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4話
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例の居酒屋まで来ても飲む気はあまりしなかった。だが芳はそのままふらりと入る。
一杯だけ。
一杯だけゆっくり味わって飲みながら、それこそもう一度ゆっくり考えよう。
そんな風に言い聞かせるが、数ヶ月前に伊吹を見かけてから実際もう何度も考えている。
職場では仕事をスマートにこなす男だと見られているが、それは芳が仕事に没頭してきたからだ元々、出来は悪くないが器用なたちではない。
──器用なら今まで恋愛もスマートにこなしているだろうよ。
伊吹を見かけて以来、気になって仕方がないからだろうか。何度か伊吹を見かけている。偶然街中で見かけることもあれば、今日のように自ら伊吹を探していることもあった。
本当にろくでもない。
ストーカーかと自分を情けなく思う。
わいわいと騒がしい中、芳はカウンター席でひとり、ウィスキーをちびちび飲んでいた。ストレートで頼み、甘味のあるウィスキーだったのでチェイサーとして暖かい麦茶も頼んだ。
……家で飲んだほうがよかったな。
バーならまだしも、騒がしい居酒屋でひとり飲みはあまり寛げない。伊吹のことをゆっくり考えようにも気が散った。とはいえ散っている気も全て伊吹のことだ。
結局──
結局、離れても無駄なのだ。離れてから何年経つ? 六年? 七年? だというのに何一つ変わっていない。変われていない。諦めろ、芳。
芳は自分に言い聞かせる。
伊吹のことを諦めるのではない。それは無駄だと理解した。だったらいっそ、とことん突き詰めるしかないのではないのか。その結果、派手に玉砕しても仕方がない。やるだけやって駄目だとさすがに変われるのではないだろうか。どのみち逃げてからずっと伊吹には会えなかったのだ。それなら向かって行ったほうが自分としてもすっきりするのではないか。
──伊吹には悪いが。
また純粋な笑顔を思い浮かべる。
悪いな、伊吹。ろくでもない近所のお兄ちゃんで。
ウイスキーを片手にそんなことを考えながらひとり、フッと笑っていると伊吹の声が聞こえた。
まずい。とうとう幻聴までするほどに俺は伊吹にイカれてしまったのか。
自分にドン引きしていると今度は姿も見えた。友だちだろうか、何人かの男と出入口へ向かっている。さすがに幻覚だとは思わない。芳はドキドキしながらまた偶然会えたことに今度は素直に喜ぶ。
残りのウィスキーを飲み干すと、芳も席を立った。店を出て少し探すと伊吹はすぐに見つかった。何人かの男と楽しそうに話した後、皆と分かれて携帯電話を見ている。
そこで芳は思い出した。伊吹には彼女がいたはずだ。そんな伊吹に何をどう向かっていくというのか。
いや、それでも自分が忘れられていないのだから仕方がない。多分逃げてしまったままだからここのところずっとモヤモヤしていたのだろうし、話して自分がどうしたいのか見つけて行くしかない。
そう、別に彼女との仲をどうこうしようと思っているのではない。
芳は自分に言い聞かせると伊吹の名を呼んだ。すると伊吹が振り向く。
ドキドキした。
ああ、やはり好きなのだと改めて実感する。
「伊吹」
芳だと気づいていないのだろうか。ポカンとしている伊吹の名をもう一度呼ぶと「……あの、どちら様」と戸惑った様子を見せてきた。それに軽くショックを覚えるが「いやいや、考えてみろ、伊吹が知ってる俺は高校生で、今の俺はリーマンだぞ。そりゃ雰囲気も変わってるだろ……」と思い直す。
「……忘れられちゃったかな。芳です」
何でもないように笑みを浮かべながら静かに言うと、それでもまだ少しポカンとしていた伊吹は「え、芳って、あの芳っ?」と驚いた後に満面の笑みを浮かべてきた。
やはりかわいい。
めちゃくちゃかわいい。
