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第一章 闇夜の死竜

第二十話「予期せぬ事態」

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「やれやれ、ひとまず安心ってところかな」

 立ち止まったブランドン先生がそう漏らした。
 ブランドン先生に駆け寄って視線の先に目を凝らすと、樹竜クラスの生徒が大木の根元に身を寄せ合っているのが確認できた。
 全員でその場に向かう。

「ダ、ダリア先生!」
「助かったぁ……!」
「すいません、俺たち勝手なことをしてしまいました……」

 樹竜クラスの生徒は勢いよく立ち上がって、ダリア先生に近づいた。
 見たところ全体的に衣服の乱れやかすり傷はあるが、大きな怪我はないようだ。

「おまえたち無事か。まったく心配させるな。それ相応の罰は覚悟しておくんだな。……ところでエドガーとイアンはどうした?」

 ダリア先生が尋ねる。
 ここにいる樹竜クラスの生徒は五人だけで、グループを率いていたエドガーとイアンの姿は見当たらない。
 最初は言いにくそうに口ごもっていた五人だったが、やがて一人が口を開いた。

「大きな魔物が現れたんです。それで……逃げているうちにエドガーたちとはぐれてしまって……」
「大きな魔物? どういった魔物か特徴は覚えているか?」

 ダリア先生が目を細めて顎に手をやった。
 エドガーたちはこの辺りでゴブリンに出くわしたらしい。
 イアン一人の活躍で問題なく戦闘を終えたエドガーたちだったが、そこへ突如として大きな魔物が現れたという。
 魔物の風体は全身が樹木のようだったらしく、その巨体はイアンよりも二回りは大きかったみたいだ。
 危険を感じたエドガーがイアンに攻撃を命じたが、その攻撃に怯むことなく暴れる魔物に恐怖し、彼らは一目散に走ってここまで逃げてきたそうだ。

「その大きな魔物が現れたっていうのは、この先かい?」
「は、はい。もっと先です。ここまで逃げてきて、もう大丈夫かなって思って一息ついていたんです……」

 話していた生徒は思い出して怯えたように身をすくませた。
 ダリア先生は生徒を安心させようと肩に手を優しく乗せると、ブランドン先生に振り返った。

「大きな魔物か……禁止区域にいる森の主だと思うか?」
「う~ん、俺も禁止区域にまで入ったことはないし、もちろんその姿を見たことさえないから何とも言えないね。それにここから禁止区域まではかなりの距離がある。でも木の魔物っていうのは初耳だね」

 俺もそんな魔物がこのサイーダ森林にいるなんて話は知らない。
 考えられるのはやはり森の主。
 しかしブランドン先生の言うように禁止区域とは離れているし、そもそも俺たちが向かっていた方角とはズレている。
 この先に進んでも禁止区域には辿り着けないはずだ。

「ブランドン先生、この森には森の主を除いてゴブリン以外の魔物は棲息しているんですか?」

 セシリアが尋ねる。

「ほぼゴブリンだけだよ。ただし――」

 ブランドン先生は首を動かして、ある一点を注目させる
 そこは樹竜クラスの生徒が休憩していた大木のすぐ向こう側。
 そこだけ木々が途絶えて、代わりに地面に大きな裂け目が東西に広がっていた。
 こちらの南側から向こうの北側まででもかなりの距離があり、助走をつけて跳んでも絶対に届かないだろう。
 ブランドン先生が示したのはその裂け目、古くから伝わる話で怒り狂った十二神竜の雷竜が落としたという稲妻の名残。
 稲妻の谷と呼ばれる裂け目だった。

「その稲妻の谷の下には、ワイバーンが棲み着いているんだよ。だからうかつに近寄ってはいけないよ」

 魔物の最上位に君臨するのは何かと言われれば誰だってドラゴンと答えるだろう。
 俺が知っているだけでも数え切れないほどの伝説や逸話がある。
 しかし実際に目にしたことがあるのはごく一握りの者に限られるし、大半の者はウルズの町にある樹竜や氷竜を模した十二の像による印象が大きい。

