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16.わくわく社員旅行③

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社員旅行は予定通り観光地を回り、午後はお待ちかねの自由行動となった。
「お土産を買えるチャンスはここが最後だからね」と社長に念押しされ、皆それぞれ楽しげに売店を見て回っている。
温泉街であるこの土地にはたくさんの土産物屋が立ち並んでいる。

定番の温泉まんじゅうはもちろんのこと、ご当地グッズやこの土地限定の名物など見ているだけで楽しくなるような品揃えだ。

このあたりの地域は夢に関する逸話が多く残っているらしく、どの土産屋にも夢にまつわる商品が多く見受けられた。
理想の夢が見られるという枕、悪夢から守ってくれるドリームキャッチャー、夢の内容を記録する事で明晰夢を見られるようになる夢日記帳……など。

正直どれもこれも眉唾物だったが、例の夢について情報収集をしている俺にとってこれらの品は無視しがたいものだった。

「んじゃ、どっから回ろっか。桜庭はなんか買いたいものとかある?」
「んー……」
俺が尋ねると、桜庭は真剣な眼差しで土産屋が立ち並ぶ通りを眺め始めた。
その横顔はいつもより心なしか緩んでいるように見える。
「俺は特にいいや。とりあえずそのへん適当に……」

桜庭がそう言いかけた瞬間、背後から勢いよく腕に抱きつかれた。
甘い香りが鼻腔をくすぐり反射的に振り返ると、そこには満面の笑みを浮かべた女性の姿があった。
「由美ちゃん!?」
「山吹さん!やっと見つけました~」

桃瀬由美。
彼女を一言で表すなら「天然」だろうか。
昨夜、ちょうど桜庭との話題に上った人物だ。
艶やかな茶髪のロングヘアーは綺麗に巻かれてゆるふわなウェーブを描いでおり、ぱっちりと大きな瞳からはどこか小動物のような愛らしさを感じる。
そんな可愛らしい彼女の、その豊満な胸が俺の腕に当たっていた。

おっさんだらけの職場で比較的歳の近い俺と桜庭は由美ちゃんにとって話し易い存在なのだろう。
会社でも良くこうして声を掛けられる事が多かった。
彼女の人柄には俺も好感を持ってはいるが、如何せんスキンシップが激しめで困る時もあったりする。

ちなみに一応相手は選んでいるらしく、いつも桜庭とは一定の距離を保っているようだ。
確かに、常に「必要以上に話しかけるな」「触るな」オーラを放っている彼にベタベタとスキンシップを取る勇気は俺にもない。

「山吹さんはどこ回るとか決めてます?」
「んー、適当に桜庭とぶらつこうと思ってたとこだけど……」
この流れはまさか、いや、ただの世間話かもしれない。
俺は平静を保ちつつも、彼女の出方を静かにうかがう。

「それなら私もご一緒していいですか?私……方向音痴なので1人だと不安なんです」
俺の腕に胸を押し当てながら上目遣いをしてくるその表情からは明らかな好意が見て取れた。
桜庭と2人きりのデートに心を踊らせていたが、可愛い後輩がせっかく誘ってくれたのに断るわけにもいかない。

「うん、いいよ!じゃあ3人で……」
俺がそう言いかけると、桜庭はおもむろに俺たちから離れていった。

「桜庭?どこ行くんだよ」
「すまん。個人的に買いたいもんがあるの思い出したわ。俺の趣味に付き合わせるの悪いし、お前ら2人で回ってくれるか?」
「えっちょっと待っ……」

俺の言葉を待たずに彼は早足で歩き出し、すぐに見えなくなってしまった。
「えぇ~まじかよ」
不自然な桜庭の行動からは明らかに拒絶の色を感じた。
こんな露骨に避けるなんて由美ちゃんにも失礼じゃないか。
そう思って彼女を見やるが、呆然と立ち尽くしている俺とは対照的に「桜庭さん……相当マニアックな趣味でもあるんですかねぇ……」なんて神妙な面持ちで呟いていた。

こうして俺と由美ちゃんの土産屋巡りが始まった。
老舗和菓子屋、ご当地名産品、銘菓等々、たくさんの店を練り歩く。
時折露店に立ち寄っては、そこで売られているものをつまんだりしながら時間はあっという間に過ぎていった。