腹立たしいことに芳よりも少しだけ今の伊吹は身長がありそうだが、それでもかわいい。かわいい顔というよりは美形なのだろうが、芳からすればひたすらにかわいい。
「久しぶりだね、伊吹。ずっと地元にいるとばかり思っていたよ」
内心で延々かわいい、かわいいと繰り返しながらも落ち着いた感じを装いつつ、最近何度も見かけていたというのに芳は伊吹にいけしゃあしゃあと笑いかけた。
「俺も大学はこっちにしたんだ。……俺、芳と会えなくなって寂しかったんだよ? 何も言ってくれないまま芳ってば上京しちゃったし」
ああ、できることなら「ごめんね」と抱きしめたい。
「悪かった、バタバタしていてな」
「でも、会えたし声、かけてくれたからいいや」
伊吹がまたニッコリと笑いかけてきた。声にならないような声が漏れそうだったが、芳も微笑む。
「この辺に住んでいるのか?」
「え? あぁ、うーん。この辺ってほどでもないかなぁ。電車乗るし」
「そうか。……って、電車? 悪い、声かけるんじゃなかったな……」
「え、何で」
「終電。まずくないか?」
「え……、っあ!」
ニコニコしていた伊吹が困った顔になった。
「あー、やっちゃった……走れば間に合うかな」
「何だったらタクシーでだけど送ろうか?」
それならついでに伊吹が住んでいるところを知ることができる。
「え、そんなの悪いよ」
「問題ないぞ」
「でも……、そうだ、芳って家、どの辺? 俺と近いならそうさせてもらおうかな。でも違うならいいよ。この辺だったら漫喫あるし」
まんきつ?
「よくわからないが遠慮するな。俺とお前の仲だろ」
「うーん。……あ、じゃあもし嫌じゃなければ芳の家泊めてよ。そしたら芳に送る手間かけさせないし、芳は明日普通に仕事行けるし、俺は芳の家から大学行くし」
「いいぞ」
少し即答過ぎただろうか。だが予定にしていなかったものの、これはこれで幸せ過ぎる結果ではないだろうか。
伊吹と久しぶりに一緒の家で眠られる。もちろん彼女がいるであろう伊吹に、それも実はどんな経験もない芳がどうこうできはしないが、純粋に嬉しさを覚えた。
一杯だけ。
一杯だけゆっくり味わって飲みながら、それこそもう一度ゆっくり考えよう。
そんな風に言い聞かせるが、数ヶ月前に伊吹を見かけてから実際もう何度も考えている。
職場では仕事をスマートにこなす男だと見られているが、それは芳が仕事に没頭してきたからだ元々、出来は悪くないが器用なたちではない。
──器用なら今まで恋愛もスマートにこなしているだろうよ。
伊吹を見かけて以来、気になって仕方がないからだろうか。何度か伊吹を見かけている。偶然街中で見かけることもあれば、今日のように自ら伊吹を探していることもあった。
本当にろくでもない。
ストーカーかと自分を情けなく思う。
わいわいと騒がしい中、芳はカウンター席でひとり、ウィスキーをちびちび飲んでいた。ストレートで頼み、甘味のあるウィスキーだったのでチェイサーとして暖かい麦茶も頼んだ。
……家で飲んだほうがよかったな。
バーならまだしも、騒がしい居酒屋でひとり飲みはあまり寛げない。伊吹のことをゆっくり考えようにも気が散った。とはいえ散っている気も全て伊吹のことだ。
結局──
結局、離れても無駄なのだ。離れてから何年経つ? 六年? 七年? だというのに何一つ変わっていない。変われていない。諦めろ、芳。
芳は自分に言い聞かせる。
伊吹のことを諦めるのではない。それは無駄だと理解した。だったらいっそ、とことん突き詰めるしかないのではないのか。その結果、派手に玉砕しても仕方がない。やるだけやって駄目だとさすがに変われるのではないだろうか。どのみち逃げてからずっと伊吹には会えなかったのだ。それなら向かって行ったほうが自分としてもすっきりするのではないか。
──伊吹には悪いが。
また純粋な笑顔を思い浮かべる。
悪いな、伊吹。ろくでもない近所のお兄ちゃんで。
