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5話『向き合う千帆』
『らぶち』で一人ランチ
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白を基調にした明るい店内は、『らぶち』の店員たちの朗らかな声によく合っている。隣で『フラット』というココア専門店を営む千帆は、定休日の今日、店の買い出しに行った後、1人で遅めのランチをしに来ていた。
店内を見渡せるよう、壁に背を向けて座っている千帆は、キッチンへと目を向ける。
蒼市が銀のトレイを左手に乗せて、こちらへ歩いてくる。
食欲をそそる香りが漂ってくる。
「お待たせしました。ビーフシチューオムライスです」
彼はトレイから右手で皿をとり、千帆の前に置いた。
言葉遣いは店員としての対応だろう。
蒼市は『フラット』の常連客である角田の息子で、『らぶち』の店長、真木唯人の彼氏でもある。連絡が途絶えていた2人は偶然にも『フラット』で再会し、思いの行き違いを解消した。つい、2週間前の話だ。
千帆はスプーンを手に持って食べる格好をしつつ、蒼市を見上げる。
「エプロン、よくお似合いですね。担当はホールメインですか」
彼は照れくさそうに頭をかいた。
「ま、今のところはそう。でも、メニューによっては調理してるよ」
鯖サンドは唯人よりも自分のほうが上手だと、蒼市が以前、得意気に話していたのを思い出す。
千帆はオムライスにのった肉の塊をすくい、口に入れる。立ち去ることなく、千帆の横にたったままの蒼市を見上げた。
ふっと何かを思い出したような表情をした彼は店内を見回した。ランチのかき入れ時を過ぎた今、客はまばらで、皆ゆったりとランチを楽しんでいる。
「結城くん、お昼休憩入っていいよ」
蒼市はバイトの大学生に声をかけ、彼が店の奥にある休憩室に入っていったのを見届けていた。
「唯人、俺、千帆さんにあの話するわ」
キッチンの奥から、唯人が了解する声が聞こえる。その声にうなずいた蒼市は、2人掛けの席に座る千帆の正面に座った。
「あ、そのまま食べてて。俺、勝手に話すから」
言われるまでもなく、千帆は口と手を動かし続ける。
じっくりの煮込まれたシチューは濃厚で薄めのバターライスが入ったオムライスによく合っている。声を出して返事できるほど口に余裕がなく、千帆は頭を縦に振って蒼市に答えた。
「美味しそうに食べてもらうと嬉しくなるな」
そう言った蒼市はキッチンにいる唯人を振り返った。その横顔にはあふれる愛情がにじみ出ている。
しばらく動かずにいた蒼市は我に返ったのか、ひねっていた体を戻して、座り直した。
「話っていうのは、一昨日だったかな、この店に来た女性のことなんだけど」
蒼市は少し前かがみになって声を落とす。
「3時くらいにやってきて、ケーキセットを注文してくださった50歳くらいの女性がね、『フラット』の様子をすっごい聞いてきたんだよ」
千帆は食べている途中のスプーンを皿におき、居住まいを正した。
どこかの席から水のお代わりを頼む声が聞こえる。
蒼市が腰を上げかけたが、すぐに下ろしたので、唯人が対応したのだろう。蒼市が千帆をまっすぐに見てくる。
「客は入ってるのか。店員は何人いるか。評判はどうなのか。そんなことを色々と。個人情報でもないから、正直に答えたよ。客についてはコンスタントに入っているほうだし、悪い評判は聞かない。常連さんもついていて、うちとも交流しながらお互いに売り上げに貢献しあってる。店員は店長さん一人だけど、あの大きさでメニューも限定だから人を雇う必要はないと思うって。うちで聞かなくても、どこでも仕入れられる話だから。遠慮なく伝えさせてもらったよ」
口調は落ち着いていて千帆を安心させた。千帆は口の中のモノを飲み込んで、頭を下げて礼を言う。
蒼市は両手を体の前で振る。
「ああ、いや。それよりも気になるのは、千帆さん個人のことを聞かれたことなんだ」
ふっと息を吐いた。
「どんな印象に見えるか。お付き合いしている人はいそうか。店同士で交流しているなら悩みとかは聞いたことあるか。そんな風なことをね」
千帆の視線が蒼市を通り越したので、それを追って彼が振り返った。カウンター前においたレジで客が会計をしているのだ。唯人が対応している。
会計を終えた客がドアを押して出ていく後ろ姿にかける、唯人と蒼市の声が重なった。
「ありがとうございました」
立ち上がった蒼市は揺れるドアを見ていた。しばらくしてから、千帆に視線を戻した。
「俺の印象は言ったよ。ほがらかで人と話すのが好きそうとか、すぐに人と仲良くなりそうとか、ココアが本当に好きみたいとか、そういうことを」
蒼市の落ち着いた声は薄気味悪い話を聞かされているにもかかわらず、心をざわつかせることはない。
「でも『それ以外は答えられることはありません』って。実際、知らないし、もし知ってたとしても、それこそ誰かわからない人に答えるような内容じゃないからね」
蒼市は両手をテーブルの上で組み、千帆の顔をのぞきこんできた。
「女性に心当たりある? えー、50歳前後くらいで、銀縁の眼鏡をかけていて、髪型は白髪染めなのかメッシュが入ったショート。緩めのパーマが当たってるのかな。その世代にしては背は高めで、どっちかというと細身な体型」
