不機嫌な子猫

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8話

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 ところで最近一度だけ、城から抜け出すことに成功した。とはいえウィルフレッド一人でではない。正直なところ、一人で好きに堪能したかった。だが一人ではどうにも上手く抜け出せない。

「もうすぐ城下町につくからね!」

 少し前まではラルフもよく捕まっているところを見かけていたというのに、今や抜け出す達人になりつつある。それでも前までは二人ででもウィルフレッドがすぐに見つかってしまっていたのだが、今回は警備の目を上手く掻い潜り、一緒に城をあっという間に抜け出していた。ラルフが上達したのもあるし、運がよかったのかもしれない。
 上から見ると木の密集した森のようだったところも、下を歩けばちゃんと歩きやすい道があった。途中からは草原が延々と広がっている。だが城下町までは相当離れているように見えていた道中はラルフの道案内もあってか、思っていたよりはるかに早くたどり着いた。
 城の高いところから覗くだけだった町を目の当たりにして、ウィルフレッドの頬が紅潮する。上から覗くだけだと当たり前だが、音など全く聞こえてこない。聞こえるのはせいぜい風の音だ。風属性だけにもっと魔法が使えたらどこの音でも拾えるだろうにと一瞬遠い目になりつつ、目の当たりにしたそこは、絶えずどこかで聞こえてくる音楽や馬車などの音、笑い声、怒鳴り声、誰かを呼ぶ声といった人の行き交う生活音と、喧騒に満ちていた。
 城内は静かだ。パーティーでもない限り賑やかな音はしない。魔界も基本的に静かだったように思う。生き物はそれなりに存在していたし夜通し繰り広げられるパーティーもあった。だがこれほど生に溢れた場所などなかったように思う。

「ウィル、すごいだろ? すごく賑やかだろ」
「……うん」
「なっ? よし、おいで! 美味しいもの食べよ!」

 ラルフは満面の笑みを浮かべてウィルフレッドの手をつかみ、そのまま駆け出した。そして勝手知ったる場所とばかりにするすると人の間を抜け、どんどん街の奥へ入っていく。
 そこは市場というものらしかった。広場にあらゆる屋台が組まれ、あらゆるものが売られている。

「こんなの城に居たら見られないだろ」
「うん」
「とりあえず何か食べよう。でもここだと俺の好物は……ああいやでもまずは名物を食べておくといいな」

 ラルフは楽しげな顔をキラキラとさせながらまたウィルフレッドの手を引いた。引かれるがままついて行くと色んな匂いが混じる中、特にいい匂いがしてくる。見れば豚がひっくり返された状態で丸ごと焼かれていた。

「豚の丸焼きはここいらの名物だからな。城でも豚は出てくるけどお上品だろ?」

 上品かどうかは特に意識したことはないが、美食家であるウィルフレッドからすれば上質で味がよければそれでいい。城の料理は中々に美味いと思っている。

「お兄さん! こんにちは」
「これはこれは。また抜け出されてこられたんですか」
「まぁね。それ、二人分ちょうだい」
「ありがとうございます」

 普通に店の者はラルフの正体を知っているようだった。
 ただラルフはあえてウィルフレッドを弟だと紹介はしなかったし、これは少々腹立たしいことだが屋台からは小柄なウィルフレッドは見えていないようだった。それでもウィルフレッドとしてもそれはそれでありがたいと思う。別に目立ちたい訳ではない。本来も身分を隠して町の様子を窺えればと考えていた。
 その他にもいくつか買った食べ物と飲み物を持ち、ラルフは無造作に置かれている木の辛うじてテーブルと椅子のつもりだろうか、粗末なそこへ移動して座った。魔界でも今の世界でも優雅な暮らししかしてこなかったウィルフレッドも自分の意志でここへ来たのだしと何とかそれに倣う。

「美味しい?」

 恐る恐る口にすると、肉汁が口の中いっぱいに広がった。ウィルフレッドが気持ちを高揚させているとラルフがニコニコと聞いてくる。それに対して口に入っているので無言で頷くと「可愛いなあ」と頭を撫でられる。たかが二歳しか変わらないというのにこの仕打ちとイライラ睨むも、ラルフは気にする様子もなくますますニコニコとしている。食べ物がなければまたいつものように抱きつかれたり抱き上げられていたりしたかもしれない。限りなく屈辱である。

「俺の大好物はね、市場じゃなくてもっと違う場所で売られてたり食べられたりしてるんだよな。また今度はそれを食べよう」
「……」

 今食べたものも庶民の食事だとするなら十二分に美味しかった。前世からの美食家なので基本的に贅沢で美味いものが食べたいが、これはこれで悪くない。だとすれば同じく上質なものに囲まれて育っているラルフの大好物なら中々に興味のそそられるものなのかもしれない。ラルフのことは記憶が甦ってからは「第二王子」としてしか認識していなかったが、一応心に留めておこうとウィルフレッドは最後の一口を飲み込みながら思った。
 その後は町中を散策した。ただとある方へはラルフが行こうとしないので、むしろ気になってウィルフレッドはそちらへ駆けて行く。

「あ、待ってウィル! そっちは」

 少し路地の奥になっているその場所は見るからに子ども向けでないところだと分かった。

「あら、ボク。こんなところに来ちゃダメだよ」

 とある屋敷から出てきた女性に笑いながら言われ、もしやと思っているとラルフが慌ててそばまでやって来た。

「イェルダさん、こんにちは」
「王子じゃないの。あら? じゃあこの子は弟?」
「邪魔してごめんね。また今度遊びに行くよ」
「いつでもいらっしゃい」

 ニッコリと微笑む顔は、姿を見た時は下品な様子だと思ったウィルフレッドにも結構綺麗に見えた。

「ウィル、駄目だよ勝手に歩いちゃ」
「兄上はもしかして、あんなところに出入りしてるのか」

 ルイやアレクシアには敬語を使っているが、ラルフに対しては歳が近いのもあって昔から敬語ではなかった。魔王だったことを思い出してからは少々舐めてかかっていたのもあって尚更だ。

「まあね。あ、でもやらしいことはしてないからね? さすがに王子だとバレてんのに町で気軽にそういうことは出来ないよ。あそこへはたまに寄付したりするついでに世間話を聞かせてもらってるんだよ」
「寄付?」
「娼婦の扱いはどうしてもどこも劣悪だしね」

 ただふらふらと遊び歩いているだけだと思っていたウィルフレッドはポカンとした顔をラルフに向けた。成人しているルイはさておき、十三歳のアレクシアもちょくちょくと外交を行っている。先日いきなりされた「パック」とやらもその際に入手したものだろう。だがまだ十二歳であるラルフもふらふらしているだけではないらしいと分かり、ほんの少し見直すと同時に警戒する気持ちも高めることにした。

「……城ではたまにやらしいことをなさっているらしいくせに」
「えっ? な、何でそれ……っていうかちょ、ウィルにはまだ早いよ、そういうこと口にもしちゃ駄目! っていや、ちょ、待って、何で急に俺にも敬語になっちゃったの? 兄姉の中で俺だけ敬語じゃなくて親しげに接してくれてると思ってたのに!」

 親しげじゃなくて舐めてかかってたんだよ。

「尊敬の念を込めただけです」
「えっ、ヤダ嬉しい、けど寂しい……!」
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