ウイスキーを片手にそんなことを考えながらひとり、フッと笑っていると伊吹の声が聞こえた。
まずい。とうとう幻聴までするほどに俺は伊吹にイカれてしまったのか。
自分にドン引きしていると今度は姿も見えた。友だちだろうか、何人かの男と出入口へ向かっている。さすがに幻覚だとは思わない。芳はドキドキしながらまた偶然会えたことに今度は素直に喜ぶ。
残りのウィスキーを飲み干すと、芳も席を立った。店を出て少し探すと伊吹はすぐに見つかった。何人かの男と楽しそうに話した後、皆と分かれて携帯電話を見ている。
そこで芳は思い出した。伊吹には彼女がいたはずだ。そんな伊吹に何をどう向かっていくというのか。
いや、それでも自分が忘れられていないのだから仕方がない。多分逃げてしまったままだからここのところずっとモヤモヤしていたのだろうし、話して自分がどうしたいのか見つけて行くしかない。
そう、別に彼女との仲をどうこうしようと思っているのではない。
芳は自分に言い聞かせると伊吹の名を呼んだ。すると伊吹が振り向く。
ドキドキした。
ああ、やはり好きなのだと改めて実感する。
「伊吹」
芳だと気づいていないのだろうか。ポカンとしている伊吹の名をもう一度呼ぶと「……あの、どちら様」と戸惑った様子を見せてきた。それに軽くショックを覚えるが「いやいや、考えてみろ、伊吹が知ってる俺は高校生で、今の俺はリーマンだぞ。そりゃ雰囲気も変わってるだろ……」と思い直す。
「……忘れられちゃったかな。芳です」
何でもないように笑みを浮かべながら静かに言うと、それでもまだ少しポカンとしていた伊吹は「え、芳って、あの芳っ?」と驚いた後に満面の笑みを浮かべてきた。
やはりかわいい。
めちゃくちゃかわいい。
腹立たしいことに芳よりも少しだけ今の伊吹は身長がありそうだが、それでもかわいい。かわいい顔というよりは美形なのだろうが、芳からすればひたすらにかわいい。
「久しぶりだね、伊吹。ずっと地元にいるとばかり思っていたよ」
内心で延々かわいい、かわいいと繰り返しながらも落ち着いた感じを装いつつ、最近何度も見かけていたというのに芳は伊吹にいけしゃあしゃあと笑いかけた。
「俺も大学はこっちにしたんだ。……俺、芳と会えなくなって寂しかったんだよ? 何も言ってくれないまま芳ってば上京しちゃったし」
ああ、できることなら「ごめんね」と抱きしめたい。
「悪かった、バタバタしていてな」
「でも、会えたし声、かけてくれたからいいや」
伊吹がまたニッコリと笑いかけてきた。声にならないような声が漏れそうだったが、芳も微笑む。
「この辺に住んでいるのか?」
「え? あぁ、うーん。この辺ってほどでもないかなぁ。電車乗るし」
「そうか。……って、電車? 悪い、声かけるんじゃなかったな……」
「え、何で」
「終電。まずくないか?」
「え……、っあ!」
ニコニコしていた伊吹が困った顔になった。
「あー、やっちゃった……走れば間に合うかな」
「何だったらタクシーでだけど送ろうか?」
それならついでに伊吹が住んでいるところを知ることができる。
「え、そんなの悪いよ」
「問題ないぞ」
「でも……、そうだ、芳って家、どの辺? 俺と近いならそうさせてもらおうかな。でも違うならいいよ。この辺だったら漫喫あるし」
まんきつ?
「よくわからないが遠慮するな。俺とお前の仲だろ」
「うーん。……あ、じゃあもし嫌じゃなければ芳の家泊めてよ。そしたら芳に送る手間かけさせないし、芳は明日普通に仕事行けるし、俺は芳の家から大学行くし」
「いいぞ」
少し即答過ぎただろうか。だが予定にしていなかったものの、これはこれで幸せ過ぎる結果ではないだろうか。
伊吹と久しぶりに一緒の家で眠られる。もちろん彼女がいるであろう伊吹に、それも実はどんな経験もない芳がどうこうできはしないが、純粋に嬉しさを覚えた。
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