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1話
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香坂 周(こうさか あまね)は高校生だが一人暮らしをしている。とはいえ実際にマンションやアパートを借りて一人暮らしをしているのではなくて自宅住まいであり、一人なのは親が海外出張をしているからだ。
急遽決まった海外勤務に父親一人だと心もとなかった母親がついて行く事になった。子どもである周を一人にするよりもなお一人にするのが心もとない父親に苦笑しつつ、周は日本に残る事にした。高校一年になったばかりだったし今さら生活や学校を変えたくなかった。ちなみに英語が喋れないから面倒くさいのも本音だったりする。
だが一番の理由は情けないし恥ずかしいので親には言っていない。
「……今日もいるかな……」
学校の帰りや休みの日。
いつも通っているカフェで、周はいつもキャラメルラテを注文する。そしていつもの席に座って大抵は本を読む。そしてそっと眺めるのだ。
とある店員を。
その店員はとても綺麗な人だった。魅力的でにこやかで優しげで。少し長めのショートヘアがよく似合っている女性。背がとても高いのでモデルでもしているのかと密かに思ったものだ。
周自体高くないがさほど低いという訳でもない。いや、正直に言うと中の下、くらいだろうか。その周よりはもちろん高かった。周の親友は本当に背が高く、その親友程の身長は間違いなく無さそうだとは言え、女性ならかなり長身の方だと思われた。
周はその店員に話しかける勇気はまったくなかった。自分の容姿くらいちゃんと把握している。別に不細工だとは流石に思っていないが、至って普通だと思っている。多分適当にその辺の人、数名に聞いたとしても十中八九は「普通」と返ってきそうだ。ただ、話しかけられなくても構わなかった。周はそっと見つめるだけで十分だった。
名前だけは知っている。英 瑞希(はなぶさ みずき)という名前のはずだ。男女とも共通している制服に付いている名札に書いてあった。
最初は英という字がなんて読むのか分からなかったが調べたらすぐに出てきた。珍しい名字なんだろうと思っていたら普通にある読みの名字なのだと知った。
そう。海外に行きたくなかった一番の理由はこれだった。
直接会話した事もない店員さんを見つめる事ができなくなるのは嫌なので日本に残ります。
いくらなんでもそんな事、言えない。
自分の情けなさに改めてそっとため息をつきつつ、周はまたこっそり瑞希を窺った。その時、ふと見ると周囲には同じように瑞希をちらちらと見つめる客がいる事に今さらながらに気付いた。それも自分と多分同じように頬を染めつつ。
当然だとは思う。
本当に店員さん、魅力的だし、仕方ないよ、ね……?
でも……、と周の中で黒い何かがふつふつと込み上げてきた。何故なのだろうか。普段の周ならすぐに諦めるか、やはりただ見ているだけで満足できたはずなのに、その時は違った。
一人占めしたい。
俺だけの人でいて欲しい。
一人暮らしをするようになったのは最近だ。もしかして解放感が妙な方向に行ってしまったのだろうか。周に湧いた黒い感情は一度湧いてしまうと燻り続け、消える事は無かった。
周はとりあえずゆったりとその場を過ごす。回転率を下げるのは他の店なら迷惑なのだろうが、ここではゆっくりする事に嫌な顔をしてくる店員はいなかった。コーヒーの美味しいカフェなので、一度飲んだ後にまた別のコーヒーを注文する客も少なくない。
周自身は苦いコーヒーが実は苦手でいつもキャラメルラテを飲んでいた。本当はキャラメルラテはコーヒーが売りのカフェでは邪道なんだろうけどと思いながらもゆっくりと飲んでいたラテが無くなってしまったので、もう一度同じものを注文した。
注文する時はいつも違う店員に言っていた。
できるのなら瑞希に声をかけたい。だが周にはちゃんと注文すらできそうになかった。
注文すると、いつも瑞希をこっそり見る為にだけ用意している本にまた目を落とす。そのまま周は瑞希が上がるまで時間をひたすら潰した。
今までもずっと見ていたくてだらだらと居た事は何度かある。なので特に怪しまれる事はないとは思いつつも、やはりよくない事を思っているからだろうか、周自身どこか落ち着かなかった。
もちろん先程からも述べているように話どころか注文すらした事がない。でもほぼ一目ぼれだった。とても好きだった。
とても好きだったから。
年上だろうと思われる彼女に振り向いてもらえなくてもどうにか独占したくてたまらなかったから。
周は頃合いを見て店を出た後もひたすら待ち伏せをした。幸い従業員出入り口側の通路はあまり人が通らない。なのでただひたすら、待った。
そして従業員出入り口から出てきたその人を強引に無理やり抱きしめた。
冷静に考えたら本当に馬鹿な事だと分かる行為だ。でも、あんなにひたすら待つ時間があったにも関わらずどうにかしたいという黒い欲求が消える事はなく、冷静になれないまま周はいきなり抱きついていた。
そして……。
そして?
