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62 下ごしらえ

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「何もここでやらなくても……」

 王国の第三王子クレマン・エスランは、渡された芋と包丁を手に避難民の居住区に居た。

「いいから手を動かせ。ライナス。お前もだ」

 エヴァに促されては、苦笑交じりに書類の束を脇に置くライナス。クレマンと共に円状に置かれただけの丸太に腰を下ろしては、それで一応の席は全て埋まる。

「にゃにゃ、にゃんでにゃあまで……」

 食材の下ごしらえに精を出す一団。ニーナは目の前に勢ぞろいした面々を見回しては、そっと役不足ではないかと視線を彷徨わせる。

「心配ありませんわ」

 それに優しく答える少女のような女性。第四王女サラ・ディ・トマソはニコリと微笑み、姉であるエヴァへと流れるように顔を向ける。

「そうですよね? お姉さまっ」

「ああ。情報は並列化しておく必要がある。こいつをしばらく借りることになるなら、尚更な」

「え?」

 クロナは初耳だとその手を止めては、思わずといった具合にエヴァと顔を見合わせる。

「何だ。嫌なのか?」

「いや……」

 クロナはエヴァから目を逸らしては、その横に座るサラ、ライナス、クレマンと順に視線を送っていく。

「僕らにはどうにも……」

「心配するな。少しその辺をぶらつくだけさ」

「姉さんの少しは少しじゃないって……言っても仕方ないよね」

「クロナさんっ。お姉さまをよろしくお願いしますねっ」

「え、ええ……はい」

 サラの嫌とは言わせない笑みに、クロナは半ば強引に押し切られる形で首を縦に振る。

「決まりだな。ライナス。現状を報告しろ」

「はい」

 エヴァの声に、ライナスは包丁と書類の束を持ち替える。

「まずは連合国ですが……武力闘争にまでは発展していないものの、そのにらみ合いは苛烈を極めているようです。内陸部との線は健在ですが、いつ機能不全を起こしてもおかしくはない状況です」

「外周部の連中は、意外とそっちのほうもやるようだな?」

「その統制だけを見れば、王国以上かと」

「元々、細かい部分まで組織化されてたのが大きいのかもね」

「火花だけで燃え尽きなければいいがな」

「しばらくは荒れそうかい?」

「むしろひどくなるだろうな」

「繋がりを持った以上、対岸の火事ではすまないと思うけど」

「情でも移ったか?」

「またアリアに背負わせる気かい?」

「むしろ逆だな。水と油であるならそれもいい。しかし着火に用いる以外で油を注げば、どうなるか。結果は目に見えている」

「時間をかけて、か」

「体は一つ、頭は二つ。さて、どうなるだろうな?」

「形は残りそうだね」

「入れ物は残るさ。中身が残骸である可能性は否定しきれないがな」

 エヴァは手元に視線を落としたまま、皮肉な笑みを浮かべる。

「僕の方でも気にかけておくよ」

「例のエルフと人魚か?」

「知り合いぐらいはね」

「現場には必要な人材だが、伸ばす方向性に難がないか?」

「手が二本である必要はないだろう?」

「確かに」

 エヴァは楽しそうに笑う。

「あの――姉さん」

「何だ?」

 クレマンの重苦しい声に、エヴァはふとその手を止めては顔を上げる。

「楽しそうにしてるところ悪いんだけど……」

「さっぱり何を言っているのか分からないんですが」

 ライナスはクレマンに代わって、横から断言する。

「何……?」

 エヴァは不思議そうにクロナと顔を見合わせる。

「にゃ、にゃあにも全然にゃにがにゃんだか……」

「大丈夫ですよっ。私にも全然わかりませんからっ」

 ニーナは分かりやすく頭を抱えて見せ、サラは誇らしげに胸を張る。

「ライナス。お前クレマンと少しつるみすぎたんじゃないか?」

「ちょっ、姉さんっ。それって遠回しに僕のこと――」

「エヴァ」

「分かっているさ。――ライナス」

「はい?」

「山脈の話だが、しばらく様子を見ることにする」

「次の話に行っちゃってるし……」

「にゃあ……」

 クレマンとニーナはそれでまた手元へと視線を落とす。

「その……流入はないと?」

「奴が塞いでいかなかった以上、私が塞いでは要らぬ波がたつ。帝国か皇国があくまでも自主的にやる分には問題ないがな」

「奴、ですか……」

「姉さん――。本当に、道は出来てしまったんですか? 僕にはまだそれが信じられなくて……」

「丁度いい空白地帯だ。合わせて見てくるといい」

「それは……」

 苦い顔をライナスと見合わせるクレマン。そしてその横で勢いよく掲げられる包丁。

「お姉さまっ。私じゃだめですかっ?」

「あぶにゃいにゃあ……」

「ニーナの言う通りだ。刃は抜いたが最後、自分の身を傷つけることもある。例え慣れていたとしてもそれは変わらないんだよ、サラ」

「お姉さま……申し訳ございません。それから、ありがとうございます。ニーナさんっ」

 包丁をそっと下ろしては、真摯に謝罪するサラ。最後には優しい笑みをニーナへと向ける。

「にゃっ、にゃあは別ににゃにもっ」

「山脈の方には、足が帰ってきたら観光ついでに行ってくるといい」

「ねっ、姉さん!」

「はいっ」

 控えめに喜びをあらわにするサラ。

「心配するな。今なら誰が行こうと同じこと」

「だからって……」

 クレマンはエヴァから視線を逸らしては、自然とその横に座るクロナへと目を向ける。そうしてクロナもまた自然な流れで、そこへと目を向けた。

「にゃにゃ、にゃんでそこでにゃあを見るんだにゃあっ!?」

「にゃんとにゃく」

「クロにゃあっ!」

 わざとらしく包丁をかざすニーナ。クロナは姿勢を正すと共に、ごめんと謝りながらも堪えきれなくなったと笑いだす。

「共和国の方はどうなった?」

 おもむろに野菜の皮むきを再開するエヴァ。

「え――あ、はい。依然としてといったところでしょうか……しかし……」

「しかし?」

「私たちはどこで間違えたのでしょうか」

「納得できるだけの理由が知りたいのか?」

「エヴァ」

 そこでニーナとのいさかいを収めたクロナが会話に復帰する。

「何だ。奴に釘でも刺されたか?」

「その逆さ」

 手を止めては、急に黙り込むエヴァ。たったその数秒の間に、クレマンとライナスの顔は見る見るうちに青ざめていく。

「別に問題ないと思うが?」

「過程の話だよ」

「皇国はどうだ?」

「え……あぁ……」

 脂汗を浮かべながら、なんとか答えようとするライナス。

「今のところは何も……」

「無いとは思うが、注視しておけ」

「はい」

「まぁ、出来ることはないがな」

「その時は僕が北に行くよ」

「あいつに会いに行くのか?」

「直接の面識はなかったと思ったけど」

「仲良くする理由もないしな」

「そう?」

「そうなんだ」

「そうかな」

「そうだ」

 エヴァはそっと目を細めては、軽やかに言い切る。

「帝国はどうかな。――情報部長のライナスさん、とお呼びしていいのか分かりませんが……」

「あ、え、はい。問題ありません。今は少し兼任する業務が増えて、役職がややこしくなっていますが……ランカルジュはどうやら、西に若干ずれたようです」

「ほう?」

「着地による被害は軽微。損耗は激しいようですが、それも時間の問題かと」

「流石はお姉さまですっ」

「そうでもないさ。本来なら天体の一部にしているところだ」

「ロマンチックですねっ?」

「どっちかというと恐ろしいと思うけど……」

「だからお兄様は女性におもてにならないんですわっ」

「ええ……」

「男にはもてるみたいだがな?」

 事実を並べ立てては、息をするように茶化すエヴァ。

「河川のほうは大丈夫かな」

「河川、ですか?」

「連合国への影響を考えているんだろうよ」

「なるほど。早急に調査を――」

「サラ」

「はいっ。分かっていますっ」

 エヴァに名前を呼ばれ、満面の笑みを浮かべるサラ。ライナスはそれを見て、そっと目頭を押さえる。

「……王国の立場を明確にする必要がありそうですね」

「書類仕事は得意だろう?」

「山積みなんですよ。これでも」

「それならいい人材を紹介しよう」

 エヴァの視線に自然とその場の注目が一点へと集められる。

「……にゃっ、にゃにゃ、にゃあっ!?」

 驚き、目を見開きながらも、その手は動き続けるニーナ。

「な?」

「にゃあっ!?」

「まったく。あまりニーナさんを老けさせないでよ?」

「何、少し婚期が遅れるぐらいさ」

「少し、ね……」

 未だ浮足立った様子のニーナをおいては、ざわめきだす避難民たち。列をなした馬車の頭上には、一人の少女の帰還を知らせる旗が風になびいていた。
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