五十年後に穏やかに死ね

柳なつき

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 目が覚めれば天蓋つきの豪華で大きなふたり用のベッドの隣にすでにあんたはいなくて、この王国の朝食特有の香りが寝室にまで届いてくる。もそもそ、うーんもうちょっと、と思ったけど、あいつが台所に立っているのだからということに気がついてハッとする。好き勝手にさせるわけにいかない。あたし、あんたを信用しきったわけじゃないんだから。自分のまとう上質な絹のローブだけちゃんと整えて、あたしは寝室を出た。
「あ、おはようございます。朝食、もうできますよ」
 あんたはとても柔和に笑う。あんたは王子だしのちのちは国王になるというのに、おごりたかぶったところなどなくて、それは民の心を惹くことにもなればその逆の場合だってあるのだし、けれどもあんたはそこらへんぜんぶわかってる。
 でも、でも。あたしがなんでこの王国に来たのかって――その原因だってそうだよ王子、あんたのせいなんだ。
 せい、なんだ。
 きょうも朝食をともにする。あたしが後に遅く起きてきたってあんたは文句を言ったこともない。いつでもいつだってあたしにとても優しい目を向ける。そうだ。ずっとそうだ。
 出会ったときから。
 あんたを殺すためにナイフを片手にあたしがこの部屋に窓から忍び込んで、あんたが天蓋つきのベッドのうえでぱちり、と目を開けて、その澄んだひとみであたしを見た、ときから。……目が合ったときから。
 あのときあたしはナイフを手にしていてどんなに自分が間抜けだと思ったことか。その感情をあんたにぶつけたってしょうがないでしょう? 任務失敗。ターゲットには見つかった。あたしは、死ぬしかなかったんだ。行き場所なんてどこにもない。敵国の奴隷に堕ちるくらいだったらせめてせめてと、喚き立てながらあんたにナイフを突き立てようとした。あんたはただの王子のくせにいがいと俊敏で、ナイフは刺さるどころかかすりもしないでけっきょくあたしは手がすべって自分の腕にナイフをかすめさせてしまって、そんな肌のいちばん表面をなぞっただけのおもちゃみたいな切り傷、なんてことないのに、あんたは本気で心配して王子のくせにあたしの腕に包帯なんて巻かせるから、あたしは、もうみっともなく大泣きしたよね。
 恨んでるよ。憎んでるよ。あたしのことなんかほっといてほしかった。どうしてすぐに殺さないであたしの処遇を会議に持ち上げたの。どうしてたったの三日で地下牢からあたしを出したの。故郷に帰してくれ、そうでなければいますぐ殺してくれとなんども頼むあたしをそうはせずに、この国の教育を受けさせ、この国の同世代の者たちとだいたいおなじに卒業して、私がこの国に軟禁状態でなんだかこの国の人間みたいな生活をしてるうち、滅びたと知らせを受けた故郷のことを語り継ごうと、旅に出ようと思っていたのに、あんたは、あたしを引き留めた。あのときだけあんたは怖くて、あんたが怖いなんてことほかにないから、ふだんの会議や演説でもそういう顔見せればいいのに、と思うと、ばかばかしくておかしくなった。
 それも、「ひとみがきれいだから」なんて理由で。そうだね、あんたを殺そうと忍び込んだあの満月の夜は、あたしの目はきれいだったのかもしれない。だってあたしはあのとき純粋だったから。あんたを殺すということにかんして、最高の純度だったから。
 ――ひとみが、きれいだから。
 それだけで、あんた、あたしをゆるしているつもり?