周は茫然とする。
いや、本当なら茫然とするのは相手であろうし変質者のような事をしでかしてしまった周が茫然とするのはおかしい。
でも、と周はひたすら茫然とする。
抱きついた際に感じられたであろう柔らかな感覚が感じられない。ああ、小さい方なのかなと、とことん熱に浮かされておかしくなってしまっていた周はつい瑞希の胸に手をやった。そしてまた茫然とする。
平ら。
どう考えても感じても妄想しても、そこは平らだった。
周は驚いたように瑞希を見つめた。そしていつもよりも当然ものすごく近くにあるその綺麗な顔に対して反射的に真っ赤になり、そしてようやくハッとして手を、そして体を離した。
瑞希が無言のまま、怒ったような困ったような顔で周を見つめてくる。この時になって本当に周は我に返った。
口を利いた事もない、辛うじて店の客であろう者が待ち伏せしていきなり強引に抱きつくなんて、捕まっておかしくないんだよ、ね……? もしかして……俺はこの歳でムショ行きになってしまうんだろうか……?
諦めたようにガクリと座りこむ周を、だが驚いたことに咎めもせず、警察に付きだす事もせず、瑞希は無言で立ち去っていった。
何故なのだろうと思いつつも、周はその日からカフェに通う事を止めた。
あの店員さんはどうしているだろう、変わりないのだろうか、誰かに告白されたりなどされてないだろうか。
そんな風に考えながらもやはりカフェには近寄らなかった。
急遽決まった海外勤務に父親一人だと心もとなかった母親がついて行く事になった。子どもである周を一人にするよりもなお一人にするのが心もとない父親に苦笑しつつ、周は日本に残る事にした。高校一年になったばかりだったし今さら生活や学校を変えたくなかった。ちなみに英語が喋れないから面倒くさいのも本音だったりする。
だが一番の理由は情けないし恥ずかしいので親には言っていない。
「……今日もいるかな……」
学校の帰りや休みの日。
いつも通っているカフェで、周はいつもキャラメルラテを注文する。そしていつもの席に座って大抵は本を読む。そしてそっと眺めるのだ。
とある店員を。
その店員はとても綺麗な人だった。魅力的でにこやかで優しげで。少し長めのショートヘアがよく似合っている女性。背がとても高いのでモデルでもしているのかと密かに思ったものだ。
周自体高くないがさほど低いという訳でもない。いや、正直に言うと中の下、くらいだろうか。その周よりはもちろん高かった。周の親友は本当に背が高く、その親友程の身長は間違いなく無さそうだとは言え、女性ならかなり長身の方だと思われた。
周はその店員に話しかける勇気はまったくなかった。自分の容姿くらいちゃんと把握している。別に不細工だとは流石に思っていないが、至って普通だと思っている。多分適当にその辺の人、数名に聞いたとしても十中八九は「普通」と返ってきそうだ。ただ、話しかけられなくても構わなかった。周はそっと見つめるだけで十分だった。
名前だけは知っている。英 瑞希(はなぶさ みずき)という名前のはずだ。男女とも共通している制服に付いている名札に書いてあった。
最初は英という字がなんて読むのか分からなかったが調べたらすぐに出てきた。珍しい名字なんだろうと思っていたら普通にある読みの名字なのだと知った。
そう。海外に行きたくなかった一番の理由はこれだった。
直接会話した事もない店員さんを見つめる事ができなくなるのは嫌なので日本に残ります。
いくらなんでもそんな事、言えない。
自分の情けなさに改めてそっとため息をつきつつ、周はまたこっそり瑞希を窺った。その時、ふと見ると周囲には同じように瑞希をちらちらと見つめる客がいる事に今さらながらに気付いた。それも自分と多分同じように頬を染めつつ。
当然だとは思う。
本当に店員さん、魅力的だし、仕方ないよ、ね……?
