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15.わくわく社員旅行②

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「ん……?」
目が覚めると見慣れない和室で布団に横たわっていた。
一瞬、自分がどこにいるのかわからず戸惑ったが、すぐに社員旅行で旅館に来ていた事を思い出す。
そうだ、俺は桜庭と同じ部屋に泊まっていたのだ。

桜庭と話し込んでいるうちにいつのまにか眠っていたようだ。
まだ外は暗く、月明かりだけが室内を照らしている。
枕元のスマホで現在の時刻を確認しようと思ったが、画面の光で目が冴えてしまいそうで躊躇われた。
とりあえずもう一度寝直そうと思いつつ寝返りを打つと、隣の布団が空っぽになっていることに気づいた。

トイレにでも行ってるのだろうか。
そう思いながらゆっくり上半身を起こすと、広縁に置かれた椅子に腰掛け、缶ビールを傾ける桜庭の姿が視界に飛び込んできた。
月明かりに照らされながら窓の外を見つめる浴衣姿の彼はなんだか色っぽくて思わず息を呑む。

「悪い。起こしたか?」
俺の視線に気付いた桜庭が振り返りざまに尋ねてきた。
突然の出来事に思わず心臓が大きく跳ね上がる。
「あ、いや、たまたま目が覚めただけ。桜庭は何してるの?眠れない感じ?」
「ああ。なんか目が冴えちゃって」
「もしかして枕変わると寝れないタイプか」
「まあ、そんなとこ」

桜庭は興味なさげな表情を浮かべながら再び窓の外に目を向けた。
「俺もそっちに行っていい?ちょっと話したい気分」
自分でもなぜそんなことを言ったのかわからない。
明日も1日観光で歩き回る予定だから早く休まないといけないのに。
ただ、なんとなくこのまま1人で寝てしまうのは寂しかった。 
「好きにすれば」

桜庭のぶっきらぼうな返事を聞いた俺は布団から抜け出し、広縁に置かれている丸テーブルを挟んだ向かい側の席に腰掛けた。
外はまだ暗く、山々が黒々と連なっている様子が伺える。時折、風に吹かれて木々の葉が擦れる音が響く以外、部屋は静寂に包まれていた。

「桜庭、なに飲んでんの」
「酎ハイ。お前が寝た後売店でこっそり買って冷やしといた」
「うわ、明日起きれなくなっても知らねーぞー」

俺が茶化すように笑うと、彼は「その時は起こしてくれ」と缶酎ハイに口をつけながら言った。

会話が途切れると途端に静寂が辺りを支配するようになったが、それは不思議と心地よい沈黙だった。
どこか遠くでホオホオという鳥の声が聞こえてくる。

「山吹ってさ」
不意に名前を呼ばれ心臓がドクンと跳ねる。
平静を装いながら「うん?」と首を傾げると、彼はゆっくりとこちらを振り返り言葉を続けた。

「俺の事好きなの?」
「……へっ!?」
予想外の質問に、俺は今が夜中だという事を忘れて素っ頓狂な声を上げてしまった。
慌てて両手で口を塞ぐも、時すでに遅し。

隣の部屋まで声が響いてしまっていないだろうか、と心配になって2人同時に壁の方を振り返る。
10秒ほど沈黙が続いた後、俺達は顔を合わせて息を吐いた。

そして改めて桜庭の質問を頭の中で反覆する。
『俺のこと好きなの?』
確かに桜庭はそう言った。
普通に考えたら「同僚として」という意味だろうけれど、彼の真意が全く読めなかった。

「……そりゃ好きだよ。一緒に仕事してて楽しいし、頼りにしてる」
戸惑いながらも正直に答えると、桜庭は「ふーん」と呟き、小さく笑みをこぼした。
その表情からは真意は読み取れない。

