ビッグテック皇帝 最適化された未来

深井零子

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The Vital Mandate

第4話 事件はすでに解決している

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 古谷が立ち会った今日の「配送ドローン破壊事件」は、まさにThe Vital Mandate(T.V.M.)が支配する司法の冷たさを象徴していた。被告人は20代の青年で、物流ドローンを破壊した疑いがかけられている。事件そのものは軽微であったが、その解決プロセスこそが、司法が「瞬時の行政処理」に変質した事実を雄弁に物語っていた。

 事件が発生した瞬間、解決はすでに完了していた。関係者のスマートウォッチ、生活ログ、位置情報、そして生体反応が自動的に収集され、The Vital Mandateが瞬時に「最適な判決」を算出する。裁判所に行く前に、「あなたの事件は制度的に解決済です。判決は自動執行されます」という通知が当事者に届いている。裁判官が判決文を読み上げる儀式は、単にその確定した事実を公的に宣言する行為に過ぎない。

 判決の根拠は明確かつ数値的だった。青年の位置情報が現場付近であったこと、彼の心拍変動がT.V.M.によって「攻撃的反応」と推定されたこと、そして生活ログに「反テック的投稿」の異常値が見られたこと。T.V.M.の世界では、人間の言葉よりも、身体の数値が「制度的証拠」として優先される。心拍の乱れや皮膚電気反応が「虚偽反応」と推定されれば、「あなたの心拍は嘘を語っています」という冷たい事実だけが残る。

 裁判官が判決文の読み上げを開始した。その声は抑揚がなく、まるで機械の音響器官のようだった。青年の弁護人は、「AI判決の説明係」として、なぜT.V.M.がこの責任指数(0.70以上の有罪判定であったと古谷は推測した)を導き出したのかを、淡々と解説する役割を担っていた。

 青年は、口を開きかけた。微かな抗弁、あるいは誤解を解きたいという切実な願いが、その表情に一瞬浮かんだ。かつての司法、すなわち「語りの司法」であれば、証言の揺れや沈黙の重さが裁判官の心証形成に影響を与えたはずだ。しかし、今は「数値の司法」の時代である。

 青年の微かな動きに対し、法廷の端末が即座に警告を発した。「発言は不要です。The Vital Mandateが真実を確定しています」。青年が「私はやっていません」と抗弁しようとしても、それは「情動ノイズ検出。無効です」と処理される。いかなる「事情の説明」も、「制度的に不要です」と却下される。彼の語りは、この制度においては「制度的ノイズ」であり、即座に除去される対象でしかない。

 古谷は書記官席からその光景を見ていた。彼は、この事件には必ず「語られなかった真相」があるはずだと想像した。ドローン破壊には、単なる反テック的感情だけでなく、何か個人的な、あるいは避けられない背景があったかもしれない。しかし、その想像は、この冷たい儀式の中では何の力も持たないことを知っていた。

 裁判はすでに終了している。公判は形式的儀式であり、古谷自身が閉じ込められている「儀式層」の一部に過ぎない。彼は、自身の役割が、もはや司法の公正を守るためではなく、制度の正統性を演出するためにあることを知っていた。

 古谷は、青年の抗弁を破棄した端末の警告音を耳にしながら、諦観を深めた。事件は、人間が語る前に、データによって完全に解決しているのだ。そして、その解決に「人間」の居場所はない。
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