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39話
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あの日、氷聖と一緒にいた和颯は向こう側を歩いている凪を見つけた。氷聖も同じように見つけ、二人とも凪が大好きだったから声をかけた。
「ナギ」
そう呼びかけたことをあれほど後悔したことはない。
呼ばれて気づいた凪は、いつも偉そうなくせに相変わらず嬉しそうな顔を隠そうともせず、和颯たちの元へ駆けつけてきた。
いや、駆けつけるはずだった。
和颯が、そして氷聖が凪が周りをよく見ていなかったのもある。そしてその車は少しだけわき見運転をしていた。
その瞬間がスローモーションになるというのを聞いたことあるが、本当にゆっくりと時間が進んだように思えた。小さな凪の体がゴムボールのように跳ねあがり、地面へ叩きつけられる動きは何故かとてもゆっくりだった。それを目の当たりにし、和颯も氷聖も泣くことすら忘れただ呆然と突っ立っていた。
凪は生きているのが奇跡だと言われるほど、全身打ちつける重傷だった。小さな和颯たちには想像もつかないほどの長い時間、手術室に入って出てこなかった。
和颯も氷聖も親に会った途端ひたすら泣き出した。怖くて堪らなかった。大好きな凪が見たことないような、真っ赤でよくわからない状態になって動かないところが後になっても夢にまで出てきた。
その後、何とか無事だったとわかっても、和颯と氷聖は中々会わせてもらえなかった。後で知ったが、手術が成功しても凪の意識がはっきりするのに時間がかかったのと、暫くの間は子どもにとって見ていられないような痛々しい状態だったかららしい。
ようやく会えた時の凪ですら、今にもまた動かなくなってしまいそうだった。和颯はやはり怖くて堪らなかったし、氷聖も同じく怖くて堪らない様子だった。
ただでさえ病弱だった凪が、事故で本当に自分たちの元からいなくなってしまいそうで耐え難かったかった。ただ、凪は「この俺がこんな怪我ぐらいでどうにかなるわけないだろ」と相変わらず偉そうに笑っていた。
和颯は本当に凪が好きだった。なのに自分のせいであんな目に合わせてしまったことが恐ろしく、そして辛かった。
自分のせいで事故が起きた。なら自分は凪の側にいない方がいい。そう思った。
離れたところでそっと見守ればいい。そうすれば本当に助けがいる時は助けられるだろうし、自分が凪を大変な目に合わすこともないだろうと子ども心に思えた。
一方氷聖は違う風に思ったようだ。自分のせいで怪我を負わせてしまったのだから、近くでずっと守っていかなくてはと和颯にも言ってきた。
それぞれ責任を感じていたが、それぞれが守ろうと思う方法は違った。それでいいと和颯は思えたし、実際そのように実行した。
離れていれば、もし氷聖自身が凪を危ない目に合わせることがあったとしても見えやすいかもしれない。防ぎやすいかもしれない。逆に和颯が離れている分、近くにいないとわからないようなことは氷聖がわかるだろう、と。
あれほど病弱だった凪は、その後だんだん病気をしなくなっていった。真面目で負けず嫌いなところもあるからか剣道を始め、自分をちゃんと鍛えていった。
高校生になる頃には凪を守る必要など何一つなさそうに思えたが、三つ子の魂何とやらだろうか。相変わらず和颯も氷聖も凪をずっと見守っている。
氷聖も何考えているかわからない性格だし、和颯も凪に基本近寄らないので、俺様な凪は自分が見守られているなんて知らないだろうと和颯は思っていた。
「でも何か感じるものはあるみたいでさー。まあ俺が頻繁に側にいるからかもだけどー。たまに『俺は病弱だった頃の俺じゃない』とか言われたりもするよ」
和颯が学習同好会として使用している教室で、氷聖がそんなことを言っていた。
ただ、嫌いになったから離れていると凪に思われているとまでは和颯も考えていなかったし、凪はただ単に和颯の態度が気にくわなくて和颯から離れて行ったのだと思っていた。