「どうして急にそんなこと聞くんだよ」
「前から気になってたんだよ。なんで俺みたいな堅物に優しくしてくれるのかなーって」

落ち着いたトーンで紡がれる彼の言葉を、俺は黙ったまま聞いていた。
「仕事仲間としてある程度仲良くする必要があるのはまぁわかるけどさ。山吹はプライベートでも飯誘ってくれたり、休みの日にも連絡くれたりするじゃん」

そこで桜庭は一旦言葉を区切り、視線を床に落とした。
「明日の自由時間だって、わざわざ一緒に回ろうなんて言い出すし」
「……も、もしかして迷惑だった?」

もしかしたら俺からの一方的な絡みに嫌気が差したので距離を置いて欲しいということなのかもしれない。
それとも俺の好意がバレてしまったのだろうか、と背中に冷や汗が流れる。
そんな不安が過ったが、すぐに桜庭は首を左右にふった。

「もし、俺に恩を感じて無理に付き合おうとしてくれてるなら申し訳ないなって思っただけ」
「……恩?」
「まだお前がウチに来たばっかの頃。牛丼奢った事あったろ」

俺が桜庭と出会って一年目の時の話だ。
当時人生に失望していた俺は、無意識のうちに駅のホームから飛び降りかけたことがあった。
たまたま側にいた桜庭に腕を掴まれ一命を取り留めたのだが、その時彼に「とりあえず飯を食え」と牛丼を奢ってもらったのだ。
後から桜庭に聞いた話では、あの時の俺は痩せこけて、見るからに憔悴しきっていたらしい。
ただの偶然とはいえ、俺にとって桜庭は命の恩人だった。

俺が過去に思いを馳せ、言葉を返さずにいると、桜庭は「それに」と小さく呟いた。
「お前は優しいからな。職場で孤立してる俺に声掛けるくらい」
そう言って笑う彼の顔には、どこか自虐めいた雰囲気が漂っているように思えた。

「だから、もし気を使ってくれてるなら無理しなくても……」
「無理なんかしてない」
彼の声を遮るように、俺は食い気味に否定の言葉を述べる。

「確かに恩は感じてるよ。でもだからって別に義理とか同情とか……そんな理由で接してきたわけじゃない。俺は純粋に桜庭と一緒にいる時間が楽しくて、だからもっと一緒にいたいって気持ちだけで……」

そこまで口にしたところでハッと我に帰り自分の失言に気づく。
これではまるで告白しているようだ。
俺は誤魔化すために乾いた笑みを浮かべ頭を掻いた。
「あはは、なんかクサかったな!あっそうだ、明日も早いしそろそろ寝ないとなー」

恐る恐る彼の顔を見るも、彼はいつもと変わらない様子で「そっか」とだけ答えた。
どうやら俺の好意については不快感を覚えている訳では無さそうだ。

「じゃあ、好かれてるって事でいいんだな」
「当たり前だろ!てか、前に“相手の好きなところを言わないといけない夢”でお前の好きなところ10個言ったじゃん」
「だってあれは不可抗力っていうか……言わなきゃ夢から覚めないと思ったからお互い仕方なくって感じだし」
「仕方なくぅ!?じゃあ俺の好きなところも本当は嫌々言ってたって事かよ!」
「あ、いや。そういうことじゃなくて……」

少しずついつもの空気に戻りつつある事に安堵しながら軽口を叩き合う。
桜庭は他人に関心のないタイプの人間だと思っていたが、こんな繊細な一面もあるのだなと、俺は新鮮な驚きを覚えいた。

「俺も山吹の事はちゃんと好きだし」

突然発せられた予想外のセリフを聞いて、俺は思わず硬直する。
前後の文脈からして、もちろんただの同僚としてという事だろうけど、それでも嬉しいものは嬉しい。
「あはは。じゃあ両想いだな~」

俺は冗談っぽく笑いながら、窓の外へ視線を移す。
部屋が薄暗いおかげで顔が赤く染まっているのを悟られずに済みそうだ。

「んじゃ、そろそろ寝ますかねー……」
そう言って桜庭の方に向き直った瞬間。
「あれ?桜庭……?」

向かいの椅子に座っていたはずの桜庭の姿が消えた。
テーブルには缶酎ハイが置きっぱなしになっており、さっきまで桜庭がいた痕跡があるにも関わらず本人だけが見当たらない。

