Eternal traveler

西崎 劉

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第一幕

二 森の博物館

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 町を少し外れた所に、森の博物館と呼ばれる屋敷がポツリとある。
高い石塀と幅のかなりある堀を越えた向こうに、ほぼ円形に広がる小さな森がある。
その中に埋もれる様にして、その屋敷がこじんまりと存在するのだ。
 屋敷に来るまでに獣道に近い細道が、森の入口付近に数十本あり、その中の一本が屋敷に通じている。
他は沼に通じていたり、ぐるぐる一本繋がっていたりとまあ厄介で、この屋敷を作った当主がかなり偏屈…いや、悪戯好きだったと、こう説明しておこうか。
 門を潜ると、博物館と呼ばれる様になった由来であるいろんな石の彫刻が庭に無造作に置いてあり、それが何故かそう違和感がない。
 彫刻といってもそう豪勢なものではなく、自然界の鳥や動物などが主で、それらが色々な木々の根元に息づく様にひっそりと置いてある。
 少女が青年を伴ってこの森の博物館と呼ばれる屋敷に来て、そろそろ十年になる。
それまでは、町の雑貨屋でアルバイトなどをして生計を立てていたが、ヒョンなことからその屋敷の夫婦に気に入られ、あれよあれよという間に、養女と養子になってしまった。
世間では偏屈ババアだの頑固ジジイだのさんざんな噂がたっていたが、少女と青年にとっては優しい養父母だった。
 少女は、養女になる様に進められた時、自分がこの屋敷にいれば迷惑がかかると言い募ったが、当時養父は笑って言った。「どんな人間だって構わない。特異体質?そんなモノで人間性が判るかね。儂はお前さんが側にいて、とびっきりの笑顔で笑っていてもらえるだけでいいのだ。一つわしら夫婦の願いを聞いてくれないかね」そういって、殆ど泣き落としで説得したのだ。
 少女と青年は、その日から彼らの子供となり、今まで生きてきた中で一番穏やかで平和な時を過ごした。
そして、一昨年の秋、養母が眠る様に無くなり、去年、青年に全てを譲る遺言状を残すと、後を追う様に養父が無くなった。
 今は屋敷で少女と青年、二人きりの生活をしている。町の人々が二人の存在すら忘れるほどひっそりと暮らしている。今は家族が一人増え、三人暮らしとなったが、まだ弟となった、スティンはやっとつかまり立ちが出来るようになったばかりの幼児だ。

 