 そもそも世間的には、暦に名を連ねる樹竜や風竜、死竜なんてのは存在しているかどうかも怪しいと言われている。
 それはともかく、ドラゴンと呼ばれる脅威の魔物は世界のどこかに存在するし、そのドラゴンの亜種がワイバーンと呼ばれる魔物だった。

 ワイバーンは小型のドラゴンで――といっても俺たち人間からすれば途轍もなく大きい――凶暴だといわれる。
 ドラゴンのように炎のブレスを吐くことはないが、翼を広げて空を自由に飛ぶことができる。
 尻尾には刃状の棘が幾重にもついていて、触れるだけでも傷を負ってしまうらしい。
 その強さはゴブリンなどは比じゃなく、ベテラン冒険者がパーティーを組んで戦っても勝率は五割ほどだと聞いたことがある。
 まあ、俺の知っているワイバーンの情報なんてこれくらいだ。

 同じような説明をブランドン先生がすると、みんな息を飲みしんと静まりかえった。
 特に稲妻の谷に近い場所で休息していた樹竜クラスの五人は青ざめている。

「ふむ、ここからは用心して向かったほうが良さそうだね。ということでダリア先生は樹竜クラスの五人と、俺のクラスの六人をつれて引き返してくれるかい?」
「ちょっと待て。おまえ一人で行く気か?」
「うん、そうなるね。この先、生徒をつれて行動するのは難しいし、彼らを無事に帰すのが俺の仕事だから」

 俺の魔眼で探ったエドガーの行き先はすでにブランドン先生には示している。
 本来なら俺とブランドン先生で行ったほうがいいんだけど、仲間たちの手前、俺が行くと言ったらセシリアたちもついてきてしまうだろう。
 だけど、本当に一人で行く気か?
 いるのは未知の魔物なのだ。

 ダリア先生は納得がいかないらしく、樹竜クラスの生徒だから自分が探しにいくべきだと引き下がらない。
 ブランドン先生はどうしたものかと困り顔だ。
 全員一緒に行くというのは絶対に避けなければならない。
 未知の強敵がいるかもしれないのにリスクを増やすことになるからだ。
 それをわかっているからこそ、役割分担で揉めるのだ。

「ミリアム、足は大丈夫か?」

 俺は地面に座っていたミリアムに声をかける。
 傍らにはブレンダも片膝をついて寄り添っていた。

「う、うん。ちょっとだけ疲れたかも……」

 笑ってごまかすが、ミリアムの体力は帰りのことを考えればそろそろ限界だ。
 セシリアが心配そうに俺のそばへやってくる。

「アル、ブランドン先生たちの話もう少しかかりそうだわ。わたしたちに今できることは何かないかしら?」
「そうだなぁ……決めるのはブランドン先生たちだし、俺たちは待つしかできないな。とりあえず、座って休もう」

 俺がその場に腰を下ろすと、ロイドはあぐらをかき、ハロルドは木に背中を預けた。
 それを見てセシリアもようやく座る。
 仲間がみんな休息状態に入って少しホッとする。
 わずかでも体力を回復しておいて欲しいと思った。

「そういえば、ロイド。帰りはおまえが背負えよ」

 俺は背中の荷物を指して言った。
 ロイドは慌てて目を逸らしながら頭をかく。

「それ、アルにやるよ」
「は?」
「いや、だからおまえにやるって……あ~っ。いいから受け取ってくれ」

 何がなんだかわからない。
 すると隣のセシリアがくすりと笑って補足してくれた。

「ロイドからの誕生日プレゼントだって。受け取ってあげて」

 セシリアは目の下辺りを指でとんとんと叩いた。
 ロイドは照れくさそうにうつむいた。
 なるほど……この包みの中身はロイドの打った剣か。
 寝不足になってまで俺の誕生日プレゼントを準備してたってことだろう。
 それをセシリアたちは知っていたのだとわかる。

「そうなのか、てっきりロイドだけ俺の誕生日を忘れているのかと思ってたよ。ありがとな、開けていいか?」
「い、いや待て! 家に帰ってからにしろって、なんか恥ずい。それにまだ半分しか……」
「……半分? 未完成品ってことか? 意味がわからないんだけど」
「いいから、帰ってからだ」
「わかったよ」

 俺とロイドのやり取りを、セシリアたちは笑って眺めていた。
 さすがにブレンダも茶化したりはしなかった。
 誕生日は過ぎていたが、きっと間に合わせるつもりで準備してくれていたに違いない。
 俺は妙に嬉しくなって、学院寮に帰ったらじっくり拝見しようと思った。
 そしてブランドン先生のほうへ顔を向ける。
 そろそろ決断しないと、時間も時間だ。

 ――ヒュン!