まあ確かにいきなり近寄らないようになれば嫌いになったからからだろうかと思うのかもだな。
凪に睨まれながら言われて、和颯は思う。
「馬鹿とは何だ! お前はじゃあ性悪だ。いいからどけよ!」
腹立たしそうに和颯を睨みつけてくる凪など、怖くも何ともない。
「馬鹿だから馬鹿と言って何が悪い? 俺がいつ、お前を嫌いだと言った」
淡々と言えば、ますます凪は腹立て噛みつくように言い返してきた。
「言ってるようなもんだろうが! 俺をよく無視するし近寄らなくなったし、だいたい他のヤツにも俺とは性格が合わないとか言ってるだろうが!」
「それは嫌いという意味になるのか?」
和颯は指で凪の唇をなぞった。
「クソ! 触んな! なるだろが、どう考えてもなるだろが!」
「だからお前は馬鹿だっていうんだ」
少し小馬鹿にするように言うと、凪はさらに怒りで目をぎらつかせている。
本当に感情にストレートなヤツだな。
和颯はそっと笑った。
家柄もいい、顔もスタイルもいい。そして勉強もスポーツも何でもできる。そんな凪はいつでも基本的に余裕だし、偉そうにしていても誰もがそれを当然だと思っている。
だが凪が偉そうなのは元々の性格もあるものの、自分でそれだけ努力し前へ進んでいるという自信がそうさせているからだ。決して見た目や頭脳にうぬぼれてではない。
ただ実際見た目も中身も優れているので、周りは凪のそういう部分に気づきにくい。だから凪はただひたすら俺様な性格なのだと思われている。
お前の真面目で努力家で、そしてまっすぐな自信家なところ、全然変わらないな。
和颯は腹立てている凪の唇を舐める。今度は抵抗してこようとしても妨害できないように腕を押さえ込んだ。暴れようとしているのがわかるが、しょせん上にいる方が優勢だし、和颯は運動部に入っていないが体はしっかり鍛えている。
氷聖が言っていたが、和颯のそういった部分も凪は腹立たしいらしい。
「カズ、運動能力も高いし頭もいいだろ。なのに中途半端な同好会を立ちあげただけでそれを部に昇格しようともせずのらりくらりじゃない。それが理解できないって言ってたよ」
むしろ似たもの同士だからだろうか、馬が合わないとばかりに基本的に普段一緒にいることがない氷聖と何故凪の話をしているかというと、たまにあの同好会の教室であえて会っているからだ。凪について話したりしている内にできた、暗黙の了解的な取り決めすらある。
まあヒサがナギにやらかしてる悪戯までは知らなかったが、な……?
だがそれを知って、むしろ今からやろうとしていることに対して、献身的に凪のそばにいる氷聖に全く罪悪感が湧かないからよしとする。
理解できないらしいと言われた時は、馬鹿らしいとばかりに氷聖に言い返した。
「それを言うならお前も適当だろうが」
氷聖こそ体も鍛えているわりに体育の授業もそつなくこなすものの適当だし、凪がやっている剣道部に何をするでもなく顔を出す。要は、何もしていないのにいる。
「俺もよく呆れられてるよー。でもまあ部活なんてしてたら自由に凪見てられないしねえ」
「……あいつはあいつが言っているように確かにもう病弱でもないし、お前がそうやってそばについている必要なんてあまり無いんじゃないのか」
「その俺にこうして凪のことを話させるお前がそれを言うわけ?」
「だがあいつの性格からすると、隠れて何かされてるようで気に食わないんじゃないのか」
「ナギはそうだよねえ! でも別に俺隠れてないよ。ナギにもあからさまにくっついてるだろ。お前はほら、既に犬猿の仲だからいいじゃない」
「楽しそうに言うな」
そんな話をしたのを思い出し、自分の下で腹立てながら何とか逃れようとしている凪を内心楽しげに見た。
「だから馬鹿じゃねえっつってんだろが! 離せ……っ」
「剣道で鍛えてるんじゃないのか?」
「うるせぇ……! クソ」
凪はまた和颯を思いきり睨みつけてきた。
確かにもう、病弱なナギじゃないものな……?
