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第二章 死竜の砦

第二十六話「死竜の砦・屋上」

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 目が覚めるとそこは屋外だった。
 俺の視界には夕闇に染まった空がある。
 慌てて上半身を起こすと、後頭部に鋭い痛みを感じた。

「起きたか」

 右を向くとすぐ近くに立っていたジェラルドが俺を見下ろしていた。
 その隣にはトラヴィスとリチャードの姿まである。

「ここは……」
「死竜の砦の屋上だ」

 ジェラルドは事も無げにいう。
 そして、トラヴィスがニヤけながら俺に告げた。

「時間切れだ。おまえも頑張ったと思うが、もう間に合わねぇ」

 俺はハッとする。
 そうだ、バリスタを止めないと!
 もう日が沈みかけている。
 バリスタが発射されるまでもう時間はない。

 ジェラルドたちが立っている後方に特大バリスタが鎮座している。
 目を疑うほどの巨大さだ。
 校舎を破壊することを目論んでいるぐらいなのだから当然か。

 特大バリスタの前には一人の男子生徒が立っていた。
 ジェラルドが校舎破壊宣言をした際に、傍らにいた生徒だと覚えている。

「おまえの傷を治したのはあいつだ。死竜クラスの六年で、オレたちの中じゃ唯一魔法を使える生徒だ」
「俺を治療……したんですか?」

 確かにいま意識はハッキリしている。
 出血は止まり、首に手を触れると血が乾いていた。
 まだ少し痛むが、それも大幅に軽減されている。
 時間が経ったのもあるだろうが、恐らく治癒魔法で応急処置されたのだろう。

 俺は立ち上がって、バリスタに向けて足を踏み出した。
 途端、遮るようにトラヴィスとリチャードが前へ出る。

「おっと、そうはさせねぇ。もうすぐフィナーレなんだ。おとなしく見てろや」

 トラヴィスがナイフをひけらかす。
 リチャードは無言で腕を組んでいる。
 その横からジェラルドが割り込んできた。

「魔法で治療を施したと言っても、簡単なものだ。万全な調子ではないはずだ。その状態でオレたち三人を退けるのは、いくらおまえでも無理だろう。剣もないのにどうやって戦う」

 俺は両腰に目をやった。
 双剣が鞘ごとなくなっている。
 どうやら俺が気を失っていた間に没収されたらしい。
 当然か。目を覚ました俺が反撃しない保証はないからな。

「俺の剣はどこです?」
「なあに、明日にでも返してやるさ。それまではこっちで保管させてもらう。おまえに剣を握らせたらマズいとわかったからな」

 さすがに素手でこの三人を相手にするのは厳しい。
 しかも三人とも傷を治療してもらったのか、随分元気そうだ。
 時間はないが闇雲に攻める時ではない。
 俺は三人の出方を窺う。

「おい、ジェラルド。こいつは諦めちゃいないみたいだぜ? どうする?」
「本来ならもう少し眠っていてもらうはずだったんだが、思ったより早く目覚めたからな。仕方ない、もう少しだけ休んでいてもらおう」

 ジェラルドがトラヴィスとリチャードに目配せをする。
 トラヴィスは了解したとばかりに頷いたが、リチャードはため息をついて頭をかいた。

「悪いが俺の喧嘩はもう終わった。俺はこいつとの一対一の喧嘩で負けたからな。いまさら三人がかりでなんて恥さらしな真似は御免被る」
「ちょ、リチャードさんそりゃないぜ。俺とリチャードさんはジェラルドに雇われたんだからよ」

 ジェラルドは慌てた様子のトラヴィスを手で制して、リチャードに向かい合った。
 二人の視線が交錯する。

「あとは見物をさせてもらうぞ。構わないな?」
「ああ」

 ジェラルドは問題ないとでも言うように、まったく動じた様子もない。
 トラヴィスはジェラルドとリチャードの間で視線を彷徨わせていた。

「おい、いいのかよ?」
「構わん。これ以上邪魔者は現れないようだしな。教師どもも動く様子はないし、予定どおりバリスタを使う」

 リチャードは俺と戦う気がないようだ。
 それにしても気になるのは、トラヴィスとリチャードがジェラルドに雇われたという話だ。
 ジェラルドが目的を遂行するために闇ギルドであるミリカ団を雇ったということか。
 そんな俺の思考を読んだようにジェラルドが薄く笑う。

