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17.カニパーティー

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「いらっしゃい。急に呼び出して悪かったな」
インターホンを押してからすぐに玄関の扉が開かれ、Tシャツにジーパンというラフな格好の桜庭が顔を出す。
社員旅行の時とはまた違った柔らかな雰囲気に、思わず目を奪われた。

「お邪魔しまーす」
「もうほとんど準備できてるから山吹は適当に座ってて」
「おう。なんか手伝う事あったら呼んでくれ」

なぜ俺が桜庭の家に招かれてるのか。
その理由は昨日の夜に遡る。

突然届いた桜庭からのメッセージには『祖母から蟹がたくさん送られてきたから食べにこないか』という内容が書かれていた。
桜庭の話によると、毎年この時期になると田舎のおばあちゃんから蟹が届くらしいのだが、今年は特に量が多かったそうで。
1人では到底食べきれないし、誰かに配ろうにもご近所付き合いもないし、なにより痛むのが早い…ということで俺に白羽の矢が立ったようだ。

こんな時期に蟹なんて珍しいなー、なんて思いながら俺は即座にOKのスタンプを送った。

そして今に至る。
プライベートの時に桜庭と会うこと自体稀だが、まさか自宅にお邪魔することになるなんて思いもしなかった。
促されるままリビングに足を踏み入れると、ローテーブルの上には既にカセットコンロや取り皿、おしぼりなど既に必要なものが並べられていた。
これを俺だけのために準備してくれたのだと考えるとなんだかくすぐったい気持ちになる。

桜庭の部屋はシンプルで必要最低限の家具しか見当たらない。
掃除も行き届いていて几帳面な桜庭の性格が窺えた。

「ほい。お待たせしました~」
しばらくすると桜庭が湯気の立った土鍋を持って現れた。
カセットコンロに置かれた鍋の中でぐつぐつと美味しそうに煮込まれた蟹を見てテンションが上がる。

「山吹はビールでいいか?」
「ああ。ありがと」
手渡された缶ビールを乾杯したあと、早速蟹の身をつまみ上げる。
濃厚な甘みと磯の香りが口に広がり、あまりの旨さに思わず笑みがこぼれた。
「うんま~っ!!桜庭の婆ちゃんに足向けて眠れねえ」

そんな俺の反応を見た桜庭は満足げな笑みを浮かべた。
「まだ焼き蟹もあるからな」
「こんな贅沢してバチ当たらないかな……」
「大袈裟なやつ」

好きな男とこんな風に過ごせるなんて、なんて贅沢な休日だろう。
俺は目の前にある幸福を噛み締めながら箸を進めた。
「…そういえば」
2本目の缶ビールを開けたところでふと思い出した疑問を投げかける。
「どうして俺に声かけてくれたんだ?」
俺以外にも仲の良い友人くらいいるはずだ。
もしかして俺のことを少なからず特別視してくれているのでは…などという都合の良すぎる考えが一瞬頭をよぎったが、それはあまりにも自惚れすぎているだろう。
「暇だと思ったから」
「ひど」

予想通りといえば予想通りの返答だった。
桜庭は鍋から取り分けた豆腐を頬張りながら淡々と答える。
「っていうのもあるけど。俺、友達いないからお前くらいしか誘える奴が居なかったんだよ」

あっけらかんと話す桜庭に、俺は箸を止めた。
「え、そうなの?」

必要以上に他人との接触を好まないことは知っていたけれど、そんなに友達がいないのか。
これは喜ぶべきなのか悲しむべきなのかよくわからないが、とりあえず桜庭の中で俺の存在が「プライベートに自宅に招いても抵抗のない相手」として認識されていることは分かった。
「……でも、ばあちゃんは俺に友達がたくさんいると思っててさ。だから毎年『みんなで食べな』ってこんなに…」

なんとも優しい婆ちゃんである。
桜庭もきっと、心配をかけたくなくて本当のことは言わなかったのだろう。
友達と食べるように、と送られてくる蟹を毎年1人で消費し続けていた桜庭の心境を考えると少し胸に迫る物がある。

「ま、社会人になったら学生時代の友達との関係なんて希薄になるし、そんなもんだろ」
「そういうもんかね」
「そうそう。あ、でも俺でよかったらいつでも呼んでくれていいぞ!休みの日はいつも暇してるし」

冗談めかしてそういうと、桜庭は少し驚いたような顔をしてから「ありがとな」とはにかんだ。
「あー、でも今日はマジで助かったわ。昨日の夜急に届いたからさ。早く食わないと痛むと思って焦った」
「桜庭のばーちゃんってどのへんに住んでんの?」
「北海道のすげー田舎の方」

へえ、と相槌を打ちながら頭の中に地図を思い浮かべる。
それから桜庭は祖母との幼少期の思い出話を語ってくれたが、そのほとんどが食に関することでなんだか微笑ましかった。
どうやら桜庭の両親は共働きで不在がちだったため、夏休みなどの長期休暇の際は祖父母の家に預けられる事が多かったらしい。

