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4話『逃げてきた唯人』

落ち着くところに落ち着いたらしい

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 蒼市は唯人の手を両手で包み込んだ。

「お前さ、なんでそうやって自分だけで話を完結させるんだよ。親がどう思うかは俺も今日までわからなかったよ。否定されるかもって思ってた。でも、それでも俺はお前と一緒に生きていこうって決めてた」

 蒼市は体を唯人に向けたまま、顔を角田のほうに向ける。

「そりゃ親は結婚して子どもをって思うのかもしれないけど、俺が女性と恋愛したからって結婚するとは限らないだろ。恋愛対象が異性でも一生独身の人なんていっぱいいる。それなら、好きな人と添い遂げて幸せに暮らしてる姿を見せるほうが親への孝行だと俺は思う」

 最後の一文を言うときは、唯人に顔を向けていた。

 唯人がゆっくりと顔をあげる。人当たりのよい整った顔が見事に崩れている。
 蒼市は彼の頭を優しく撫でて、角田のほうを振り向いた。

「親父、何か言いたいことあるんなら言えよ」

 2人を静かに見つめていた角田は、手元にあったおしぼりで目元をぬぐった。

「唯人くんだっけ。確かに君の言うとおり、親としては結婚して子どもを作ってほしいよ。でもね、蒼市にも言ったけど。もう良い大人だからね。何でも親の言うとおりに生きる必要はないと思ってる。大きく道を外さなければ自分の信じた道を生きればいい。たぶん、妻も同じ考えだと思うよ」

 唯人にまっすぐ見つめられて照れているのか、角田は目線をコーヒーに落とした。

「ま、息子の恋人が男性だって言うのは驚いたけどね。ふふっ」

 千帆は、角田の表情につられて顔が緩んだ。しまりのない顔のまま、唯人を見つめる。
 彼は蒼市と角田を交互に見ながらも目が泳いでいる。

「えっと、それって、俺は蒼市と一緒にいていいってことですか。別れたのに……」

 唯人の頭を撫でていた蒼市の手がげんこつに変わって、唯人を小突く。

「だから、俺は別れたつもりないって言ってるだろ」

 蒼市は味を噛みしめるようにコーヒーを飲む。

「あ、そうだ。俺、今、無職なんだよ。唯人店長、俺を雇ってくれよ。お前よりも鯖サンドは上手く作れるぞ」

 ニマニマという表現が似合う表情を見せている。角田が体ごと唯人のほうを向いた。

「ところで、店名の『らぶち』って何か意味はあるのかい」

 なぜか唯人の顔が急激に赤くなる。

「あ、えっとゲーム実況のサイトとかで使われてるらしい言葉で『愛してるよ』って意味らしいです。ただ深い意味はなくて、砕けた感じで使うみたいなんですけどね」

 千帆は首をかしげた。
 その程度の意味で、どうして唯人の顔がゆでだこみたいになっているのか。
 同じように思っているのか、角田もうなずきながらも目を丸くしている。

 ただ1人、笑いをかみ殺しているのは蒼市だった。

「らぶ、そういち。の略だったりして」

 唯人がうめき声とともに、カウンターに額をぶつけるように勢いよく顔を突っ伏した。 耳まで真っ赤になっている。和やかになり始めた空間に、ほんの一瞬、静寂が広がる。

「ぶふっ」

 千帆が噴き出した。つられて、角田もこらえきれずに笑い出す。

「店名に蒼市の名前を入れるほど好きでいてくれてるのか。幸せもんだな、蒼市」

 3人の笑い声と、1人のうめき声が店内を覆った。


(4話・了)
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