「あら~新婚さん?仲がいいわねぇ」
土産屋の軒先で由美ちゃんとご当地グッズを眺めていると、背後から店主らしき年配の女性が愛想の良い笑みを浮かべながら話しかけてきた。
他の客の事かと思った俺はあたりをキョロキョロと見回すが、どうも俺たちに対して言っているらしい。
「え、いや。違うんです!俺たちただの会社の同僚で」
慌てて否定すると、由美ちゃんも「社員旅行中なんです~」とニコニコ笑いながら話を合わせてくれた。

パーソナルスペースが狭い彼女とはいつも自然と距離が近くなりがちだし、客観的に見ればカップルのように映るかもしれない。

「あら、そうなのかい?お似合いなのにもったいないわぁ~」
「あはは……ありがとうございます」
「じゃあこれから頑張ってアプローチしないとねぇ!男は度胸だよ!」

女性は俺を肘で小突き、豪快な笑顔を見せたかと思うと、そのまま店の奥へと引っ込んでいった。

「もー!山吹さんっあんなハッキリ否定しなくてもいいじゃないですか~!私、ちょっと凹みましたよ」
「あっや、由美ちゃんが嫌とかじゃないんだ!俺みたいな冴えないおっさんと夫婦に間違われるなんて不快かなって……」
「……?私はむしろ嬉しいですよ?」
「あはは。もう、またすぐそういう冗談言う~」

由美ちゃんは上目遣いをしながらにこにことこちらを見ている。
これは本音なのか、それとも単にからかっているだけなのか。
どちらにせよ、俺は彼女を恋愛対象として見れないのだからあまり誤解させてしまうような言動は避けなければならない。
「あ、あれ美味しそうじゃない?ちょっと行ってみよーよ」

俺は話を逸らすように向かい側にあるたい焼き屋を指差した。
メニュー表には餡子やカスタードクリーム、チョコなど定番のものが並んでいる。
「わあ!いい匂い!山吹さんはどれがいいですか?私、ご馳走しますよ」
由美ちゃんは目を輝かせて財布を取り出した。
「へ?なんで……」
「今日付き合ってくれたので。その御礼です」
正直そこまで高いものではないが後輩の女の子に奢らせるのは何だか気が引ける。
しかし、彼女はもう既に注文する気満々のようで、俺が何と言って断ろうと考えているうちに店員さんに声をかけてしまった。

明るく朗らかで人懐っこくて、それでいて押しの強いところもあって。
桜庭とは真逆のタイプだな、とぼんやり思った。
「はい、山吹さん」
「ん、ありがと」
結局俺は彼女の厚意に甘えることにした。
鯛の形をした可愛らしい形のそれを齧ると、程よい甘味が口の中に広がっていく。
「んー♡美味しいですねぇ」
こうして並んで歩いていると、本当にデートをしているみたいで少し不思議な気分になる。

その後も土産屋を覗くたびにカップルや夫婦と間違われ、その都度俺は誤解を解く羽目になった。
その一方で、異性愛者に擬態できているような錯覚に陥り少しホッとしている自分がいたのもまた事実だった。

女性と生きることを選んだ元カレもあの時はこんな気持ちだったのだろうか。
ふとそんな考えが過ぎる。
世の中には桜庭のように1人が好きな人間もいれば、孤独に耐えられず愛されることを求める人もいる。
もちろんどちらにも優劣はなく、どちらがより幸せな人生だとは一概に決められないことも理解しているけれど。

世間一般ではやはり「誰かと共に生きる事」が美とされる風潮だ。
そして人間社会で生きていく以上、他者からの評価は人生の幸福度に大きく影響してくる。

よほど強靭な精神力や確固たる信念を持っている人間でなければ、少数派でありながら幸せな人生を歩んでいくのは難しいだろう。
それならばいっそ、自分を偽ってでも多数派に溶け込んだ方が楽なのではないか。
今思えば、元カレの判断は正しかったのかもしれない。

「そろそろ集合時間ですねー」
土産物屋の並ぶ通りを抜けて広場に戻る途中、腕時計を見ながら由美ちゃんが言った。
「意外と沢山回れたね」
「はい!色々買っちゃいました。でもすみません。それ、重く無いですか?」
「いいよ、いいよ。これくらい」
両手に持った紙袋を持ち上げると、かさりと乾いた音が鳴った。
いつの間にか荷物持ち係になっていた俺は、自分の分と合わせて計4つの紙袋を下げていた。