席を立ったような気配はなかったし、目を離したのだってほんの2,3秒だ。
布団の方に視線を移動させてみたが、ただ平らな掛け布団が広がっているだけだった。

「桜庭ー?おーい」
客室に向かって小さな声で問いかけるが返事は無い。
それどころか人の気配すら感じなかった。
「……どこいっちゃったんだ」
急に怖くなってきた俺は布団に近寄り、掛け布団の中を手でまさぐる。
しかしそこには当然、人の体温すら感じられない。
トイレや風呂場まで確認したものの、桜庭の姿は見つからなかった。

「どこ行っちゃったんだよ」
しんと静まり返った室内に俺の呼吸音だけが響く。

「もしかして外か?」
扉を開ける音なんて聞こえなかったけどな、と思いつつも俺は玄関へと足を運ぶ。

「あれ、」
スリッパがちゃんと2人分ある。
しかも下駄箱には桜庭の靴もちゃんと収納されていた。
もちろん俺の靴も。
ということはまだ彼はこの部屋の中にいるということになる。

まだ確認していない場所なんて、と思考を巡らせながら客室へ戻ると一つの答えへと辿り着く。
「押し入れ……」
なぜそんな場所に入る必要があるのか皆目見当もつかなかった。
けれど、ここ以外もう確認する場所は残って無い。
俺は覚悟を決め、静かに押し入れへと近づいた。
「桜庭ー?変なイタズラやめろよー……」

小声で問いかけてみるがやはり返ってくる声はない。
桜庭がこの手のイタズラをするタイプではないことはよく知っていた。
ただ、一刻も早くこの状況を抜け出したいと思い、押し入れに手をかけたその時だった。

足元が沈み目の前が真っ暗になった。
俺はこの感覚を知っている。
例の夢から覚める時と同じものだ。

「……山吹、おい。山吹、朝だぞ」
誰かの声が聞こえる。
ぼんやりとした意識の中、瞼を開くと見慣れぬ天井が広がっていた。

「おはよう」
声の主は布団の傍らに座り、俺の顔を覗き込んでいた。
「桜庭……おはよ」
寝起き特有の掠れた声が出る。

「大丈夫か?なんかうなされてたみたいだけど」
「え、まじか」
「怖い夢でも見たのか」
心配そうに眉根を寄せてこちらを見ている彼に首を傾げる。
どうやら悪い夢を見ていたらしいが、どんな内容だったか思い出せなかった。

「うーん。全然思い出せねー……。やっぱ夢の湯はただの伝説だったってことかぁ」
「あはは。まだんな事言ってんのかよ」
「桜庭は?夢にそれっぽい人出てきたか?」
「残念ながら夢なんて見なかったよ。それよりお前も早く支度しろよ」

桜庭は既に浴衣から私服へと着替え終わっていた。
もう少し浴衣姿の彼を眺めていたかったなと残念に思いつつ、俺も体を起こす。
部屋の隅に備え付けられていたテレビでは、朝の情報番組が流れていた。
旅館で目覚める朝は非日常感があって少し不思議な感じだ。

テレビ画面の左上には7:15と表示されている。
明日は日曜で休みだが、明後日の今頃はもう自宅で出勤前の身支度をしているんだよな、なんて考えが過ぎり一気に現実へ引き戻された。

「はぁ~~帰りたくねえなぁ~」
俺は再び布団に寝転がって伸びをした。
「ほら、そんなこと言ってないでさっさと起きる」
「へいへい」
「“はい”は一回」
「いてっ」
ぺしりと軽く尻を叩かれ、渋々起き上がる。
そんなくだらないやりとりもなんだか心地良くて自然と口角が上がってしまう。
それは桜庭も同じようで、珍しく小さく笑っていた。
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