量子力学的マンションシリーズ

深井零子

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第四章 来訪者たち

来訪者 その7

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 午後、Collapse Residenceは静かだった。 冷蔵庫は沈黙を守り、猫(仮)は香箱座りを決め込んでいる。 しっぽは動かず、鳴き声もない。制度は安定していた。

 インターホンが鳴った。 俺は新聞を置いて立ち上がる。 ドアを開けると、スーツ姿の男が立っていた。ノートPCの入ったカバンを肩にかけ、手には小さな紙袋。

 「どうも。近くまで来たんで、ちょっと寄らせてもらいました。」

 統計学者。仕事で何度か一緒になった男だ。制度設計の定量モデルを組むとき、彼の分布図にはずいぶん助けられた。

 「まあ、上がってください。妻もいます。」

 リビングに通すと、妻がキッチンから顔を出した。

 「こんにちは。お茶、淹れますね。」

 猫(仮)はソファの上で動かない。 統計学者は目を細めて見つめる。

 「この猫、香箱座りの安定率、かなり高いですね。観測者として優秀だ。」

 俺は笑った。

 「制度の揺らぎを読むのが得意なんですよ。鳴かない日は、空間が柔らかくなる。」

 統計学者はノートPCを開き、何かを打ち込み始めた。

 「鳴かない日と空間の柔軟性の相関、前から気になってたんです。 Collapse Residenceって、揺らぎの分布が非正規なんですよね。 平均じゃなくて、詩的外れ値が制度を動かしてる。」

 妻が紅茶をテーブルに置いた。

 「詩的外れ値って、アリスのこと?」

 統計学者は首を振った。

 「今日はアリスの話じゃないです。あくまで、制度の“日常分布”を見に来たんです。」

 猫(仮)がしっぽを右に揺らした。 統計学者はすかさず記録する。

 「右揺れ。現実寄りですね。議事録、開いてもいいかもしれない。」

 俺は苦笑する。

 「うちでは、議事録は猫の気分次第なんですよ。」

 統計学者は紙袋からクッキーを取り出した。

 「これ、制度甘味体じゃないです。普通のやつです。 でも、猫が食べるかどうかで、制度の“味覚反応係数”が測れるかも。」

 猫(仮)は無視した。 香箱座りを崩さず、目を細めて空間を観測している。

 冷蔵庫が震えた。

 コード
  制度通知:来訪者記録  
  分類:制度解析補助者(統計型)  
  状態:日常分布観測中  
  警告:意味の過剰に注意

 妻が言った。

 「この家、詩と数値が混ざると、冷蔵庫がちょっと不機嫌になるのよ。」

 統計学者は紅茶を一口飲み、微笑んだ。

 「でも、混ざるからこそ、制度は生きてる。 Collapseって、崩壊じゃなくて“分布の再構成”ですから。」

 俺は頷いた。

 「そうですね。うちの猫(仮)、平均じゃ測れないですから。」

 猫は鳴かなかった。 制度は静かに揺らぎ、分布の中に詩的な外れ値を抱えていた。
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