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5.サクラサク(尚)後編
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大地と電話を終えた後、どうやって仕事を終わらせたか記憶がない。
気づいたらパソコンの前に座り、気づいたら資料がまとまっていた。
「明日の朝、チェックしよ」
本当に大地は帰ったのだろうか。いや、さっきのだって待っててくれって言ったわけじゃない。大地が自主的に待
っていた。
何かにつけて自分をかまいたがる大地が、本当に先に帰るわけがない。根拠のない自信がこみあげてきた尚は、慌ただしくデスクを片づけてフロアを出た。
夜7時を過ぎているというのに、濃い青色で闇に包まれてはいない。
早足で駅に向かう。大地は尚の家で待っているかもしれない。この時間、いつもなら夕食用の弁当を買うためにコンビニによるけれど、今はそんな時間が惜しい。わき目もふらず、コンビニを通り過ぎて駅へと急ぐ。
人と人の間をすり抜けなくて良い道は歩きやすい。早足から小走りにスピードを上げかけたとき、後ろから名前を呼ばれた。
温かい声を聞き違えることはない。大地の声だ。
すぐに振り向きたかったけれど、立ち止まるのが精一杯だった。
足を止めた尚の前に大地が回り込んできた。
自分を待っててくれた嬉しさと、拗ねて嫌味を言った子どもっぽい自分への後悔が入り混じり、大地の顔を見ることができない。
呆れているのか、大地は一切声を発さず、尚の腕をつかんで引っ張って歩き出す。駅へ向かわずに、住宅街へと入っていく。
「このあたり営業帰りにウロウロするから、けっこう土地勘あるんだ」
視線を合わせなかったくせに今さら何を言えばいいのかわからず、尚はただ黙ってついていくことにした。
住宅街の中に小さめの公園が現れた。よちよち歩きの幼児たちが遊んでいそうな、砂場と低めの滑り台だけしかない公園だ。
そこへ入っていき、尚は隅に置かれたベンチへと座らせられた。大地も隣に座る。そして、何やらリュックサックから小さい紙袋を出してきた。
「尚。俺は尚が好きだ。バレンタインのあたりから付き合ってるつもりだった。けじめをつけてなくて悪かったな。これ、もらってくれよ」
尚は突き出された紙袋と大地の顔を順に見た。受け取るまで差し出されたままになるらしい紙袋を引き取る。中をのぞくと小さな箱が入っていた。それを取り出して、蓋を開ける。
「えっ、指輪じゃん」
顔の筋肉がバカになったのかと思うほど、尚の表情には力が入らない。逆に大地の顔は気持ちをしっかりと表現するようにほころんでいく。
同時に彼は左手を顔の横にあげて甲を見せてきた。テレビで見る芸能人の婚約発表のような仕草だ。案の定というべきか、左手の薬指には指輪がはまっている。
遠くへ行っていた意識が戻ってきたのか、尚の眉間にしわが寄り始める。
「はあっ。お前、バカなの。こんなのお揃いでつけてたら変に思われるだろ。ってか、男のサイズで2つ買ったのかよ。店員に変な目で見られたんじゃねえの」
力が入りだすと、今度はコントロールが効かなくなってきたらしく、尚の手は大地の頭をたたき、肩をゆすり、頭を抱え、体は落ち着きなく伸びたり縮んだりしてしまう。
そんな尚を横目に大地は落ち着き払い、ベンチの上にある街灯に自分の左手をかざし、光る指輪を愛おしそうに見ている。
「店員はそんなこと気にしないだろ。それに、よく見ろよ。袋にはもう一つ箱があるだろ。チェーンだよ。尚は指輪をペンダントにして身に着けてくれればいい」
尚は紙袋の中に入っていた長細い箱を取り出した。不思議と、全身のむずがゆさが落ち着いてくる。
頭に大きな温かい手が乗り、髪をすいてくる。
「俺は指にはめとく。これでワンチャンあるとかいう女性もいなくなるだろ」