和颯は口元を綻ばせると凪の耳元に顔を近づけた。
「俺は一度もお前を嫌いだと思ったことないぞ……」
囁くと凪が驚いたような顔で和颯を見てきた。
「馬鹿で鬱陶しいと思うことはあるが、な」
その後にニッコリつけ足すと「このやろう」とまた睨みつけてきた。和颯は凪のその口を自分の口で塞いだ。
「ナギ」
そう呼びかけたことをあれほど後悔したことはない。
呼ばれて気づいた凪は、いつも偉そうなくせに相変わらず嬉しそうな顔を隠そうともせず、和颯たちの元へ駆けつけてきた。
いや、駆けつけるはずだった。
和颯が、そして氷聖が凪が周りをよく見ていなかったのもある。そしてその車は少しだけわき見運転をしていた。
その瞬間がスローモーションになるというのを聞いたことあるが、本当にゆっくりと時間が進んだように思えた。小さな凪の体がゴムボールのように跳ねあがり、地面へ叩きつけられる動きは何故かとてもゆっくりだった。それを目の当たりにし、和颯も氷聖も泣くことすら忘れただ呆然と突っ立っていた。
凪は生きているのが奇跡だと言われるほど、全身打ちつける重傷だった。小さな和颯たちには想像もつかないほどの長い時間、手術室に入って出てこなかった。
和颯も氷聖も親に会った途端ひたすら泣き出した。怖くて堪らなかった。大好きな凪が見たことないような、真っ赤でよくわからない状態になって動かないところが後になっても夢にまで出てきた。
その後、何とか無事だったとわかっても、和颯と氷聖は中々会わせてもらえなかった。後で知ったが、手術が成功しても凪の意識がはっきりするのに時間がかかったのと、暫くの間は子どもにとって見ていられないような痛々しい状態だったかららしい。
ようやく会えた時の凪ですら、今にもまた動かなくなってしまいそうだった。和颯はやはり怖くて堪らなかったし、氷聖も同じく怖くて堪らない様子だった。
ただでさえ病弱だった凪が、事故で本当に自分たちの元からいなくなってしまいそうで耐え難かったかった。ただ、凪は「この俺がこんな怪我ぐらいでどうにかなるわけないだろ」と相変わらず偉そうに笑っていた。
和颯は本当に凪が好きだった。なのに自分のせいであんな目に合わせてしまったことが恐ろしく、そして辛かった。
自分のせいで事故が起きた。なら自分は凪の側にいない方がいい。そう思った。
離れたところでそっと見守ればいい。そうすれば本当に助けがいる時は助けられるだろうし、自分が凪を大変な目に合わすこともないだろうと子ども心に思えた。
一方氷聖は違う風に思ったようだ。自分のせいで怪我を負わせてしまったのだから、近くでずっと守っていかなくてはと和颯にも言ってきた。
それぞれ責任を感じていたが、それぞれが守ろうと思う方法は違った。それでいいと和颯は思えたし、実際そのように実行した。
離れていれば、もし氷聖自身が凪を危ない目に合わせることがあったとしても見えやすいかもしれない。防ぎやすいかもしれない。逆に和颯が離れている分、近くにいないとわからないようなことは氷聖がわかるだろう、と。
あれほど病弱だった凪は、その後だんだん病気をしなくなっていった。真面目で負けず嫌いなところもあるからか剣道を始め、自分をちゃんと鍛えていった。
高校生になる頃には凪を守る必要など何一つなさそうに思えたが、三つ子の魂何とやらだろうか。相変わらず和颯も氷聖も凪をずっと見守っている。
氷聖も何考えているかわからない性格だし、和颯も凪に基本近寄らないので、俺様な凪は自分が見守られているなんて知らないだろうと和颯は思っていた。
「でも何か感じるものはあるみたいでさー。まあ俺が頻繁に側にいるからかもだけどー。たまに『俺は病弱だった頃の俺じゃない』とか言われたりもするよ」
和颯が学習同好会として使用している教室で、氷聖がそんなことを言っていた。
ただ、嫌いになったから離れていると凪に思われているとまでは和颯も考えていなかったし、凪はただ単に和颯の態度が気にくわなくて和颯から離れて行ったのだと思っていた。
まあ確かにいきなり近寄らないようになれば嫌いになったからからだろうかと思うのかもだな。
凪に睨まれながら言われて、和颯は思う。
「馬鹿とは何だ! お前はじゃあ性悪だ。いいからどけよ!」