「『オド』が強い……」
 青年“イシュタル”は、それがどうしても不思議だった。
特に力がある訳ではない。
特別な事が出来る訳でもない。
ある事を覗けば、どこにでもいる普通の少女だと思っている。
 彼女はとても歌が旨かった。
それを知ったのは、まだ定住する場所も無く、イシュタルを連れて町から町へと移動していた頃だ。生活の糧を得るため、町に着くと彼女は歌を歌う。
それも、歌うのは決まって夜で、一枚の布を歌う場所に敷くと、唐突に歌いだすのだ。
 知らない歌詞だ。
遠い遠い国の歌だ。
初めは怪訝そうに遠巻きに見ていた人達も、いつの間にか彼女の歌に引き込まれ、泣き出す者がいた。
ある者は遠く離れた故郷を思い、ある者は今はいない連れ合いを思い、静かに静かに涙する。
そうして、幾ばくかの金子を彼女に与えた。そういう毎日が続いていた。
 見ていた限りでは歌が旨い。
ただそれだけだと思っていた。
だから、寿命の長い自分は、寿命の短い彼女から、どうせ取り残されるものだと思っていた。
必要以上に好意を寄せると、失った時が辛いから、彼女に距離を置こうと思っていたのだ。
 しかし、彼女は未だに五才なのだ。
 彼に手を差し延べ、その手を初めて取った時と全く変わらない。変わらない優しさ、変わらない温もりをイシュタルに与え、透明な声で囁き続ける。それがじわじわ凍りついた心を溶かし、イシュタルに笑う事を教えた。
「にいさま?」
 月夜の明かりの下、少女が微笑む。
「……マーナ……」
 困った様に笑い返し、首を振った。
『オド』とは生体エネルギーを意味する。
今は殆ど血液中に強いオドを持つ人間はいない。
再生能力が強いと言われる人狼でも、オドは人間より少し強い程度なのだ。生命力溢れた貴重な人間。
希有といってよいほど、とても少ない。
昔は多かったに違いないと誰かがいった。イシュタルの今は亡き実父だったか。
「オドは我等に力を与える」そう言っていた。
 しかし、今の人間にはオドは申し訳程度にしか宿っていない。だからオドが生きる糧である彼らは、オドを摂取するため毎晩の様に吸血する。
おかげで吸血鬼狩りなどというものが頻繁にあり、教会とも対立した。
 イシュタルもマーナに出会う前まで、同じ理由で教会やハンター達と攻防戦を繰り返し、その結果、怪我がもとで死にかけたのだ。
そんな時マーナに出会った。
マーナは躊躇うイシュタルに自分の血を与え、彼を匿った。
マーナに血を分け与えて貰った幾ばくか後、不思議な事に気付く。
普通だったら血の飢え…喉の渇きはすぐやってくるはずなのに、飢えが来たのは、半年以上も後だったのだ。
それも飢餓状態ではなく、喉が乾いたかな…という状態で。
それだけではない。真夏でさえなければ、昼間でも帽子だけで歩けるほどに、イシュタルに力を与える。
それがオド『生体エネルギー』の強さだと気付いたのは何時だったか。
…こんな強いオドを持つ人間がいるだなんて誰からも聞いた事が無かった。
…それも、自分の時を留めたままの人間だなんて。
(マーナのおかげで生きて来れた)
 膝に懐いて自分を見上げる黒い瞳を見つめながらふわりと微笑んだ。
「……マーナ……」
 イシュタルを不思議そうに見上げながら、小首を傾げ、小さな手で彼の頬を触れる。
「……イシュタル、どうしたの?」
(マーナのお陰で光を恐れず外を歩ける)
 暖かな血の通った小さな手。繊細で透明な声。
「なんでもない。ただ、月が…綺麗だなって」
(あの時、マーナが居なかったら、わたしはどうなったのだろう……)
 マーナの柔らかな黒髪を手で梳きながら、自分の考えに耽る。
(……この先、彼女を失ったら、わたしはどうなるだろう……)
 少し想像した。
それだけで血の気がひいた。
足元はグラグラし、まるで目隠ししたまま綱渡りをする様だ。手が震えたのだろう。
髪を梳くイシュタルの手を取り、マーナが心配そうな表情で、そっと見上げた。
 泣きそうな顔でもしていたのだろうか。
マーナはイシュタルの側に立つと、彼の頭を小さなその胸に抱いてそっと囁く。
「……マーナは、イシュタルをおいて行かない。イシュタルがマーナをおいて行く事はあっても、その逆は無いわよ」
 幼い子をあやす様な声音でマーナは語りかける。
小さな胸からそっと顔を彼が上げた時、そこにはいつもの微笑があった。
暖かな優しい包み込む様な微笑。
影に隠れたエッセンスほどの悲哀。
その理由はイシュタルは知らない。
彼の耳に、トクン、トクンと、マーナの鼓動が子守歌の様に響く。
 マーナはイシュタルの過去を知っているが、イシュタルはマーナの過去を知らない。
本当はいくつなのかも知らない。
 マーナは可愛い。
イシュタルが昼間、静かに書斎で本を読んでいる時、マーナは屋敷を包んでいる森に住む、野鳥達と庭で遊ぶ。
軽いステップを踏みながら、庭の薔薇の世話をしながら、類稀なるその声を震わせ、遠い遠い国の歌を歌う。
誰も知らない過去を歌う。
 深い色の瞳が映すイシュタルの顔には涙があった。
まだこの屋敷に来る前に、彼はマーナに一度だけ聞いた事がある。
マーナの月色の肌も、顔だちも、この国の民とは微妙に異なるモノだったから。
その事について、マーナは困った様に笑い、「東」とだけ答えた。
 指は遙か彼方、海のある方向を差していた。
 イシュタルはそれで十分だと思った。
今は幸せだから。
誰もこの静けさを破る者がいない事を知っているから。
彼女がいて、自分がいる。
住む場所があって……もし、生きておられたら、世間に頑固とか偏屈とか言われた養父や養母が側にいてくれたらいい。
「イシュタル……にいさま、どうしたの?」
 小さな手で包む様にして彼の顔を覗き込む。
「喉が乾いたの?遠慮してたの?」
 小首を傾げて片方の手でイシュタルの涙を拭ってやる。
「にいさま、駄目よ?貧血起こすわよ」
 メッといわないばかりにじっと上目遣いにイシュタルを見つめる。
確かに喉は渇いていた。
狂おしいほどでは無いにしても。
しかし、白い幼い喉に牙を立てるのは躊躇われる。時々夢に見る。
柔らかなその喉に牙をたて、皮膚を破いた時、その真紅の命が飛び散り、イシュタルの唇をその色で染め、喉を潤す。
甘美な香りと極上の味覚と共に訪れる恍惚とさせるその瞬間。同時に想像する。
そのせいでマーナが消えてしまったら……そして、失って慟哭する自分を。
冷たく固い肌、永久に開かない瞳。
イシュタルは顔を振り否定する。
 琥珀の瞳から涙が溢れ、雫を散らした。
「……違う……何でもない」
 マーナはしばらくイシュタルを見ていたが、指折り何かを確認すると、
「……そう?じゃあ、わたしの記憶違いだったのかしら」
 クスッと笑ってイシュタルの膝の上によじ登る。少女が動く度に、花の香りが漂った。
 庭に咲いてる金木犀だ。
「……ばかね。強情なんだから……」
黒髪がさらりと流れて白くて華奢な首筋がイシュタルの目の前に現れる。
その首筋が彼の唇に触れた。
彼は抵抗するかの様に震えていたが、末は誘導されたかの様に、片手でマーナの身体を支えつつ、彼女の喉に牙を立てた。
スッと赤い筋が頬を横切る。マーナは、じっと月を見ていた。首筋にイシュタルの唇と吐息を感じながら、彼の喉が潤うのを待つかの様に月を見ていた。

