斜めの男

かきあげ

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第15話 どん底

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裕子にとって姉の祥子は、よき相談相手だった。祥子は、裕子とはおよそ対極にいるような性格の持ち主だった。周りを驚かせるのが好きだった裕子に対して、祥子はいつも落ち着いていて目立つことを好まなかった。それでも二人はとても仲が良かった。パズルの凹凸のピースのように、二人の性格はぴったりとはまった。

 

しかし、この日だけは例外となってしまった。最初にして、最後の例外、と言ってしまってもいいかも知れない。

 

祥子の家で、裕子が父親についての愚痴を、こぼしたときのことだった。

 

 

「あの人、ほんと最低よ!真司に罪がないことくらい、子供にだってわかるでしょうに。」

 

気が立っていた裕子は、強めの口調でそう言った。

 

「ちょっと裕子、それはないでしょ?お父さんだってあなたのためを思ってそうしたのよ。」

「だからそれが迷惑なのよ!」

「迷惑?」

「そうよ?私のことで気を使っているつもりで、逆に私が迷惑してるって、なんで気が付かないのかしら。お母さんもお母さんよ。困ったときはいつもお父さんの言うことを聞くんだから。あんな人たちが両親だったなんて。もううんざり!!」

 

すると、ふだん温厚で大人な祥子が、突然目を見開いた。

 

 

「あのね裕子?あなたが恋人を家に連れてくるって聞いたとき、二人がどれほど喜んだか、あなたにわかる?」

 

「そんなこと知らないわよ。知りたくもない。」

 

「わからないでしょうね。今まで自分だけが被害者だと思って生きてきたものね?」(だめ、止まって私の口)

 

「…………」

 

「この際だから言っとくけどね、私たち家族だって辛かったんだからね?大やけどを負って、落ち込んで、自分に自信が持てなくなって、生きる気力を失って。もうあなたは一生、恋愛なんてしないんじゃないか。そう思ってた彼らが、あのときどれほど喜んだか。あなたに分かるの?ごほっ、ごほっ。あなたが火傷のことを忘れようとして、必死に何も考えないように閉じこもっている間、私たちはあなたのために何か出来ることはないか必死に考えてきたのよ。」(裕子が一番苦しんだんだから、これ以上言ってはだめ……)

 

 

「それなのに何?迷惑?知りたくもない?ふざけないでよ!ごほっ、事前にお父さんたちに何も言うことなく、いきなりコッコを連れてきて、『はい、実は私の恋人はコッコでしたぁ!』って、そんなサプライズ、誰が求めてると思ってるの?……あんた言ったじゃない。私は、人を幸福にするサプライズをしたいんだって。あんたが連れてきた恋人がコッコで、私たちが幸福になるの?裕子の彼が、火傷を負わせるきっかけになった料理本の作者で、一体全体、どんな美談を作れるっていうのよ!」

空気を引き裂くような声で、祥子はそう言った。

 

 

「ごめん」裕子は唯それだけしか言えなかった。

 

その言葉で祥子は我に返り、しまったと指をかんだ。

 

「ごめん」裕子はもう一度そう言うと、玄関に向かった。

 

玄関を出るとき、「私こそ、ごめん。言い過ぎた。」という声が、後ろのほうでした気がした。しかし振り返ることはできなかった。

 

裕子はただ、祥子に話を聞いてもらいたかっただけだった。悩んでいることに、共感してもらいたかっただけだったのだ。

 

 

裕子は祥子の言葉を聞いて、私は自分のことしか考えていなかったのかもしれない、自分が多くの人に支えられているということに、本当の意味で気づけていなかったのかもしれない。そんなことを考えた。

 

裕子は、週末にお父さんと直接、しっかり話し合おう。そう決めた。しかし、実際にそれが実現することはなかった。それどころではなくなってしまったからだ。

 

 

2日後、祥子は事故に遭った。(祥子の一人息子と火傷の話をしたのはその時のことだ。)

 

 

     ☆

 

 

 

裕子のご両親に会った日から、俺は厨房に立たなくなった。「資格」が無くなったような気がしたからだ。一度決めてしまえば、案外やめるのは簡単だった。きっと俺の料理に対する情熱はその程度だったのだろう。

 

 

「料理人・コッコ、料理人グランプリで優勝!みたいな記事を読みたいわ、私。」あるとき裕子はそう言った。

「いや、料理はもうしないと決めたからな。」

「どうして!?」

彼女は今までに見たことのない、鋭い目をして俺を見た。

「なんとなく……情熱がわかなくなってしまったんだ。」

「もしかして私に気を使って?」

「違う。」

「私の父親が言ったことを気にしているのなら、どうかいますぐ忘れてほしい。私が、何の心の準備もなしに、あなたに会わせたからあんなことに……。」

「ほんとにそういうことではないんだ。気にするな。」

「そう……わかったわ。」

 

裕子はその時、控えめに言って絶望していた。俺はそれに気づいたけれど、それ以上その話題を続けることはできなかった。

 

 

 

 

俺が包丁を握らなくなってから2か月ほどが経った頃、俺のスマホに知らない番号から電話がかかってきた。

 

裕子さんが入院されました。五十代くらいの慎重そうな看護師は、重々しい声でそう言った。裕子さんは精神的な病を患っていているため、それを癒すためにしばらくのあいだ静かな森の奥にある療養所で治療をします。その看護師は丁寧な口調でそう説明した。

 

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