ほんわかとしたものが尚の胸に広がる。嫌味を言った1時間ほど前の自分が恨めしくなってくる。顔を上げて大地と視線を合わせる。
「卑屈になって悪かった。あっけらかんと言える女性がうらやましてくさ。俺は、大地とのこと誰にも言えないのにって」
嬉しさより気恥ずかしさが勝って、大地の胸元に視線が落ちる。
「わかってたよ。言ってくれなくても。大地、俺のこと好きすぎるくらいだもんな」
髪に触れていた手が乱暴に動いた。
「す、好きすぎるってなんだよ」
視線を大地の顔に戻すと、視線を背けられた。
いつも包み込んでくれる大地がかわいく思え、愛しさが笑いに変わる。
「だってそうじゃん。ちょっと拗ねただけで指輪なんて買ってくるかぁ」
そっぽを向いたままの大地の顔をのぞきこむ。
「ペアリングって自分に縛りつけたいか、自分のものだってアピールしたいかだよな」
「はっ、そういうんじゃないっ」
「じゃあ、何だよ」
大地は焦りを隠せないらしい。
「そ、それはっ。恋人だっていう証っていうか
「自分のものだってアピールしたいんじゃんか」
今度は大地が拗ねる番らしい。
「そんなに言うなら、返せよ。指輪」
「ヤだね。仕方ないから、首からぶら下げといてやるよ」
尚はベンチから立ち上がった。
「メシ食って帰ろ。で、家で俺の首にこれ着けてよ」
甘えるように言ってみると、大地は毒気を抜かれたようだった。
尚は苦笑いをしつつ、後頭部をかく。
「コンビニ素通りしたのさ、絶対、大地はどこかで待ってるって思ってたからなんだよな。だから、仲直りして、一緒にメシ食おうって思ってた」
尚が手を差し出すと、大地はそれを握ってくれた。そのままベンチから立って歩き出す。
待っててくれるって信じてたよ。でも、まさかペアリングを買ってくるなんて予想外だ。こんな嬉しいことをしてくれるのか。
大地の手を引いて、公園の出入り口へ向かう。
「俺の彼氏、最高にかっこいいな」
大地に聞かれないようにつぶやく。
ここにも桜の木があった。いくつもある蕾のうち、一つだけ開いていた。
(了)
気づいたらパソコンの前に座り、気づいたら資料がまとまっていた。
「明日の朝、チェックしよ」
本当に大地は帰ったのだろうか。いや、さっきのだって待っててくれって言ったわけじゃない。大地が自主的に待
っていた。
何かにつけて自分をかまいたがる大地が、本当に先に帰るわけがない。根拠のない自信がこみあげてきた尚は、慌ただしくデスクを片づけてフロアを出た。
夜7時を過ぎているというのに、濃い青色で闇に包まれてはいない。
早足で駅に向かう。大地は尚の家で待っているかもしれない。この時間、いつもなら夕食用の弁当を買うためにコンビニによるけれど、今はそんな時間が惜しい。わき目もふらず、コンビニを通り過ぎて駅へと急ぐ。
人と人の間をすり抜けなくて良い道は歩きやすい。早足から小走りにスピードを上げかけたとき、後ろから名前を呼ばれた。
温かい声を聞き違えることはない。大地の声だ。
すぐに振り向きたかったけれど、立ち止まるのが精一杯だった。
足を止めた尚の前に大地が回り込んできた。
自分を待っててくれた嬉しさと、拗ねて嫌味を言った子どもっぽい自分への後悔が入り混じり、大地の顔を見ることができない。
呆れているのか、大地は一切声を発さず、尚の腕をつかんで引っ張って歩き出す。駅へ向かわずに、住宅街へと入っていく。
「このあたり営業帰りにウロウロするから、けっこう土地勘あるんだ」
視線を合わせなかったくせに今さら何を言えばいいのかわからず、尚はただ黙ってついていくことにした。
住宅街の中に小さめの公園が現れた。よちよち歩きの幼児たちが遊んでいそうな、砂場と低めの滑り台だけしかない公園だ。
そこへ入っていき、尚は隅に置かれたベンチへと座らせられた。大地も隣に座る。そして、何やらリュックサックから小さい紙袋を出してきた。
