俺と向日葵と図書館と

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02.本を読む少女

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 翌朝も、開館と同時に恭佑は図書館に来ていた。適当な棚から本を取り出し、昨日と同じ場所に座る。
 昨日出会った少女が本を読んでいたことを思い出し、パラパラとページをめくってみる。だが、まったく本に興味のない恭佑にとっては文字の羅列にしか見えず、すぐに本を閉じてテーブルの上に放置した。腕枕で睡眠に入る。

「あっ……」

 小さな声で恭佑は目を覚ました。腕と髪の隙間から周囲の様子を伺う。とはいえ隣の席は老人と呼べる年齢で声の主ではない。首を回して、前の席。怯えと困惑が混じった様子で少女が立ちすくんでいた。
 恭佑が起きたことを少女はもう勘づいているらしいが、更にここから動けば余計に怖がらせてしまうだけだろう。そう考えた恭佑は元の体勢に戻ろうとして、さっき自分の置いた本が目に入った。
 中途半端に投げ出された本は、テーブルを占拠しているようにも見える。恭佑は少女に視線を向けないまま腕を伸ばし、――その瞬間にびくっと体を震わせた少女には気づかないふりをして、本を手元に回収する。これで少女も本を読めるだろう。
 恭佑は、何事もなかったかのように睡眠を再開したとアピールするために、深呼吸を繰り返す。しばらくの間、物音は遠くのカーペットを踏む足音だけで、やはり動かずにいたほうが良かったかもしれないと後悔し始めた頃、空気が動いた。布の上を木が擦れる音が聞こえ、同時にテーブルが僅かに揺れた。そして、ほんの少しの間、少女の気配がピタリと止まった。実は起きているのではないかと、恭佑の様子を伺っているらしい。

「すーすー……」

 若干わざとらしさは残るが、それでも少女は安心したらしい。少し重い音がして床に荷物を置いたあと、紙をめくる音が正面から聞こえ出す。一定間隔で聞こえてくる音と、自分の出している寝息でだんだんと心地よくなってきた恭佑。寝ているふりをしているはずが気がつけば本当に眠っていた。
 今、何時だ?
 恭佑はカーテンの隙間から足首に当たる夕日が熱くて目を覚ました。寝る前と変わらずページをめくる音は聞こえていて、少女は本を読み続けているらしいと悟る。同時に今なら少女を見ても気づかないのではないかと恭佑の中の悪魔が囁く。
 試しに寝ぼけたふりで体勢を変えてみる。多少はテーブルも揺れたはずだが、少女が動く気配はない。これはいける。そう踏んだ恭佑はゆっくりと顔を上げ、少女の様子を覗き見た。
 めっちゃ可愛い……。
 改めて見直してみて、最初に感じたのがそれ。少女は長い黒髪を耳にかけており、クールな印象を抱かせる銀縁の眼鏡。まつげは長く、瞬きのたびに大きく動く。薄い色の唇は、笑みをかたどったり固く引き結ばれたりと、顔全体が見えないにもかかわらず、少女が表情豊かであることを恭佑に伝えてきていた。
 ページを読み進めるにつれて顔が左から右に動き、終わりまで来ると白い指が器用に一枚だけページをめくる。絶え間なく繰り返される動作にまた眠くなるかと思いきや、そうではなかった。
 本ってそんなに面白いのか? すっごい集中力。
 そう思わせる程度に、少女の読書姿は恭佑を魅了した。そして、今なら勝手に眺めていても大丈夫そうだと思った恭佑は、一体何がそんなに面白いのかと本の題名をのぞき見る。
 『ペンペンの冒険』。作者はフィン・クラウド。もちろん、恭佑の知らない名だった。
 誰だよこんなタイトルつけたやつ。適当すぎないか。
 恭佑はそれからも飽きることなく観察を続け、さっき起きたときは本の中ほどだったページも残りわずかになる。そろそろ体勢を戻して見ていたことを知られないようにしなくてはいけない。そう頭では理解していても、恭佑はいつまでも目を離せないでいた。もう少しだけ、と自分に言い聞かせる。
 やがて、ページが残り数枚になったところで、少女はパタリと本を閉じた。慌てて顔を伏せる恭佑。
 なんでもう本を閉じたんだ? もしかして、見ていたのがばれた?
 恭佑の混乱をよそに、少女は何も言うことなく読み終えた本を持って席を立ち、本棚の間に消えていく。
 思わず大きなため息がこぼれ、脱力する恭佑。やけに大きく聞こえる心臓音は、きっと自分が焦ったからに違いない。
 どうしてそこまで少女にバレたくないのか? ふとそんな疑問が恭佑の中に湧き上がり、最終的には、決して少女がどうというわけではなく、人を怖がらせたくない。その一心での行動だと、恭佑は自分に言い聞かせた。
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