腹立たしそうに和颯を睨みつけてくる凪など、怖くも何ともない。
「馬鹿だから馬鹿と言って何が悪い? 俺がいつ、お前を嫌いだと言った」
淡々と言えば、ますます凪は腹立て噛みつくように言い返してきた。
「言ってるようなもんだろうが! 俺をよく無視するし近寄らなくなったし、だいたい他のヤツにも俺とは性格が合わないとか言ってるだろうが!」
「それは嫌いという意味になるのか?」
和颯は指で凪の唇をなぞった。
「クソ! 触んな! なるだろが、どう考えてもなるだろが!」
「だからお前は馬鹿だっていうんだ」
少し小馬鹿にするように言うと、凪はさらに怒りで目をぎらつかせている。
本当に感情にストレートなヤツだな。
和颯はそっと笑った。
家柄もいい、顔もスタイルもいい。そして勉強もスポーツも何でもできる。そんな凪はいつでも基本的に余裕だし、偉そうにしていても誰もがそれを当然だと思っている。
だが凪が偉そうなのは元々の性格もあるものの、自分でそれだけ努力し前へ進んでいるという自信がそうさせているからだ。決して見た目や頭脳にうぬぼれてではない。
ただ実際見た目も中身も優れているので、周りは凪のそういう部分に気づきにくい。だから凪はただひたすら俺様な性格なのだと思われている。
お前の真面目で努力家で、そしてまっすぐな自信家なところ、全然変わらないな。
和颯は腹立てている凪の唇を舐める。今度は抵抗してこようとしても妨害できないように腕を押さえ込んだ。暴れようとしているのがわかるが、しょせん上にいる方が優勢だし、和颯は運動部に入っていないが体はしっかり鍛えている。
氷聖が言っていたが、和颯のそういった部分も凪は腹立たしいらしい。
「カズ、運動能力も高いし頭もいいだろ。なのに中途半端な同好会を立ちあげただけでそれを部に昇格しようともせずのらりくらりじゃない。それが理解できないって言ってたよ」
むしろ似たもの同士だからだろうか、馬が合わないとばかりに基本的に普段一緒にいることがない氷聖と何故凪の話をしているかというと、たまにあの同好会の教室であえて会っているからだ。凪について話したりしている内にできた、暗黙の了解的な取り決めすらある。
まあヒサがナギにやらかしてる悪戯までは知らなかったが、な……?
だがそれを知って、むしろ今からやろうとしていることに対して、献身的に凪のそばにいる氷聖に全く罪悪感が湧かないからよしとする。
理解できないらしいと言われた時は、馬鹿らしいとばかりに氷聖に言い返した。
「それを言うならお前も適当だろうが」
氷聖こそ体も鍛えているわりに体育の授業もそつなくこなすものの適当だし、凪がやっている剣道部に何をするでもなく顔を出す。要は、何もしていないのにいる。
「俺もよく呆れられてるよー。でもまあ部活なんてしてたら自由に凪見てられないしねえ」
「……あいつはあいつが言っているように確かにもう病弱でもないし、お前がそうやってそばについている必要なんてあまり無いんじゃないのか」
「その俺にこうして凪のことを話させるお前がそれを言うわけ?」
「だがあいつの性格からすると、隠れて何かされてるようで気に食わないんじゃないのか」
「ナギはそうだよねえ! でも別に俺隠れてないよ。ナギにもあからさまにくっついてるだろ。お前はほら、既に犬猿の仲だからいいじゃない」
「楽しそうに言うな」
そんな話をしたのを思い出し、自分の下で腹立てながら何とか逃れようとしている凪を内心楽しげに見た。
「だから馬鹿じゃねえっつってんだろが! 離せ……っ」
「剣道で鍛えてるんじゃないのか?」
「うるせぇ……! クソ」
凪はまた和颯を思いきり睨みつけてきた。
確かにもう、病弱なナギじゃないものな……?
和颯は口元を綻ばせると凪の耳元に顔を近づけた。
「俺は一度もお前を嫌いだと思ったことないぞ……」
囁くと凪が驚いたような顔で和颯を見てきた。
「馬鹿で鬱陶しいと思うことはあるが、な」
その後にニッコリつけ足すと「このやろう」とまた睨みつけてきた。和颯は凪のその口を自分の口で塞いだ。
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