キッチンから勢いよく出る水の音が響く。
唯人がさきほど出ていった客が使った皿を水洗いしているようだ。簡単に流した後、業務用の食器洗い乾燥機に入れるのだろう。
店内を見渡せるよう、壁に背を向けて座っている千帆は、キッチンへと目を向ける。
蒼市が銀のトレイを左手に乗せて、こちらへ歩いてくる。
食欲をそそる香りが漂ってくる。
「お待たせしました。ビーフシチューオムライスです」
彼はトレイから右手で皿をとり、千帆の前に置いた。
言葉遣いは店員としての対応だろう。
蒼市は『フラット』の常連客である角田の息子で、『らぶち』の店長、真木唯人の彼氏でもある。連絡が途絶えていた2人は偶然にも『フラット』で再会し、思いの行き違いを解消した。つい、2週間前の話だ。
千帆はスプーンを手に持って食べる格好をしつつ、蒼市を見上げる。
「エプロン、よくお似合いですね。担当はホールメインですか」
彼は照れくさそうに頭をかいた。
「ま、今のところはそう。でも、メニューによっては調理してるよ」
鯖サンドは唯人よりも自分のほうが上手だと、蒼市が以前、得意気に話していたのを思い出す。
千帆はオムライスにのった肉の塊をすくい、口に入れる。立ち去ることなく、千帆の横にたったままの蒼市を見上げた。
ふっと何かを思い出したような表情をした彼は店内を見回した。ランチのかき入れ時を過ぎた今、客はまばらで、皆ゆったりとランチを楽しんでいる。
「結城くん、お昼休憩入っていいよ」
蒼市はバイトの大学生に声をかけ、彼が店の奥にある休憩室に入っていったのを見届けていた。
「唯人、俺、千帆さんにあの話するわ」
キッチンの奥から、唯人が了解する声が聞こえる。その声にうなずいた蒼市は、2人掛けの席に座る千帆の正面に座った。
「あ、そのまま食べてて。俺、勝手に話すから」
言われるまでもなく、千帆は口と手を動かし続ける。
じっくりの煮込まれたシチューは濃厚で薄めのバターライスが入ったオムライスによく合っている。声を出して返事できるほど口に余裕がなく、千帆は頭を縦に振って蒼市に答えた。
「美味しそうに食べてもらうと嬉しくなるな」
そう言った蒼市はキッチンにいる唯人を振り返った。その横顔にはあふれる愛情がにじみ出ている。
しばらく動かずにいた蒼市は我に返ったのか、ひねっていた体を戻して、座り直した。
「話っていうのは、一昨日だったかな、この店に来た女性のことなんだけど」
蒼市は少し前かがみになって声を落とす。
「3時くらいにやってきて、ケーキセットを注文してくださった50歳くらいの女性がね、『フラット』の様子をすっごい聞いてきたんだよ」
千帆は食べている途中のスプーンを皿におき、居住まいを正した。
どこかの席から水のお代わりを頼む声が聞こえる。
蒼市が腰を上げかけたが、すぐに下ろしたので、唯人が対応したのだろう。蒼市が千帆をまっすぐに見てくる。
「客は入ってるのか。店員は何人いるか。評判はどうなのか。そんなことを色々と。個人情報でもないから、正直に答えたよ。客についてはコンスタントに入っているほうだし、悪い評判は聞かない。常連さんもついていて、うちとも交流しながらお互いに売り上げに貢献しあってる。店員は店長さん一人だけど、あの大きさでメニューも限定だから人を雇う必要はないと思うって。うちで聞かなくても、どこでも仕入れられる話だから。遠慮なく伝えさせてもらったよ」
口調は落ち着いていて千帆を安心させた。千帆は口の中のモノを飲み込んで、頭を下げて礼を言う。
蒼市は両手を体の前で振る。
「ああ、いや。それよりも気になるのは、千帆さん個人のことを聞かれたことなんだ」
ふっと息を吐いた。
「どんな印象に見えるか。お付き合いしている人はいそうか。店同士で交流しているなら悩みとかは聞いたことあるか。そんな風なことをね」
千帆の視線が蒼市を通り越したので、それを追って彼が振り返った。カウンター前においたレジで客が会計をしているのだ。唯人が対応している。
会計を終えた客がドアを押して出ていく後ろ姿にかける、唯人と蒼市の声が重なった。
「ありがとうございました」
立ち上がった蒼市は揺れるドアを見ていた。しばらくしてから、千帆に視線を戻した。
「俺の印象は言ったよ。ほがらかで人と話すのが好きそうとか、すぐに人と仲良くなりそうとか、ココアが本当に好きみたいとか、そういうことを」
蒼市の落ち着いた声は薄気味悪い話を聞かされているにもかかわらず、心をざわつかせることはない。
「でも『それ以外は答えられることはありません』って。実際、知らないし、もし知ってたとしても、それこそ誰かわからない人に答えるような内容じゃないからね」
蒼市は両手をテーブルの上で組み、千帆の顔をのぞきこんできた。
「女性に心当たりある? えー、50歳前後くらいで、銀縁の眼鏡をかけていて、髪型は白髪染めなのかメッシュが入ったショート。緩めのパーマが当たってるのかな。その世代にしては背は高めで、どっちかというと細身な体型」
キッチンから勢いよく出る水の音が響く。
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