サンタの願いと贈り物

紅茶風味

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【葵編】6話-2

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 急かされながら準備をし、兄のマンションを出た。三上は近くの駐車場まで速足で行くと、鍵を開けて無言で運転席に乗りこむ。二人で迷って顔を合わせ、後部座席に座った。

「三十分ほどで着く」

 短く言い、エンジンをかけて車を発進させる。

「あの、どこに行くんですか。会わせたい人って、誰ですか?」

 シートベルトを締め、身を乗り出して兄が聞くと、あぁ、と思い出したかのように言った。

「日野りんの御両親だ」
「え!?」

 驚いて兄が声を上げ、硬直した。俺も驚いたが、そわそわと忙しなく動き出す兄を見ていたら段々と冷静になっていった。

「ど、どうしよう、そんな急に。思い切り普段着で来ちゃったぞ」
「兄ちゃん落ち着いて。俺なんてスウェットだから」
「あ! 菓子折りかなんか持って行ったほうが良くないですか!?」

 車がゆっくりと停車した。赤信号だ。

「何も気にしなくていい」

 運転席から、後頭部を見せたまま三上が言う。

「でも……」
「何も知らせずに君達を連れていくことは、先方にも伝えてある。畏まれるのも申し訳ないから、その方が良いとも言ってくれている」

 ほっとする兄の顔を見て、運転席に視線を向けた。

「ひのりんの両親って、娘がなんで死んじゃったか知ってるんですよね」
「あぁ、知っている。だが、君のことは恨んではいない」
「……ホントかよ」
「会ってみれば分かる」

 車が再び発進した。それ以上は兄も三上も喋らず、俺も黙ってシートに背中を預けた。ぼんやりと流れる景色を眺めていると、隣から緊張した空気が漂ってきて、見れば兄の顔が青ざめていた。

「着いたぞ。先に降りなさい」

 そこは、小高い丘にある一軒家だった。周囲に店はなく、自分達の家と同じく住宅地だが、隣家との隙間が程よく保たれ開放的だ。移動中、方角など意識していなかったが、車で三十分移動しただけでこうも街並みが変わるものか、と周囲を見回した。

「兄ちゃん、大丈夫?」

 兄が青白い顔をして車から出てきた。

「酔ったの? それとも、緊張で吐きそうなの?」
「分かり切ったこと聞くな……」

 家の前の広いスペースに車を停めると、三上もそこから降りてきた。そのまま玄関に近づいていき、チャイムを押す。はい、という女の声が機械越しに聞こえ、少しばかり緊張した。

 ほどなくして、玄関の扉が開いた。そこから顔を覗かせたのは、おそらく六十歳前後の女性だった。髪は綺麗に染められて、短く切りそろえられている。三上に向けて人の好い笑顔を見せると、後方にいる俺達に視線を移動させる。

「お待ちしてました、中へどうぞ」

 導かれるままに中へと入り、靴を脱ぎ、スリッパを借りて廊下を歩く。居間と思わしき部屋の前で、男性が立っていた。

「主人です」

 女性が言い、男性が頭を下げる。

「今日は遠いところ、有難うございます。りんの父です」
「申し遅れました、りんの母です」

 廊下で突然始まった挨拶に狼狽えながら、「篠原淳平です」と言う兄に倣い、「葵です」と続けた。

 男性が部屋の扉を開けた。居間だと思っていたそこは、広い寝室だった。明るい日差しが窓から差し込み、一部分を照らしている。その明りから少し離れた場所にベッドが置かれていた。目を瞑って横たわっている姿に、咄嗟に息をのむ。

「娘です」

 優しい声音で、男性が言った。その言葉に驚いて動けず、扉の前でただ立ち尽くした。同じように動けないでいる兄が、ベッドに視線を向けたまま僅かに息を吐いた。

「昏睡状態だそうだ。この十二年間、一度も目が覚めていない」

 三上が言った。

「どうかご両親を責めないで欲しい。彼女がこのような状態になって、君達兄弟の将来を縛り付けてしまうのではないかと危惧された故だ。今回、葵君がサンタクロースの道を進むと決め、それならばと相談して君達に」

 言い終わるよりも前に、兄が部屋に足を踏み入れた。一歩、一歩と導かれるようにベッドへと近づき、眠っている顔を覗き込む。

「兄ちゃん……」
「あなたも、どうぞ」

 女性に促され、俺も部屋に入った。ベッド以外には何もない、シンプルな部屋だ。真っすぐに進み、その顔を見る。日野だ。幼い頃の記憶と一致するわけではないけれど、目を閉じた穏やかな表情が、当時の暖かさを蘇らせる。

 俯いたままの兄を見た。ぽたりと白いシーツに雫が落ちる。俺のいる位置から顔は見えず、ただ落ちていく涙の数が増えていく。次第に身体が傾き、そのままベッドに縋るように膝を折った。くぐもった声が微かに漏れ聞こえ、その様子を見て自分の喉奥にも感情が込み上げてくるのを感じた。

「お二人に、これを」

 男性がどこからか、紙袋を持ってきた。中から透明なセロハンに柄の付いた袋を取り出す。それを見て、頭の中に一気に記憶が流れ込んできた。

「あの日、りんが持っていたものです。外の紙袋は汚れてしまっていましたが、中身は無事でした。メッセージカードに、淳平さんの名前が……」
「兄ちゃん、これ……っ」

 ベッドにうつ伏せたままの兄に声を上げた。肩を掴んで無理やり起こせば、涙で濡れた顔が下を向いたまま持ち上がる。

 男性の手から袋を受け取り、兄の視界に移動させた。

「誕生日プレゼントだよ、よかった、あったんだ。兄ちゃんの為に作ったんだよ、これ。ひのりんがマフラー編んで、俺がバッジ作ったの、フェルトのやつ。よかった、兄ちゃんにだよ」

 興奮気味に言えば、兄の手がそれに伸びた。袋の中には小さなメッセージカードが入っており、丸みのある可愛らしい字で『淳平くん。これからもよろしくね』とクマの絵柄の吹き出しに書いてある。指先がそれをなぞり、震えたと思えば、ぎゅっと袋を掴んで抱きしめた。

 兄はいよいよ泣き崩れ、嗚咽を漏らした。しゃがんでその肩に触れる。ハンカチを渡そうといつもの癖で手を差し出し、生み出す直前で思いとどまった。

 今は、この力を使うのはやめておこう。そう思い、肩に置いている手にぐっと力を込めた。
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