「にいさまーっ!見てみて、綺麗な薔薇」
 マーナが大輪の薔薇を指し示し嬉しそうに手を振っている。首には包帯が巻いてあった。
 二三日で取れると判ってはいたが、妙に痛々しい。気分が重いのは、欲求に負けて吸血したその日から包帯が取れるまでの三日間だ。
(可愛い可愛いマーナ)
 心の中で距離を置くつもりだった。
しかしそれは無駄だと悟る。彼女は自分と種族を異にした人間だ。
でも、それはもう今では関係ない。
彼女あっての自分だった。
彼女無くしては生きていけない。
 無邪気で、不思議で、とても温かい。
 眩しいばかりの笑顔を今は彼だけに向けて懸命に手を振る。イシュタルは手を振って返すと、帽子を被って彼女の側に立った。
(マーナ、わたしの小さな天使)
 薔薇を数本手にした彼女に、極上の笑顔を向ける。
そっとマーナの頬に接吻し、抱え上げた。
「今日は何処を見て回ります?」
「ターナとミネバにこのお花をあげるの」
 庭の隅に二つ仲良く並んだ墓石がある。
二人が敬愛してやまない彼らが眠る場所だ。
「安息をわたし達に与えてくれた彼らに心からの感謝を込めて」
それは、穏やかな昼下がりの午後の一コマだった。
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