8 / 23
第8話 目覚めの兆し
しおりを挟む
照明を落とした室内に、わずかな微熱が漂っていた。
紗世はベッドの上で眠っている。額には冷たい汗。けれど熱感はない。むしろ、玲司の手に触れるその肌は、氷のように冷たかった。
彼は手元のモニターで、眠る彼女のバイタルを確認していた。
脈拍は平常値を保っているが、心拍のリズムが微かに乱れていた。呼吸も浅く、時おり小さく身体が痙攣するような動きを見せる。
「まだ、初期症状……だよな」
だが確信は持てなかった。
午前4時。
玲司はベッドの端に座ったまま、タブレットに保存された「潜在症例リスト」と、Project NOAHの試験記録を照合していた。
《症例No.0338:感染経過第4日目。睡眠時の心拍変動幅増大。
第6日目より視覚過敏、嗅覚拡張の兆候。
第7日目、欲求の“転化傾向”あり。自制は可能。》
まるで、紗世の現在をなぞるような経過記録だった。
ロビーには、玲司たち以外にも数名の患者がいた。誰もがマスクをつけ、黙ったままソファに腰掛けている。テレビは消されており、空調の静かな唸りだけが空間を満たしていた。
一人の中年男性が肩を小さく震わせながら水を一口飲んだ。その音に反応するように、別の女性が顔を上げ、鋭い視線を彼に向けた。だが、すぐに何事もなかったかのように視線を逸らす。
「……寒くないですか?」
ぽつりと呟いた声がどこからか聞こえたが、それに応える者はいなかった。むしろ、皆がその言葉を“聞かなかったこと”にしたような気配さえ漂っていた。
受付のスタッフが笑顔で呼びかける。だが、その笑みはどこか上滑りしていて、目線がこちらに合わない。
「診察が済んだら、なるべく滞在時間を短くしてくださいね」
それは“優しさ”ではなく、どこか“関わりたくない”という感情の裏返しのようだった。
看護師同士がカウンター裏で小声で何かを囁き合い、そのまま一人がタブレット端末を手にどこか奥の区画へ消えていく。
玲司は、紗世の名前が呼ばれるのを待ちながら、隣に座った若い男性患者と一瞬だけ目を合わせた。相手はすぐに視線を逸らしたが、その目の奥には、玲司と同じような“理解”が宿っていた。
診察を終えた紗世が、待合に戻ってきた。
部屋に戻ると、紗世は窓辺に座っていた。
カーテンの隙間から差し込むわずかな朝日を見つめながら、ぽつりとつぶやいた。
「朝の光が、こんなにまぶしいなんて……初めて思ったかもしれない」
彼女の横顔は、どこか儚げだった。
だがその眼差しの奥に、確かに“異なるもの”が宿っていた。
玲司はその横顔を見つめながら、自問する。
「彼女は、まだ人間なのか。それとも――」
答えはまだ出ない。
けれど、確実に何かが進行していた。
そしてその背後では、誰かが彼らの全てを見ている。
紗世はベッドの上で眠っている。額には冷たい汗。けれど熱感はない。むしろ、玲司の手に触れるその肌は、氷のように冷たかった。
彼は手元のモニターで、眠る彼女のバイタルを確認していた。
脈拍は平常値を保っているが、心拍のリズムが微かに乱れていた。呼吸も浅く、時おり小さく身体が痙攣するような動きを見せる。
「まだ、初期症状……だよな」
だが確信は持てなかった。
午前4時。
玲司はベッドの端に座ったまま、タブレットに保存された「潜在症例リスト」と、Project NOAHの試験記録を照合していた。
《症例No.0338:感染経過第4日目。睡眠時の心拍変動幅増大。
第6日目より視覚過敏、嗅覚拡張の兆候。
第7日目、欲求の“転化傾向”あり。自制は可能。》
まるで、紗世の現在をなぞるような経過記録だった。
ロビーには、玲司たち以外にも数名の患者がいた。誰もがマスクをつけ、黙ったままソファに腰掛けている。テレビは消されており、空調の静かな唸りだけが空間を満たしていた。
一人の中年男性が肩を小さく震わせながら水を一口飲んだ。その音に反応するように、別の女性が顔を上げ、鋭い視線を彼に向けた。だが、すぐに何事もなかったかのように視線を逸らす。
「……寒くないですか?」
ぽつりと呟いた声がどこからか聞こえたが、それに応える者はいなかった。むしろ、皆がその言葉を“聞かなかったこと”にしたような気配さえ漂っていた。
受付のスタッフが笑顔で呼びかける。だが、その笑みはどこか上滑りしていて、目線がこちらに合わない。
「診察が済んだら、なるべく滞在時間を短くしてくださいね」
それは“優しさ”ではなく、どこか“関わりたくない”という感情の裏返しのようだった。
看護師同士がカウンター裏で小声で何かを囁き合い、そのまま一人がタブレット端末を手にどこか奥の区画へ消えていく。
玲司は、紗世の名前が呼ばれるのを待ちながら、隣に座った若い男性患者と一瞬だけ目を合わせた。相手はすぐに視線を逸らしたが、その目の奥には、玲司と同じような“理解”が宿っていた。
診察を終えた紗世が、待合に戻ってきた。
部屋に戻ると、紗世は窓辺に座っていた。
カーテンの隙間から差し込むわずかな朝日を見つめながら、ぽつりとつぶやいた。
「朝の光が、こんなにまぶしいなんて……初めて思ったかもしれない」
彼女の横顔は、どこか儚げだった。
だがその眼差しの奥に、確かに“異なるもの”が宿っていた。
玲司はその横顔を見つめながら、自問する。
「彼女は、まだ人間なのか。それとも――」
答えはまだ出ない。
けれど、確実に何かが進行していた。
そしてその背後では、誰かが彼らの全てを見ている。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち
ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。
クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。
それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。
そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決!
その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる