さくら便り

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さくら便り

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うわぁきれいだなぁ。こうやって木の根元に立って見上げたら、ピンク色したさくらの花のすき間から見えてくる青い空とのコントラストがステキなんだよ。それって歌えるんだ。ってお母さんが言ってた通りだなぁ。
お母さんって詩人だったなぁ。今頃お母さん、歌いながら雲の上に乗って、風に流されてるのかもしれない。辛い時苦しい時、優しかったお母さんの事を思い出すと、心がホッコリするなぁ。

「またやられたの?優介くん」「今度は踏みつぶされた」「相変わらず男前のお姉ちゃんだねぇ」「天国にいるお母さんの代わりに、僕を鍛えるんだって」僕とお姉ちゃんのランドセルをお腹と背中に抱えて、ふうふう言って通う通学路は、まさにフルマラソン42.195㎞完走だ。
「マリオ3Dワールドは、そもそも協力プレイが必須なのに、お姉ちゃんは単にコイン獲得、単独一人勝ちしか頭にないから、あのままだと、絶対嫁に行けないよ」「優介くんの数少ない友達の一人として忠告するけど、間違ってもそれをお姉ちゃんに言わない方がいいよ」「亜紀ちゃんにはわかんないよ。あのコミュ力のなさ。僕はおやつを食べながら時刻表を見るのが楽しみなのに、イマドキのオトコはゲームで男前になれ!って強制して、結局は自分がラクする事しか頭にないじゃん」
そんな怒りと呪いを抱えた苦しい毎日が続き、僕はというと、こっそりお姉ちゃんが将来おひとり様人生を歩む事を願っていた。いつかお姉ちゃんが嫁に行けず、一人ぼっちになって困った時が来たって、絶対に助けてやるもんか!と僕はひとり心で誓っていた。
そんな黒くて大きな塊を呑み込む日々の中、たったひとつ僕を救ってくれるものがあった。

ガラガラガラ。あっ、滑車の音が聞こえてきた!森田さんと福ちゃんだ!「おはよう優介君、亜紀ちゃん」ああ、森田さんの、メガネの奥の優しい目が笑ってる。ほっ。「おはよう森田さん、福ちゃん!」僕と亜紀ちゃんは、そろって大声で挨拶するやいなや、ゴールデンリトリバーの福ちゃんの毛皮に突進した。がつん。と、福ちゃんの横っ腹に二人して飛び込む。
「優介君、口から福ちゃんが飛び出てるよ」「亜紀ちゃんは鼻の穴からだよ」福ちゃんの毛って、顔と心にしみ込む優しさだなぁ。と、福ちゃんの毛皮に顔ハンコをつけた僕と亜紀ちゃんは、お互いの顔を見合わせて、大きな声で笑いあうのが日課だ。

『こどもを守るおやじの会・パトロール中』の大きな四角い筒形の看板を、ゴールデンリトリバーの福ちゃんが、小さな引き車に乗せて引く。リードを持ってる森田さんちのおじいちゃんが、今日も子供達の通学路を巡回している。
町内を管理しているとか何とかの、森田さんちのおじいちゃんは、僕たちの中ではジジドルだ。いつもニコニコしてて、とても優しくて温かい眼で僕たちを見てくれる。
さらに体感温度を上げてくれるのが、引き車担当のパトロール隊看板犬、福ちゃんだ。犬は飼い主に似るのか、福ちゃんは僕たち子供たちにもみくちゃにされても、いつもおだやかで、みんなのされるがままになってくれている。ああ、福ちゃんの毛皮って、宇宙一のウールマークだ。うっとり。僕のゆううつな朝を救ってくれるのが、ジジドルの森田さんと、このふかふか毛皮の固まりの福ちゃんだ。このツインズのおかげで、重たい二つのランドセルも、心なしか軽くなって来て、僕の心の支えとなっている。…のだけど、そんな僕のホッコリに水を指す一声が今日も響いてきた。
「はやく渡りなさい!」怒声が響く。みんな一斉に凍り付く。藤井さんだ。

朝の通学する時間帯、黄色い発光色のベストを着た、近所のおじいちゃんたちが、ボランティアで横断歩道の交通誘導をしてくれる。
車が来たら、『横断中』と書かれた黄色い旗でシャットアウト!その間に僕たちは、わらわら横断歩道を渡って行く。おじいちゃん達はみんな優しくて、いつも僕たちに「おはよう」「いつも元気だね」とか優しく声をかけてくれる。
…のが、普通だと思っているんだけど、そうじゃない人もいるんだなぁ。これが。
「もっと元気に挨拶しなさい」と怒声がそこら中に響く、しかめっ面の藤井さんだ。
いつもイライラしてて、毎朝子供達に怒鳴ってる、藤井さんって、どうしてあんなにいつも不機嫌なんだろう。訳が分からず、不思議に思っていたんだけど、ある日亜紀ちゃんがそっと耳打ちしてきたんだ。「藤井さんって、奥さんと子供が家を出ちゃったんだって」「そうだろうねぇ」と僕はオウムのように返した覚えがある。いつの間にか、町内の話はそこかしこに知れ渡る田舎に、僕は住んでいる。

僕の市は人口72万人。怖い勢力を持つ人達もいないそうだ。怖い勢力ってなんの事か、分からないけど、お父さんがいずれ分かるから、そんな事は気にせず、勉強しなさいって言ってる。
僕にとっては、藤井さんは怖い勢力の人だ。大人になっても、あんな人にはなりたくないなと、またひとつ心の中で誓った。そんなゆるゆるとした毎日を送っていたある日、福ちゃんと、ジジドルの森田さんの姿が、僕たちの通学路からいなくなった。

「最近、福ちゃんと森田さん見かけないね。亜紀ちゃんは見かけた?」「ううん。見てな~い。福ちゃんの毛皮にさわれないから、何だか生クリームの入ってないココアをがぶ飲みするみたいで、美味しくない気分が続いてるよね」と、うわさする事しきり、今日もお腹と背中にランドセルをからって、ふうふう言ってる僕は、癒し担当の森田さんと福ちゃんがいないせいで、心も体もずうんと重みが増していく毎日が続いていた。
子供見守り隊のおじいちゃん達に、森田さんと福ちゃんツインズの事を尋ねても、ニコニコ笑って、「大丈夫だよ」と言うばかりだ。何が大丈夫なんだろう。いつもそう言う大人って分からないなぁ。もやもや感で一杯で、背中に大きな重い塊が乗っかっているような気分の時、イヤな事ってどうして追い打ちをかけてくるんだろう。お母さんが事故にあった時のように。

「福ちゃん、死んじゃったんだってよ」お姉ちゃんが、巨大化したマリオで僕のルイージを踏みつぶした時、爆弾発言をした。「えええええ!うそだろ!また僕をからかってるんだろ!」僕はコントローラーを放り出した。「クラスの女子会で話題になってるよ。福ちゃん、交通事故に遭ったんだって」「交通事故!」僕は交通事故で天国に逝ったお母さんのトラウマで、一瞬頭に火花が散って、目の前がチカチカしたけど、お姉ちゃんに膝を詰め寄った。「な、なんで福ちゃんが交通事故にあったんだよ!」「福ちゃんのリードを離して散歩してたらしいよ。子供見守り隊の藤井さん。あたしの友達が見てたんだ。森田さん、藤井さんに福ちゃんを貸したみたいだね」僕はあまりのショックでクラクラした。「優介、しっかりしな。お母さんが死んじゃってから、ずうっといじけたままだろ。このままじゃ引きこもりになるぞ。辛い事でも、ちゃんと受け止めるんだ」そう言って、お姉ちゃんは僕の頭をくしゃくしゃにした。僕はお姉ちゃんみたいに強くなれない。そんな人種だっている事をお姉ちゃんは全然分かってないんだ。僕は部屋に駆け込んで、ベッドに倒れてわあわあ泣いた。それから一週間は泣き暮らした。ああ、この世界に僕ほど不幸な子供はいないだろう。と嘆きながら。
泣きつかれたある日の夕方、お姉ちゃんの命令で、近所のスーパーにアイスを買いに行った。道すがら、さくらの木から、どんどん花が散っていってる。僕の心もくだけ散ってしまうんだと思った時、森田さんとバッタリ出会った。

「森田さん!」「やあ優介君、元気だったかい」「僕…福ちゃんが…藤井さんが…」言いたいことはいっぱいあるのに、言葉が出てこない。なんだか重い固まりが喉につまって、言いたい事はたくさんあるのに、つっかえて、一言も出て来なかった。でも森田さんは、そんな僕の顔を見て、優しく穏やかに微笑んでくれた。「藤井さんが、散歩のときにお供がほしいから、ちょっとだけ福を貸してくれって言ってきたんだよ。藤井さんは、家族がいなくて一人ぼっちだから、とても淋しい人なんだ」「でもリードを離すなんて、ひどいよ!藤井さん」「うん、そうだね。それはしちゃいけない事だったね。でもね、優介君、藤井さんを責めても、福は還ってこないんだよ」「森田さん…藤井さんを恨んでないの?」「優介君、おじさんは人を恨むよりも、哀しみの方が先に来るんだ。おじさんが人を恨むと、福が心配して天国に逝けないんじゃないのかな?」「でも…僕…」「ほら、これを見てごらん」森田さんはすっと手を僕に差し伸べた。森田さんの手首には、さくら色をしたブレスレットがキラキラと光っていた。「これは福の遺骨が入っているブレスレットなんだよ。」さくら色の珠がたくさん連なって、森田さんの手首にきちんと納まっている。よおくのぞき込んでみと、ひときわ大きな珠の中にさくらの花が浮き彫りになっていた。「このさくらの花の珠の中に、福は眠っているんだ。遺骨ブレスレットって言ってね。特注で作ってもらったんだよ。さくらの花が咲く頃に、福は生まれたからね」僕はそおっとそおっと、さくらの花の中に眠っている福ちゃんを起こすまいと、ふるえる手で撫でた。「ありがとう、優介君」見ると森田さんの眼には、うっすらと涙がにじんでいた。ぼくもつられて、ぽろぽろと涙がこぼれてきた。「福ちゃん、幸せだよね。いつも森田さんと一緒で」「そうだよ優介君、優介君のような優しい子に好かれて、福は今安らかに眠っているんだ。だから福を起こすような事はしちゃいけないんだよ」僕はズキュンと胸に何か大きな矢が刺さったように、そのまま動けなくなった。「森田さんって、花咲きおじいちゃんみたいだね」「花咲きおじいちゃん?」「うん、僕が今よりも、もっと小さくてお母さんが生きてた頃、花咲きおじいちゃんのお話を読んでくれて、『優介もこんな優しいおじいちゃんになるんだよ』って言ったのを覚えてる。」「そうか、優介君のお母さんは、優介君に優しい子になってほしかったんだね。」「うんだから僕の名前に優しいっていう字を入れたんだって」
「とても素敵なお母さんだったんだね。お母さんも今頃天国で、優介くんの成長を喜んでいるよ。」その時、さあっと強い風が吹いた。ふと僕たちの間に、ひとひら何かが降ってきた。僕と森田さんが上を見上げて見ると、枯れたはずのさくらの木に、一枝だけさくらの花が咲いていた。「ほら、福と優介君のお母さんがそこにいるよ」「うん、そうだね。福ちゃんと、お母さんはそこにいるね」二人して、いつまでもいつまでも、一枝生き残っていたさくらの樹の下に立ち止まって、さくらの花から透けて見える青空を見上げていた。
そうして僕は、もしもお姉ちゃんが嫁に行けなくなっても、荷物持ちはしてあげようと誓った。
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