 あたしは、完璧な朝食を見下ろして、思う。

 あんたを殺すこと、あたし、諦めたわけじゃないんだから。


 憎い、憎いよ、そりゃ憎い。あたしだってできることならばずっとずっとずっと故郷のあの小さくとも川のきれいな村でずっとずっと生きていたかった、けれど時代や帝国がそれをゆるさなかった。ただ、食糧や馬が足りないそして奴隷も足りない、それだけの理由であたしたちのきれいな村はひと晩にして焼き尽くされた。絶望のなかそれでもあたしは生き抜きたかったから舌を噛み切る代わりにうつむいて唇を噛んだ、それだけがあたしの矜持だった。家族は生きていてそれだけがせめてもの救いと長すぎる草原を歩きながらマメも脚そのものも痛くて痛すぎてでもあたしには家族がいるってそのことだけをよりどころにしてた。帝国に着いたら過酷な強制労働だった。弟と二番めのお姉ちゃんが死んだ。お母さんは衰弱したけど休ませてもらえるわけもない。あたしはこれじゃいけないって思った。あたしは舌ではなく唇を噛む主義だからなんでもしてやろうと思った、堕ちても。あたしは帝国兵へのチクり係になった。嫌なことばっかチクるの。あいつは働いてないとか帝国兵サマの悪口言ってましたとか。そういうこと繰り返すうちにあたしはなんだか帝国兵たちのちょっとしたお気に入りみたいになって、ためしにやってみろと言われた諜報活動がずいぶんうまくいったもんであたしとあたしの家族は奴隷ではなく底辺でも帝国の人間になれた。あたしは諜報活動を繰り返してその規模はしだいに大きくなっていく。帝国は東の王国を滅ぼすつもりでいままで何人か刺客を送ったが、帰ってくることはなくて。鉄砲玉として、あたしに白羽の矢が立った。
 あたしは帝国も大嫌いだったし王国も大嫌いだったし人間なんか大嫌いだった。理由はなんでもよかったしべつに王族でなくともよくて、あたしは、ともかく人を殺したかった。いちどもこの手を血で染め上げたことはない。だから、染め上げたかった。
 刺客がだれも帰ってこない東の変な国。さぞかし、刺客の彼らは、残酷な目に遭ったんだろうよ、と嗤ってた。……まさか全員を王国の民にしているなんて知らなかったし。

 あんたは、ほんとうに、変だ。どうして敵国の刺客なんかをいちいち救ったりしちゃうんだ。だから国民にさえナメられるんだよ。いつか、滅ぶよ、この国。あんたの愛する王国はいつかあんたのせいで滅ぶよ?

 あんたのことがほんとうに憎い。あたしなんかに。あたしなんかに、優しくしちゃって、あげくの果てには正妻になんかしちゃってさ。側室もひとりもつくらないで。それなら愛人のひとりくらいつくれよってんだ。大臣も城の人間もみんなこそこそ噂してるの知ってるんだから。なんで。なんであたしなの。帝国だろうが王国だろうがあたしにとってはまったくどちらもおんなじだ。どちらも、あたしたちを潰していって平気な顔をしているんだ。嫌いなんだよ。大嫌い。あんたが王子な時点であたし、あんたをぜったいゆるせない。一生。だから、やっぱり、あたしあんたの死ぬところを見たいんだよ、なんならあたしが手をかけてやる。だってあんたがあたしの先に死ぬわけにはいかないじゃない。あんたの最期の顔を見るのはあたしなんだって決めている。どうでもよかったあたしの人生をどうでもよくなくしてしまった責任は、重い。あんたが最後までそうやってふわふわへらへらとした王子でやがては国王になってふわふわへらへらしたまま死んで、ああやっぱあんたそういう人間だったんじゃん、って嘲笑ってやりたいな、それこそが復讐。復讐。復讐だ。これから子どもとかつくっちゃってきっとあんたとあたしの子どもだからめんどうくさい子どもになるし面倒見るだけで日が暮れそう。王国のことはどうでもいいけどどうでもいいからどうにかしなきゃね。べつにあたしがってわけじゃないけど、あんた、いないと困る人間なんでしょ、べつにあたしがってわけじゃない、……わけじゃない、あたしは、ただ、わからないけど、いやほんとは、わかってるんだけど、わかってないわかってないってことにするけど、あたしは、

「……馬鹿でしょ」

 泣きたいほどでいて笑いたいほどのつぶやきが、漏れる。
 目の前には、いつのまにか、朝食セットがうつくしささえもともなって完成している。
 あんたが、せっせと用意したのだ。王子、なのに。

「それじゃあ。食べましょう」
 あんたは朝からにこやかに言った。あたしは、戸惑いながらも、この国の風習にしたがって手を合わせる。

 ただひとつ絶対的な真実がある。
 いまは若いけど、いずれあんたも歳を取る。そうしたらあんたは死ぬ。歳でいえばあんたのほうがいくらか年上だから、きっとあたしより先に死ぬだろう。ざまあみろ、だ。ざまあみろ。どうせ、あんたは、死ぬ運命なのだ。


 五十年後に穏やかに死ね。その瞬間が来たらあたしはあんたの目を見て、しわしわの唇に口づけて、殺してやるよ。
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