不機嫌な子猫

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85話

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「何の用だ」

 相変わらずクライドは淡々としつつ鬱陶しそうにぼそりと口にしてきた。

「っち。記憶が戻って良かったですねくらい貴様は言えんのか」
「戻ってよかったな」

 どうでもよさそうにその部分だけを素っ気なく繰り返してきたクライドをウィルフレッドは更に睨んだ。だがそれこそどうでもいいとばかりに勢いよく自分用の、自分がかつて用意した椅子に座る。

「記憶は戻ったはずなのにどこかおかしいのだ。貴様、俺を診ろ」
「医師に頼め」
「あの医師では駄目だ。あいつは医学的にはそこそこ優秀かもしれんが、俺のこれはそういった類のものではない」
「意味が分からんが」
「魔王としてずいぶん長く生きてきた俺なのだぞ。その俺がどうしたらいいのか分からんのだ。貴様がどうにかしろ」
「……軽々しくそれを口にするな。馬鹿かお前は」

 クライドが呆れたように見てきた。確かに軽率で馬鹿かもしれないが、ウィルフレッドはそれどころではない。

「いいから診ろ」
「何をどうしろと。だいたい何がおかしいのか説明しろ」
「分からん。それもよく分からんのだ」
「は?」
「だが多分心臓を悪くしたのかもしれん」
「なら医師でいいだろう」
「違う! そういうのではないと言っているだろうが!」
「私に分かるように言え」
「……とりあえず落ち着かんのだ」
「は?」
「きっと記憶喪失の副作用で心臓や内臓がおかしくなった。だが医学的にどうこう出来るとは思えん。多分俺は死ぬのだ」
「は?」
「とにかく! レッドに殺されそうなのだ!」
「は?」

 いつも淡々としているクライドの唖然とした顔など珍し過ぎて普段のウィルフレッドなら大騒ぎで楽しんだだろう。だが本当にそれどころではなかった。
 このクライドの住まいへやって来る時も当然のようにレッドがそばについていた。一人で行くと言ったのだが離れようとしない。ここへ来る時だけではなかった。とにかくどこへ行くにもそばを離れてくれない。
 元々いつも振り向けばいるレッドではあったが、それでも記憶喪失になる前はもっとウィルフレッド一人でうろうろとしていた気がする。例え気づけばレッドがいても、一見気軽に一人でうろついていた。
 だが今はどこへ行こうにもあからさまにレッドがついて離れない。これぞまさしく王子付き側近の鑑とばかりにそばにずっといる。とはいえ理由はなんとなく分かる。レッド以外にも兄姉もことあるごとに顔を出してくるのだ。以前からもそうだったが、それが悪化している。おそらく記憶喪失になってしまったせいでしなくていい心配をしているのだろう。結局は相変わらず舐められているのだろうとウィルフレッドはイライラ思っている。
 レッドに関しては、以前は鬱陶しいとは思えどその程度だった。なんとなく怖い、苦手だとは思っていたが、記憶喪失が治ったウィルフレッドとしては、鬱陶しいどころかある意味相当な苦痛だった。
 とにかく落ち着かない。
 目覚めたばかりの頃はそわそわする程度だったが、だんだんと酷くなる。下手をすれば心臓がおかしくなってしまうかもしれない。だというのにレッドは離れない。
 これでは本当にウィルフレッドは死んでしまうかもしれない。レッドに殺される。

「……馬鹿馬鹿しい」
「ばっ、馬鹿馬鹿しいだとっ? 俺は真剣に困っているというのに貴様! クソ……転生してまさかこんなことで死んでしまうなど……」
「本当にこんなこと、だな」

 ウィルフレッドが真剣に説明したというのに、クライドは相変わらずどうでもよさそうな様子でしかない。
 さすがにレッドと寝ているとウィルフレッドは口にしていないが、もしかして説明で何か察したのだろうか、クライドが淡々としたまま提案してきた。

「レッドと交接してみてはどうだ」
「こ、こう……、貴様、他に言い方はないのかっ?」
「性交のほうがいいか?」
「よくないわ! 余計酷いわ! だ、だいたい無理だ」
「何故。元々していたのではないのか? 子ども子どもしていてもそこは生まれつきか」
「貴様……俺を愚弄するな。……というか何故していたとバレているのだ。俺は言ってないだろ」

 イライラと睨みつけた後に怪訝に思い、クライドを見上げるとあからさまにため息を吐かれた。

「馬鹿にするな」
「仕方ないだろう……生まれ変わって馬鹿になったのか、元々かは知らんが」
「おのれ……」
「先ほどの説明で分からないほうがおかしいだろう。特にお前が元魔王だと分かっているだけにな。魔王の所業なら当時私の耳にも入ってきていた」
「貴様こそ軽々しく口にするな。だいたい何故人間の耳に入ることがあるのだ」
「ふ。とにかく私はこれでも忙しい。出て行け」
「馬鹿者! 俺を見捨てる気か」
「ほう? お前は自分の元仇をそうやって頼るというのか」
「ふ、ぐ」

 ウィルフレッドとて頼りたくはない。だがこんな奇病のようなものにかかってしまってはどうしようもない。
 ぐっと唇を噛みしめているとまたあからさまにため息を吐かれた。

「はぁ。お前、まさか前世で一度も誰かを好きになったことはないのか?」
「は? 何だそれは。そんなどうでもいいこと今必要なのか」
「今ので答えたようなものだが、な。そうだな」
「どう関係あるのだ。第一、そんなくだらないもの味わう気にもならなかったわ」
「馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが」
「貴様……」
「本当に馬鹿なのだな、お前は」
「これ以上愚弄する気なら許さんぞ」

 立ち上がり思い切り睨みつけたが「お前に上目遣いされても困惑しかない」と嫌そうに言われただけだった。

「上目? 何を言っている。俺は許さんと言っているのだ」
「分かった分かった」
「適当にあしらうな!」
「いい加減にしてくれ。私は本当に忙しい。例の赤い石を改めて調べているところなのでな」
「俺は真剣なのだと──」
「分かった。診断を下してやる。恋だ」
「は?」
「お前はそれこそ前の生も含め何百年と無駄に生きてきて、」
「貴様」
「生まれて初めて恋をしている。以上だ。出て行け」
「あ、おい、こら!」

 何を言い出すのだと言う前にとうとう魔法を使われた。気が付けばウィルフレッドは外に出ており、目の前には自分の心臓を止めようとしてくる張本人がポカンとした顔でウィルフレッドを見ていた。
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