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ボトルの中に
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秋も半ばというのに日差しの強い午後。
玄関に二つのランドセルがきちんと並んでいます。
廊下を進んだ突き当たりの部屋、リナとチカはテーブルに身を乗り出して囁き合いました。
「明日で引っ越しちゃうとは思えないね」
「うん、サユミさん、お片づけこれからなのかなあ」
二つの頭がぐるりと部屋を見渡します。中央のテーブル、隅に置かれたベッド、壁に掛けられたどこかの湖の写真。サユミさんの部屋は、毎日のように遊びに来ていた夏休みの間から今日まで、少しも変わらないのでした。
「その写真が気になる?」
部屋に戻ってきたサユミさんの声で、二人は慌てて行儀よく座り直します。ふわりと微笑んだサユミさんが、三つのコップと一本のボトルをテーブルの上に置くと、ガラスの触れ合う澄んだ音がしました。リナとチカは再びテーブルに身を乗り出して、ボトルを見つめます。
無色透明なガラスのボトル。パパやママが飲むワインの入れ物に似ているけれど、サユミさんが入れているのは、お水です。お家へ来るたびに何度も目にしていたけれど、いつだって見つめずにはいられないのでした。中に浮かんでいる植物のせいかもしれません。ボトルの口へ向かって真っ直ぐに伸びるそれは、深い緑色をしていて、小さく細いたくさんの葉をつけていました。生い茂る葉っぱに埋もれるように、さらに小さな白い花がいくつも見え隠れしています。
「水の泡みたい」
リナがため息をつくと、サユミさんはまたふわりと笑い、壁にかかった一枚の写真を外しました。
「北の土地、湖のそばで育つ植物よ。私の育ったところ」
「サユミさんは、そこへ帰るの?」
尋ねたチカに、サユミさんはこくりとうなずき返します。
「もっと一緒に遊びたかったなあ」
リナがつぶやきました。
「ごめんね、帰らなきゃいけないって約束なのよ」
「仕方ないよ。私もママとパパとの約束は破れないもの。はい、これ、ウチのママから」
チカは母親が持たせてくれたお菓子を手渡します。ありがとうと受け取ったサユミさんは、ボトルの水をコップに注ぎました。その水は口にするといつも少し甘くて、それでいて頭がスッキリして、心の余白が広がるような味がするのです。
お水とお菓子を囲んで、三人はしばらくおしゃべりを続けていました。
「サユミさん、お水がずいぶん少なくなってるよ」
ふいにリナが口にします。これまで何度も同じ時間を過ごしていたけれど、気づいたのは初めて。ボトルの中はいつだって満たされていたのでした。サユミさんは今度もふわりと笑い、手にとったボトルを左右に振ります。空洞のボトルの中で、植物がゆうらりと揺れました。
「明日で引っ越しだからね」
二人は首を傾げます。
「このボトルはね、私が生まれたときに贈られたもの。土地のみんなが同じようにもらうのよ」
先ほど外した写真の上をサユミさんの手がなぞります。
「初めはこんな風に空っぽで、花も咲いていなくて。誰かに優しくされたり、大切にされたりするたびに、少しずつお水が増えていく」
サユミさんは二人の顔を交互に覗きこみます。
「最初の花が開いたら、旅立つ約束。たどり着いた街で、優しくしたい人に、その水を分けてあげなさいって」
サユミさんは、もう一度ボトルを左右にふりました。
「そして、お水がなくなったら、土地へ戻るの」
リナが泣きそうな顔をしています。
「私たちがもっと大事に飲めば、サユミさんは長くいられたの?」
サユミさんは首を横にふり、二人の頭にそっと手を置きます。
「時間はコントロールできないの。水が減ってきたなら、私にできることはもう十分ということ」
リナとチカは顔を見合わせました。
「二人とも手を出して」
差し出された掌の上で、サユミさんはボトルをふります。水の雫は二人の肌に吸い込まれ、一緒にこぼれ出た白い花のいくつかが残りました。
「この水がもう一度いっぱいになったら、また旅に出るの。どこかの街でまた会いましょう?」