 風を裂くような音が聞こえた。
 同時に不穏な気配を捉える。
 突如、何かの気配を感じた俺はその方向に視線を向ける。
 すると視界いっぱいに真っ黒な塊が迫ってきた。
 俺は咄嗟にセシリアを抱きかかえる。
 回避行動をとる間もなく俺の全身を激しい痛みが襲った。

「――うっ!? ああああああああああっ!」
「きゃあああああああっ!」

 俺は背中から近くの大木に叩きつけられる。

「ア、アルっ!」
「っはぁっ……! くっ……!」

 その衝撃で一瞬前後不覚に陥る。
 俺の名を呼ぶセシリアの声が耳に届くが、そちらを見る余裕もない。
 腰が砕けたように膝に力が入らない。

 何が起こった……!?

 俺は状況を把握するべく痛みを堪えて視線を動かした。
 次の瞬間、目の前に肉薄してきたのはいくつもに絡み合った木々だった。
 理解する前に再び痛みを伴う衝撃が走る。

「くっ、はっ……! な、ん……!」

 突然の浮遊感。
 気づくと俺は空中に投げ出されていた。
 真下にあるのは大きな裂け目、稲妻の谷だ。
 どうやら派手に吹っ飛ばされたらしい。
 それでも、俺に必死でしがみついているセシリアを抱えて離さなかった自分を褒めてやりたい。
 セシリアは目をぎゅっと瞑って俺の胸に身を任せている。

 崖のほうを見るとみんなの前に見知らぬ巨大な何かが立ちはだかっていた。
 ブランドン先生とダリア先生が剣を抜いて応戦している。
 ロイドとブレンダが崖の縁に立って俺のほうへ向かって何かを叫んでいた。
 腰が抜けたように地面に尻をつけているミリアムと、それに手を貸して立ち上がらせようとしているハロルドの姿が映る。

 そして俺の目線ががくんと一気に下がり、視界いっぱいに岩肌が広がった。
 落下しているのだ。
 もうみんなの姿は俺の位置からは見えない。
 すぐさま魔法の翼を展開するが、二人分の重量と落下スピードに押されて上昇できない。
 魔法が得意ではない俺では、この状況で風に逆らってまで飛ぶのは難しい。
 俺は上昇を一旦諦めて、斜め下に向かって進路をとった。
 これで少しは落下の衝撃を和らげることができるかもしれないと考えたからだ。

 俺の判断が功を奏したようで、うまく風を利用して緩やかに下降していく。
 しかし、どうやって戻ればいいのか。
 それに突然現れたあの巨体。まるで、大きな樹木のようだった。
 あれが樹竜クラスが遭遇した魔物だろう。
 だとしたら早く戻らないといけない。

「ん……あれは……?」

 一息ついたのも束の間、真横から飛んできたのは魔物だった。
 獰猛な牙を剥き出しにして翼をはためかせて向かってくる。

「ワイバーンかっ!?」
「ア、アル! どうしたのっ!?」
「喋るな、舌噛むぞ! 目を瞑ってじっとしているんだ!」

 俺と向かい合っている形のセシリアにはワイバーンの姿は視認できない。
 もし見えたところで余計に怖がらせてしまうだけだ。
 甲高い咆哮を上げながら迫ってくる。
 標的はもちろん俺たちだろう。
 ワイバーンは肉食だから餌とでも思っているのだ。
 魔法の翼を制御して回避を試みるが、翼の扱いは向こうのほうが長けている。

「ぐっ……!」

 まともに体当たりを食らった俺は体勢を崩して真っ逆さまに落ちていく。
 今ので魔法の翼は完全に消失していた。
 待っているのは底の見えない闇だ。
 今の俺にできることは、セシリアをきつく抱きしめてやることだけだった。
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