でも……、と周の中で黒い何かがふつふつと込み上げてきた。何故なのだろうか。普段の周ならすぐに諦めるか、やはりただ見ているだけで満足できたはずなのに、その時は違った。
一人占めしたい。
俺だけの人でいて欲しい。
一人暮らしをするようになったのは最近だ。もしかして解放感が妙な方向に行ってしまったのだろうか。周に湧いた黒い感情は一度湧いてしまうと燻り続け、消える事は無かった。
周はとりあえずゆったりとその場を過ごす。回転率を下げるのは他の店なら迷惑なのだろうが、ここではゆっくりする事に嫌な顔をしてくる店員はいなかった。コーヒーの美味しいカフェなので、一度飲んだ後にまた別のコーヒーを注文する客も少なくない。
周自身は苦いコーヒーが実は苦手でいつもキャラメルラテを飲んでいた。本当はキャラメルラテはコーヒーが売りのカフェでは邪道なんだろうけどと思いながらもゆっくりと飲んでいたラテが無くなってしまったので、もう一度同じものを注文した。
注文する時はいつも違う店員に言っていた。
できるのなら瑞希に声をかけたい。だが周にはちゃんと注文すらできそうになかった。
注文すると、いつも瑞希をこっそり見る為にだけ用意している本にまた目を落とす。そのまま周は瑞希が上がるまで時間をひたすら潰した。
今までもずっと見ていたくてだらだらと居た事は何度かある。なので特に怪しまれる事はないとは思いつつも、やはりよくない事を思っているからだろうか、周自身どこか落ち着かなかった。
もちろん先程からも述べているように話どころか注文すらした事がない。でもほぼ一目ぼれだった。とても好きだった。
とても好きだったから。
年上だろうと思われる彼女に振り向いてもらえなくてもどうにか独占したくてたまらなかったから。
周は頃合いを見て店を出た後もひたすら待ち伏せをした。幸い従業員出入り口側の通路はあまり人が通らない。なのでただひたすら、待った。
そして従業員出入り口から出てきたその人を強引に無理やり抱きしめた。
冷静に考えたら本当に馬鹿な事だと分かる行為だ。でも、あんなにひたすら待つ時間があったにも関わらずどうにかしたいという黒い欲求が消える事はなく、冷静になれないまま周はいきなり抱きついていた。
そして……。
そして?
周は茫然とする。
いや、本当なら茫然とするのは相手であろうし変質者のような事をしでかしてしまった周が茫然とするのはおかしい。
でも、と周はひたすら茫然とする。
抱きついた際に感じられたであろう柔らかな感覚が感じられない。ああ、小さい方なのかなと、とことん熱に浮かされておかしくなってしまっていた周はつい瑞希の胸に手をやった。そしてまた茫然とする。
平ら。
どう考えても感じても妄想しても、そこは平らだった。
周は驚いたように瑞希を見つめた。そしていつもよりも当然ものすごく近くにあるその綺麗な顔に対して反射的に真っ赤になり、そしてようやくハッとして手を、そして体を離した。
瑞希が無言のまま、怒ったような困ったような顔で周を見つめてくる。この時になって本当に周は我に返った。
口を利いた事もない、辛うじて店の客であろう者が待ち伏せしていきなり強引に抱きつくなんて、捕まっておかしくないんだよ、ね……? もしかして……俺はこの歳でムショ行きになってしまうんだろうか……?
諦めたようにガクリと座りこむ周を、だが驚いたことに咎めもせず、警察に付きだす事もせず、瑞希は無言で立ち去っていった。
何故なのだろうと思いつつも、周はその日からカフェに通う事を止めた。
あの店員さんはどうしているだろう、変わりないのだろうか、誰かに告白されたりなどされてないだろうか。
そんな風に考えながらもやはりカフェには近寄らなかった。
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