ボトルを掲げたサユミさんは、片目を瞑ります。その声を聴きながら、リナとチカは、掌の中の白い花をそっと握りました。
玄関に二つのランドセルがきちんと並んでいます。
廊下を進んだ突き当たりの部屋、リナとチカはテーブルに身を乗り出して囁き合いました。
「明日で引っ越しちゃうとは思えないね」
「うん、サユミさん、お片づけこれからなのかなあ」
二つの頭がぐるりと部屋を見渡します。中央のテーブル、隅に置かれたベッド、壁に掛けられたどこかの湖の写真。サユミさんの部屋は、毎日のように遊びに来ていた夏休みの間から今日まで、少しも変わらないのでした。
「その写真が気になる?」
部屋に戻ってきたサユミさんの声で、二人は慌てて行儀よく座り直します。ふわりと微笑んだサユミさんが、三つのコップと一本のボトルをテーブルの上に置くと、ガラスの触れ合う澄んだ音がしました。リナとチカは再びテーブルに身を乗り出して、ボトルを見つめます。
無色透明なガラスのボトル。パパやママが飲むワインの入れ物に似ているけれど、サユミさんが入れているのは、お水です。お家へ来るたびに何度も目にしていたけれど、いつだって見つめずにはいられないのでした。中に浮かんでいる植物のせいかもしれません。ボトルの口へ向かって真っ直ぐに伸びるそれは、深い緑色をしていて、小さく細いたくさんの葉をつけていました。生い茂る葉っぱに埋もれるように、さらに小さな白い花がいくつも見え隠れしています。
「水の泡みたい」
リナがため息をつくと、サユミさんはまたふわりと笑い、壁にかかった一枚の写真を外しました。
「北の土地、湖のそばで育つ植物よ。私の育ったところ」
「サユミさんは、そこへ帰るの?」
尋ねたチカに、サユミさんはこくりとうなずき返します。
「もっと一緒に遊びたかったなあ」
リナがつぶやきました。
「ごめんね、帰らなきゃいけないって約束なのよ」
「仕方ないよ。私もママとパパとの約束は破れないもの。はい、これ、ウチのママから」
チカは母親が持たせてくれたお菓子を手渡します。ありがとうと受け取ったサユミさんは、ボトルの水をコップに注ぎました。その水は口にするといつも少し甘くて、それでいて頭がスッキリして、心の余白が広がるような味がするのです。
お水とお菓子を囲んで、三人はしばらくおしゃべりを続けていました。
「サユミさん、お水がずいぶん少なくなってるよ」
ふいにリナが口にします。これまで何度も同じ時間を過ごしていたけれど、気づいたのは初めて。ボトルの中はいつだって満たされていたのでした。サユミさんは今度もふわりと笑い、手にとったボトルを左右に振ります。空洞のボトルの中で、植物がゆうらりと揺れました。
「明日で引っ越しだからね」
二人は首を傾げます。
「このボトルはね、私が生まれたときに贈られたもの。土地のみんなが同じようにもらうのよ」
先ほど外した写真の上をサユミさんの手がなぞります。
「初めはこんな風に空っぽで、花も咲いていなくて。誰かに優しくされたり、大切にされたりするたびに、少しずつお水が増えていく」
サユミさんは二人の顔を交互に覗きこみます。
「最初の花が開いたら、旅立つ約束。たどり着いた街で、優しくしたい人に、その水を分けてあげなさいって」
サユミさんは、もう一度ボトルを左右にふりました。
「そして、お水がなくなったら、土地へ戻るの」
リナが泣きそうな顔をしています。
「私たちがもっと大事に飲めば、サユミさんは長くいられたの?」
サユミさんは首を横にふり、二人の頭にそっと手を置きます。
「時間はコントロールできないの。水が減ってきたなら、私にできることはもう十分ということ」
リナとチカは顔を見合わせました。
「二人とも手を出して」
差し出された掌の上で、サユミさんはボトルをふります。水の雫は二人の肌に吸い込まれ、一緒にこぼれ出た白い花のいくつかが残りました。
「この水がもう一度いっぱいになったら、また旅に出るの。どこかの街でまた会いましょう?」
ボトルを掲げたサユミさんは、片目を瞑ります。その声を聴きながら、リナとチカは、掌の中の白い花をそっと握りました。
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