Vampir(ヴァンピール)

Ilysiasnorm

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第14話「目覚める境界」

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ナイト・ケアセンターの朝は、いつもよりわずかに遅れてやってきた。

玲司が目を覚ましたとき、隣で眠っていたはずの紗世の姿がなかった。
カーテン越しの朝光にかすむ室内で、わずかに濡れた枕が彼女の不在を告げていた。

「……また夢か」

玲司はそっと立ち上がり、部屋を出た。


施設の一角……中庭に面したベンチに、紗世の姿があった。
肩を震わせ、何かを必死に飲み込んでいる。

「紗世」

呼びかけると、彼女は一瞬、怯えたように振り返った。
だがすぐに、微笑みを作った。

「……おはよう。ごめん、起こしちゃった?」

「いや、俺も目が覚めてた。……泣いてたのか?」

「ちがうよ。ただ……少し、寒かっただけ」

玲司はその言葉に返す声を持たなかった。
その笑顔が“仮面”であることに、彼はもう慣れてしまっていた。

「……柚月に、変なこと言われて。気になって眠れなくなっただけ」

「“境界”のことか?」

紗世は静かに頷いた。

「……夢の中でね、自分が違う誰かになってたの。最初は自分なのに、だんだん誰かの意識に染まってくみたいで……最後には、“自分”が分からなくなるの」

「……」

「それって、もう私が私じゃなくなるってことなのかな?」

玲司は、何も答えなかった。
ただ、紗世の手を握った。その温もりだけが、現実を繋ぎとめてくれるようだった。


その日の午後、玲司は志摩に呼び出された。
地下階層の警戒区域……カードキーと認証コードの二重ロックを抜けた先に、見慣れぬ実験フロアが広がっていた。

「……君には、“本当の分類”を見せておこう」

志摩の案内で通された観察室のガラス越しに、五名の被験者が並ぶ。
年齢も性別もバラバラだが、共通して“整いすぎた動作”が異様だった。

「α-1型“攻性系”と、α-2型“感応系”の中でも、特に安定した個体たちだ。外見はほぼ人間と変わらないが、すでに脳波は完全に書き換わっている」

「……人格が、消えている?」

「いいや、“塗り替えられて”いる。人間の精神が、ウイルスと共存するために作り出した“新しい理性”。……ある種の進化とも言えるだろう」

玲司はガラスの向こうの“彼ら”を見つめた。
一人の女性個体が、まっすぐにこちらを見返す。その瞳に“感情”はなかった。だが、空虚でもなかった。

「君も、いずれは選ばなければならない。境界を越えるか、拒むか。
だが――“その先”も、ある。感染と非感染、従属と支配……それすら、もはや境ではない世界が、な」

玲司はかすかに眉を寄せた。

「……俺は、彼女が人であり続けられることを信じている。それだけだ」


夕方。訓練棟のラウンジ。

柚月が紗世の隣に腰掛けた。

「ねぇ、また夢見た?」

「……なんで分かるの?」

「わかるよ。私も最初は、毎晩“他人になる夢”を見てた。……そのうち、自分が他人だったって気づくようになるの」

紗世は俯いたまま、口を開いた。

「それって……戻れないの?」

柚月は言葉を選ぶように、そっと笑った。

「大事なのは、“仮面”を自分で選べるかどうか、だと思う。……どんなに壊れても、自分で“私”を作り直せるなら、まだ人間でいられる」

「私、できるかな……」

柚月は少しだけ考え込んだあと、ぽつりと言った。

「……今は、あの人が手を握ってくれてるんでしょ? なら大丈夫」


その夜。

玲司が部屋に戻ると、紗世は窓際に立ち、月を見上げていた。
その瞳に、一瞬だけ……赤い光が走ったように見えた。

「……紗世?」

彼女は振り返り、いつもの笑顔を浮かべた。

「……大丈夫。わたしは、まだ“私”だから」

玲司は何も言わず、そっと彼女に近づいて抱きしめた。

だが、その背後で志摩はすでに“次の段階”の準備を進めていた。

地下フロア、隔離室の扉が開き、ひとつのファイルが解禁される。

《個体コード:X-0》

“彼”の目覚めが、すべての境界を、やがて無意味にしてゆく……
感染と非感染、支配と共存、愛と恐怖すらも。
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