量子力学的マンションシリーズ

深井零子

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第7章 夫婦とは

夫婦とは 妻編

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 気づいたら、私は結婚していた。 

 佐久間環、四十代、元行政職員。隣にいるのは透、設計コンサルタント。 

 制度ログを見ても、出会いの記録は空白。恋愛のプロセスはどこにも残っていない。 

 それでも私は「まあいい。観測された以上、確定なんでしょう」と受け入れた。都市の観測制度が導いた最適解——確率的結婚の住人として、量子力学的マンションで暮らしている。

 夫は理屈で遊ぶ側の人だ。制度の側に立ち、ログを解析しては「この確率はこうだ」と楽しんでいる。 

 私は現実的で、感情で折り合いをつける。制度に距離を置きながら、日常をどうにか回している。 

 二人の生活は穏やかだけれど、不気味な安定に包まれていた。

 転機は、猫(仮)だった。 結婚後に迎えたその猫が、私たちの間に座ると、婚姻安定度が98.7%に跳ね上がる。 

 猫は結婚後に来た存在だから、出会いの因果には介入できないはず。 

 なのに、この猫の位置が現在の関係の安定を担保している。 

 透は「ノイズって何だろう?」と考え込む。 

 私はただ、その姿を見て「この子がいると落ち着く」と感じていた。

 夫はシステムログを深く探り、結婚という結果は確定しているのに、出会いの記録が完全に空白であることを突き止めた。 

 私は絵日記を読み返し、出会いの日に猫が描かれている不可解な絵を見つけた。 

 猫は結婚後に来たはずなのに。

 客観的事実と主観的記憶のズレ——猫は「夫婦の記憶の揺らぎの媒介」として機能していた。

 二人で記憶の空白について話し合っていると、マンションの観測AIがエラーを出した。 

 

 制度は最適解として結婚を確定させたが、その根拠となる「観測不能な感情」や「制度外のズレ」を説明できないのだ。

 私は、この不気味な状況に穏やかに折り合いをつけるしかなかった。 

 「あなたといると、確率的に落ち着くっていうか。」 

 夫は理屈では解明できないこの「空白の最適解」を静かに受け入れた。 

 私たちの結婚は「似ているから結婚した」のではなく、「結婚していたから似ているように見える」制度先行型の構造だ。

 最後に、出会いの記念日を探したが、制度は「記念日は存在しない」と判定した。 

 だから私たちは「記念日がないことを記念する日」を設けた。 

 制度が空白を許す稀な抜け穴として。奇妙な結婚を肯定するために。
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