「向こうは畑と森しか無かったからなー、小学生の頃の夏休みはずっとばーちゃんちで農作業の手伝いとかしながら遊んでたよ」

桜庭が子供の頃住んでいたという家の様子を想像する。
古い平屋の大きな日本家屋。
縁側に腰掛けて風鈴の音を聞きながらスイカを頬張る幼い桜庭……うん、可愛い。
麦わら帽子を被って、首にタオルを巻いて、小さな手足を懸命に動かしてとうもろこし畑を駆け回る桜庭の姿を脳裏に浮かべながら俺は小さく笑った。

「しかも田舎だから無駄に家がデカくてさ。1人で家中探検ごっこ……いや、なんか1人で話しすぎたな。すまん」
桜庭は照れ隠しのように残っていたビールを飲み干した。
その顔はほんのりと赤くなっているように見える。
普段2人で飲みに行っても桜庭が振ってくる話は仕事や時事問題の話題ばかりで彼自身の話はほとんど聞いたことがなかった。
だからこそ、自らこうして自分の事を話してくれるのが嬉しかった。

「桜庭の話面白いからもっと聞きたいんだけど~」
俺はニヤけそうになる口元を隠すように缶を傾ける。
「俺の話はいいからお前の話も聞かせてくれ」
「俺ー?別に話すようなこと何もないぞ」
最近なにか面白いエピソードあったかな、と記憶を辿るが特に思い当たる節はない。

「んー……あ。桃瀬とはその後進展したのか?」
「ごほっ」
突然、予期していなかった人物の名前が出たことに動揺し、思わず咳き込んでしまう。
「なんでそこで由美ちゃんが出てくるんだよ」
「なんでって……社員旅行の時、いい感じだったし」

「社員旅行の自由時間ん時、なんかいい雰囲気だったし」
「別にそんなんじゃ……」
「でも楽しそうに2人でたい焼き食ってたじゃん」
あの時か。
土産屋の店主に夫婦と間違えられ、話を逸らしたくて咄嗟にたい焼き屋を指差してしまったのだが、まさか桜庭に見られていたなんて……。

「なんだよー、近くに居たなら声かけてくれればよかったのに」
「いや、なんか邪魔しちゃ悪いかなって思って」
そう言って桜庭はテーブルの上の皿を片付け始めた。
俺もつられて缶に残ったビールを流し込む。

「でも残念でした~。桜庭が考えてるような甘い展開はありませーん」
「うわ、まじかよ。せっかく2人きりにしてやったのに」
やはり桜庭があの時突然別行動を取ると言い出したのはそういう意図があったのか。
しかし申し訳ないが、俺の好きな人は桜庭なのでいくらお膳立てされても無駄なのだ。

桜庭は「ヘタレだな~」と呆れながらレジ袋にゴミをまとめ、口を縛る。
「まぁ、って事だから。寂しい独り身同士、これからも仲良くしようぜー」
俺は冗談めかしながら桜庭にもたれ掛かるように肩を組む。
すぐ振り払われるかと予想していたが、意外にも桜庭はそのままの体勢で小さく微笑んだ。

「別に俺は寂しかねーけどな」
「えー。でもさ、またこんな感じで集まったり、なんでもない時に飯行ったりするの楽しくね?」
「……なんでもない時に、ねぇ……」

桜庭は俺の言葉を聞いて、一瞬何かを考えるような素振りを見せた。
さすがに距離を詰めすぎたかと反省して腕を引っ込ようとすると、至近距離で桜庭と目が合った。
アルコールのせいでいつもより熱を帯びた瞳がじっとこちらを見つめてくる。
心臓の鼓動が早くなるのを感じた。

「俺らくらいの歳になると、こうやって集まってだらだら飲む機会も減るじゃん?俺なんて地元から離れてるから友達も少ないしさ。せっかくこうして仲良い奴ができたわけだし、ずっと続けていけたらいいなー……なんて」

沈黙を避けたくて必死に言葉を繋ぐ。
少しでも気を抜いたら、動揺を悟られてしまう気がした。

「“仲良い奴”」
桜庭は俺の声をなぞるように繰り返す。
「俺はそう思ってるよ。お前のこと」
自分で口に出しておきながら、少し恥ずかしくなり視線を落とす。
多少の恥は酒のせいにすればいい。
そう思って再び顔を上げると、そこには柔らかな眼差しがあった。

「……たまにならいいかもな」
「うん。……うん?え、マジ!?」
「うるせぇ。耳元で急に大声出すな」
桜庭は鬱陶しそうに俺を押し退けながら再びテーブルの上を片付け始めた。
口元が緩むのを抑えられない。

そんな俺を見て「お前も働け」とぶっきらぼうにゴミ袋を押し付けてきた桜庭の顔はほんのりと赤く染まっている。
そして彼はそのまま逃げるように皿を手早くまとめ、キッチンの方へ運んでいった。

「桜庭ー!約束だからな~」
その背中に向かって念押しすると、「はいはい」とめんどくさそうな返事が返ってきた。
こんなかわいげのない態度も桜庭なりの照れ隠しだと思うとさらに愛しさが増してしまうあたり、俺も末期なのかもしれない。

『ずっと続けていけたらいいなー……なんて』
先程の自分の言葉を反すうすると、顔がじわじわと火照っていくのがわかった。

どんなに約束を交わしても、結局桜庭と俺はただの同僚に過ぎない。
いつ終わってもおかしくないような脆い繋がりかもしれないけれど、それでも俺はこの時間が永遠に続けばいいのに、と願わずにはいられなかった。
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