の瞬間。

「…うるさいのぉ!!病人の耳元で騒ぐでない!!ワシは眠いんじゃ!!」

静かな病室に祖父の怒鳴り声が響き渡った。
状況が飲み込めず、彗と2人で固まっていると祖父がため息をつきながら続ける。
「まぁ、しかし入院したお陰で良いものが見れたわい」
「え……あの…爺ちゃん?」
「何じゃ?まだ何か用か?」
先程までの弱々しい姿とは打って変わって元気になった祖父の姿があった。
「いや、だって俺…爺ちゃんが危篤だって聞いたから…」
「なに!?誰じゃ!そんなことを言ったのは!!不謹慎な…!!ワシはただの食あたりで入院しただけじゃ!」

祖父はとても演技とは思えないほどの剣幕で怒っていた。

ということはつまり…
「……母さん?これはどういうこと?」
俺はゆっくりと振り返り、母親を睨みつけた。
「あらやだ!私ったらそそっかしくて……お義父さんの容体が急変したって聞いたから慌てちゃって……悪気はなかったのよぉ~」

とぼけた顔で言い訳をする母親に呆れてものも言えない。
口元を抑える指の間から口角が上がっているのが見え隠れしている。
これは間違いなく確信犯だ。

「まぁ、でも…お爺ちゃんが無事で良かったじゃない」
彗から優しく肩を叩かれる。
「あ、ああ……そうだな」
釈然としない気持ちではあったが、ひとまず一件落着ということで良しとしよう。

「ところで瞬介、入籍はいつじゃ?新居は決まっておるのか?」
祖父が真面目なトーンで言う。
「あーその事なんだけど…あれは爺ちゃんを安心させるための嘘って言うか…」

「なに!?ワシを騙したのか!?嘘をつく人間にだけはなるなとあれほど言っておいただろう!」
祖父はベッドから上半身だけ起こし、俺に掴みかかりそうな勢いでまくし立てる。
そうだ、祖父は何よりも嘘が嫌いな人だった。
俺が思わず後退りすると彗がすかさず間に割って入った。
「ここは俺に任せて」
俺の耳元でそう囁くと彗は祖父の目線まで屈み、そっと手を握った。

「お爺様、これは全て僕が提案したことなんです。瞬介くんはなにも悪くありません」
「え…」
「危篤というのは僕たちの誤解でしたが、実は“最期にお爺さまを安心させてあげたい”と瞬介くんから相談を受けまして…」
「…なるほど。しかし、ワシはどんな理由があっても嘘だけは好かん」
祖父は落ち着きを取り戻したものの、まだ納得できないといった様子で再びベッドへと寝転がった。

祖父が落ち着いたのを見計らい、俺は慌てて彗に耳打ちする。
「おい!なんで俺を庇ったんだよ!?」
「大丈夫だから」
そう言って彗は余裕のある笑みを浮かべながらウインクをした。

「お爺さま、どうして僕が“婚約者のフリ”なんて提案をしたのか分かりますか?」
「む?」
「僕はずっと瞬介くんの事が好きだったんです」
「なっ……!?」
俺は思わず声を上げそうになる。
彗の告白を聞いた瞬間、心臓が跳ね上がった。
いや待て、これは祖父を落ち着かせるための芝居なんだ。
自分に必死に言い聞かせるが、鼓動はどんどん早くなっていく。

「ほぉ、そうかそうか。やはりお前は瞬介のことを……」
「はい、小さい頃からずっと」
彗は笑顔で答える。
俺はもう何も考えられなくなり、2人のやりとりを眺めることしかできなかった。
「瞬介くんは思いやりがあって、誠実で、かっこよくて…大人になってからもずっと僕の憧れでした」
彗はそう言うと今度は俺の方を見て微笑んだ。
その視線に心臓が跳ねる。
そして彗は再び祖父に目を向けた。
「……だからどうしても瞬介くんの力になりたくて……本当に申し訳ありませんでした」

彗は申し訳なさそうに頭を下げた。
「いや、ワシこそ悪かった。彗くん、顔を上げてくれ。……はぁ、しかし瞬介、良い嫁さんと巡り会えて良かったな」
祖父はにっこりと笑い、彗の肩を叩いた。
穏やかに笑う祖父の顔を見てホッとしたのも束の間、不穏なワードが引っかかり俺は思わず聞き返す。

「……え、嫁さん?」

「彗くんを逃したら瞬介はどうせ一生独り身じゃろうしな。結婚はワシが許す!」
「……ちょっと爺ちゃん!何言ってんの!?」
動揺する俺の隣で彗は口元を押さえながら笑いを堪えきれないといった様子で肩を震わせていた。
「ふふ。お爺さま、ありがとうございます」
「おい!お前も断れよ!」

彗の奴は昔からこういうところがあったが、今回ばかりはどこまでが本気なのか分からない。
今は祖父を騙したことに対する罪悪感よりも、この状況への焦りの方が上回っていた。

「あらやだ!お似合いじゃないのぉ~!お赤飯炊かなきゃ!!ねぇ、お義母さん!」
「うむ、早速ご近所さんにも連絡せねばな」
「こんなイケメンの息子が増えるなんて…かあさん嬉しいわぁ」
俺の動揺をよそに母と祖母は手を取り合ってキャアキャア盛り上がっている。

「やっぱ瞬ちゃんの家族って面白いねえ。それじゃ、不束者ですがよろしくお願いしまーす」
「はあ!?」

その後、母と祖母の拡散力でご近所さんや職場、元同級生達にまでこの件が知れ渡り、結局引っ込みがつかなくなった俺たちは本当に結婚する羽目になってしまったのだ。

ーーーーそして今に至る。

「いってきま~す」
「あ!待て彗!」
玄関で靴を履いている彗に慌てて駆け寄り、弁当の入った保冷バッグを渡す。
「え~もしかして愛妻弁当?」
「うるせえ、早く行け」
彗は嬉しそうな顔をしながらはいはいと返事をしてドアノブに手をかける。
「今日は早く帰ってくるから一緒にご飯食べようね」
「ああ」

俺が軽く手を振って見送ると、彗も微笑みながら振り返して出て行った。
顔が良いと些細な仕草も全て様になるからずるいと思う。

パタンと閉まった扉を見つめながら思わずため息が出る。
彗のことは嫌いではないが、どうしてこんな事になってしまったのだろうか。
独り身というのはそこまで罪なものなのだろうか。
俺のせいで人生が変わってしまった彗にも正直申し訳なかった。
だからせめてもの償いで家事は俺が多めに負担しているし、今日からできる限り弁当を作ろうと決めていた。

…そういえば、俺はまだアイツの本心を確認していなかった。

『瞬介くんは思いやりがあって、誠実で、かっこよくて…ずっと僕の憧れでした』

爺ちゃんの前ではああ言っていたけど実際のところはどうなんだろうか。
最近では友人同士の同性婚も流行っているし、あいつには「家庭を持ちたい」という願望も無いようだったから彗にとってはあの事件は渡に船だったのかも知れない。
…というのは罪悪感から逃れたい俺の願望に過ぎないが。

そんな思考が頭をよぎったところでスマホのアラームがけたたましく鳴り、現実に引き戻される。

「…よし、仕事行くか」

俺は自分に言い聞かせるように呟くと鞄を手に取り、いつも通り家を出た。
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