「ふっ、俺が闇ギルドを雇ってまで何をしたかったのか知りたいか?」
「それが先輩の目的に関係あるなら是非聞きたいですね。でも教えてくれないんでしょう」
「いや、もう状況は変わった。いまさらおまえがすべてを理解したところで、もう結果は変わらない」
「どうあってもバリスタを発射すると言うんですか?」
「ああ、そうだ」

 ジェラルドがバリスタのほうへ顔を向ける。
 俺も同じようにバリスタへ視線を移動した。
 バリスタの近くには俺を魔法で治療してくれたという六年生が立っている。
 背格好はハロルドと同じくらいに見えるから、六年生にしては小柄なほうだろう。

「あいつがバリスタの射手だ。オレの合図で矢を放つよう言ってある。あいつの名はカーティス・アベリア。家名からもわかるとおり、平民の出だ」

 ジェラルドはおもむろにバリスタの射手であるという六年死竜クラスの生徒、カーティスの紹介を始めた。
 こちらの会話は向こうまで届いていないだろうから、ジェラルドが一方的に語っているだけだが。
 ジェラルドの話の方向性が見えず、俺は不審に思いながらも黙って耳を傾ける。

「カーティスはオレから見ても……いや、客観的に見ても優秀な生徒だと言える。剣の腕は初級すら取れないほど拙いが、あいつには魔術の才能がある。本来ならこのウルズの魔術学院に入学するのが妥当だったんだろうが、生憎家が貧しくてな。魔術学院の高額な学費を払えないから、学費無償の剣術学院へ入学した。ところで、このカーティスは学科の成績は群を抜いてずば抜けている。学科の試験結果だけで見ると、樹竜クラスの生徒より上だ。だが、カーティスは六年間ずっと死竜クラスだ。なぜだか、わかるか?」

 ウルズ剣術学院での進級時におけるクラス分けは、年に三回実施される定期試験の結果が考慮される。
 定期試験の内容は実技と学科の総合点で評価が決定する。
 特に死竜の月に行われる学年末試験では取り分けその比重が大きいと言われている。
 他の町の剣術学院はどうなっているか知りようがないが、このウルズ剣術学院の評価基準は生徒なら誰でも知っている常識だ。

「……そんなに珍しい話でもないでしょう。学科でそれほど優秀な成績を修められるのなら、問題は実技のほうにあるんじゃないですか? 評価基準は実技と学科の総合点で決まります。加えて生活態度でも判断されると聞いています」

 実際に俺のクラスメイトであるロイドだって、学科はいつも落第ギリギリだが実技のほうでカバーして風竜クラスを維持している。

「ふっ、生活態度か。カーティスは見てのとおり、尖った生徒の多い死竜クラスにおいては浮くぐらいの真面目な男だ。気が弱く荒事にも向かない」
「じゃあやっぱり、実技の評価が低いんだと思います。六年生の基準は知りませんが、平均より大きく下回っているとか……」

 俺の答えに満足いかないように、ジェラルドは首を横に振った。

「違うな。目に見える総合点でも、カーティスなら樹竜クラスを十分狙える。生活態度の点数は可視化されていないが、どう考えてもマイナスには思えない。さあ、だったらどうしてだ?」
「………………」
「答えられないと言うのなら、それはおまえがいままでこんなことを考えたことがなかったからだ。だったらオレが教えてやろう。理由は簡単だ。カーティスが平民だからだ」

 ジェラルドの言葉に俺は引っかかった。
 それはない。
 現に平民出身の俺やロイド、ミリアムは去年から風竜クラスだし、二年の時は炎竜クラスだった。
 三年次に飛び級で一緒になったハロルドは別だが、貴族であるセシリアとブレンダもずっと同じクラスだ。

「いや、それはおかしいでしょう。ウルズ剣術学院に貴族平民の身分差は存在しない。現に俺は――」
「おっと、おまえの例を出すなよ。おまえは特別だから比較対象にはならない」
「……どういうことです?」
「おまえがブランドンのクラスだからだ」
「ブランドン先生の……? 俺の担任がブランドン先生だというのが何だって言うんですか」

 ジェラルドは俺の反応を窺うように、こちらを見つめている。
 いったいどういうことなんだ?

「まさか、おまえまでブランドンの本職が教師などと言う馬鹿げた戯れ言を信じているのか?」
「……何だと?」

 場は不穏な空気を孕み始めていた。
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