「尚。俺は尚が好きだ。バレンタインのあたりから付き合ってるつもりだった。けじめをつけてなくて悪かったな。これ、もらってくれよ」
尚は突き出された紙袋と大地の顔を順に見た。受け取るまで差し出されたままになるらしい紙袋を引き取る。中をのぞくと小さな箱が入っていた。それを取り出して、蓋を開ける。
「えっ、指輪じゃん」
顔の筋肉がバカになったのかと思うほど、尚の表情には力が入らない。逆に大地の顔は気持ちをしっかりと表現するようにほころんでいく。
同時に彼は左手を顔の横にあげて甲を見せてきた。テレビで見る芸能人の婚約発表のような仕草だ。案の定というべきか、左手の薬指には指輪がはまっている。
遠くへ行っていた意識が戻ってきたのか、尚の眉間にしわが寄り始める。
「はあっ。お前、バカなの。こんなのお揃いでつけてたら変に思われるだろ。ってか、男のサイズで2つ買ったのかよ。店員に変な目で見られたんじゃねえの」
力が入りだすと、今度はコントロールが効かなくなってきたらしく、尚の手は大地の頭をたたき、肩をゆすり、頭を抱え、体は落ち着きなく伸びたり縮んだりしてしまう。
そんな尚を横目に大地は落ち着き払い、ベンチの上にある街灯に自分の左手をかざし、光る指輪を愛おしそうに見ている。
「店員はそんなこと気にしないだろ。それに、よく見ろよ。袋にはもう一つ箱があるだろ。チェーンだよ。尚は指輪をペンダントにして身に着けてくれればいい」
尚は紙袋の中に入っていた長細い箱を取り出した。不思議と、全身のむずがゆさが落ち着いてくる。
頭に大きな温かい手が乗り、髪をすいてくる。
「俺は指にはめとく。これでワンチャンあるとかいう女性もいなくなるだろ」
ほんわかとしたものが尚の胸に広がる。嫌味を言った1時間ほど前の自分が恨めしくなってくる。顔を上げて大地と視線を合わせる。
「卑屈になって悪かった。あっけらかんと言える女性がうらやましてくさ。俺は、大地とのこと誰にも言えないのにって」
嬉しさより気恥ずかしさが勝って、大地の胸元に視線が落ちる。
「わかってたよ。言ってくれなくても。大地、俺のこと好きすぎるくらいだもんな」
髪に触れていた手が乱暴に動いた。
「す、好きすぎるってなんだよ」
視線を大地の顔に戻すと、視線を背けられた。
いつも包み込んでくれる大地がかわいく思え、愛しさが笑いに変わる。
「だってそうじゃん。ちょっと拗ねただけで指輪なんて買ってくるかぁ」
そっぽを向いたままの大地の顔をのぞきこむ。
「ペアリングって自分に縛りつけたいか、自分のものだってアピールしたいかだよな」
「はっ、そういうんじゃないっ」
「じゃあ、何だよ」
大地は焦りを隠せないらしい。
「そ、それはっ。恋人だっていう証っていうか
「自分のものだってアピールしたいんじゃんか」
今度は大地が拗ねる番らしい。
「そんなに言うなら、返せよ。指輪」
「ヤだね。仕方ないから、首からぶら下げといてやるよ」
尚はベンチから立ち上がった。
「メシ食って帰ろ。で、家で俺の首にこれ着けてよ」
甘えるように言ってみると、大地は毒気を抜かれたようだった。
尚は苦笑いをしつつ、後頭部をかく。
「コンビニ素通りしたのさ、絶対、大地はどこかで待ってるって思ってたからなんだよな。だから、仲直りして、一緒にメシ食おうって思ってた」
尚が手を差し出すと、大地はそれを握ってくれた。そのままベンチから立って歩き出す。
待っててくれるって信じてたよ。でも、まさかペアリングを買ってくるなんて予想外だ。こんな嬉しいことをしてくれるのか。
大地の手を引いて、公園の出入り口へ向かう。
「俺の彼氏、最高にかっこいいな」
大地に聞かれないようにつぶやく。
ここにも桜の木があった。いくつもある蕾のうち、一つだけ開いていた。
(了)
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