「私、山吹さんのそういう優しいところが大好きです」
由美ちゃんがふわりと微笑む。
こういう事をさらっと言えるのはやっぱり愛される女性の特徴なんだと思う。

「あはは、ありがと。でもあんまり男に好きとか言わない方がいいよ。勘違いしちゃう人もいるかもだし」
俺は冗談っぽく笑いながらそう返した。
これは普段から事あるごとに好意を伝えてくれる彼女への素直な忠告でもあった。
俺のように異性に興味の無い男が相手なら問題はないが、そうではない相手だった場合はお互いにとって良い事はないはずだ。
そう思っての発言だったが、彼女はきょとんとした表情をこちらに向けた。

「大丈夫ですよ。私だってちゃんと言う相手を選んでますから!」
「またまた~」
「……山吹さんは私のこと、嫌いですか?」
「え……」
まずい。この流れは非常に不味い。
今まで俺は、由美ちゃんからのボディタッチがやたら多かったのも日常的に好意を伝えてくるのも単に彼女の人懐っこい性格によるものだと思っていた。

だが、本当は俺の事を恋愛対象として見ていたという可能性もゼロではなかったのだ。

「あの」
「あっ!桜庭さん!」
俺の声を遮るかのように由美ちゃんが声を上げた。
視線の先に目を向けると、そこには串団子を頬張りながらじとりとこちらを見つめる桜庭の姿があった。
その手には土産屋のものらしき紙袋が下げられている。

集合場所の広場まではこの大通りを通る必要があるため、途中で鉢合わせたとしても何ら不思議は無いのだがよりによってこのタイミングで遭遇してしまうとは。
そんな俺をよそに由美ちゃんは桜庭に駆け寄り、にこにこと笑顔を浮かべていた。

「桜庭さん、何買ったんですか~」
「酒」
「へー、お酒お好きなんですねぇ」
「まぁ」
相変わらず2人の会話は弾まない。
しかし、彼女は気にした様子もなく一方的に話しかけ続けていた。
俺は由美ちゃんの背後からジェスチャーで『一緒に周る約束したのにごめん』と謝罪の意を伝えると、彼は小さく口元を緩めて首を横に振った。

それから俺たちを乗せたバスは再び高速道路へと向かって走り出した。
車窓から見える景色はすっかり暗くなっており、ぽつぽつと街灯が光っている。
行きと同様に俺の隣には桜庭が座っており、通路を挟んだ斜め前には由美ちゃんが腰掛けていた。

車内では観光に疲れて寝息を立てている者も多かったが、社長はバスに備え付けられたカラオケで歌謡曲を熱唱し始めていた。
相変わらず元気な人だなあ、と思いつつ俺も段々と瞼が重くなるのを感じる。
由美ちゃんに手を引かれるまま、かなりのハイペースで土産屋巡りをしていたためか、思ったよりも疲労が溜まっていたらしい。

そっと目を閉じて意識を手放そうとした瞬間、隣に座る桜庭が小さく口を開いた。
「良かったな」

半分夢の世界へ旅立っていた俺はその言葉を聞き逃しそうになったが、辛うじて「ん?」とだけ反応を返すことができた。
「さっき、桃瀬といい感じだったろ」

桜庭は窓の外を眺めながら淡々と言う。
まさかあのやり取りを聞かれていたのだろうか。
「見てたのか。……別にそんなんじゃないよ」
「ふーん」
「由美ちゃんは多分誰に対してもあんな風に接するタイプだし。俺みたいなおっさんがあんな可愛い子に相手にされるわけないって」

俺は自嘲気味に笑ってみせる。
車内では社長の歌声が響き渡っていているため、俺たちの会話は他の乗客の耳には届いてないだろう。
「ほんとにそう思ってんの」
「え?」
予想外の問いに思わず聞き返してしまった。
いつもの彼らしくないどこか含みのある言い方だ。
「お前はもっと自信を持った方がいいと思うけど」
「なんだよ急に。変なの」
俺は戸惑いを隠すようにわざと軽い調子で言う。
「別に。てか歩き疲れたから寝る」
「あ、うん」

桜庭は行きと同じように腕を組み、そのまま眠りに落ちていった。
俺はそれ以上何も言うことができず、静かに流れる風景に視線を移した。

桜庭はなんで急にあんな事言い出したのだろうか。
あれじゃまるで俺と由美ちゃんの関係を応援しているみたいじゃないか。
恋愛に興味のない彼が他人の色恋沙汰に関心を持つなんて想像できないけれど。

そんな事を考えているうちに、いつの間にか俺も眠りに落ちていた。
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