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26話 弱さと強さ

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 *** 

「お、おいしい……」

 何これ、お肉が口の中でとろける。甘じょっぱさと卵が絶妙で、ハフハフと熱い空気を逃しながらぱくりと食べる。 

「幸せ過ぎる」 

 あんなに落ち込んでいたのに現金ではないかと思うが、おいしいものはおいしい。
 昨日のおにぎりやだし巻き玉子もしかり、おいしい食べ物は正義なのだ。 

「好きなだけ食べろ」 
「ありはほー!!」 

 食べながらお礼を言ったので、ずいぶんとマヌケな返事になってしまったが、白樹は嬉しそうに目を細めた。

 今、私と白樹は個室で豪華な昼食をとっている。メニューはすき焼き。しかも、普通のすき焼きではない。お肉が口のなかでとろけるのだ。 

 こんなにおいしいすき焼きを前に、私の落ち込んでいた心は裸足で逃げていった。いや、本当は姿を隠しただけで、ふとした瞬間に呻き声と共に帰ってくるだろう。

 せっかくの個室。白樹に話すには、ちょうどよいことは分かっているが、まずはすき焼きだ。お腹が空くと、人間ネガティブになるから、腹ごしらえをしておくことは重要な任務なのである。 
 決して、すき焼きを優先したわけではない。優先したわけではないのだよ……。


「ごちそうさまでした」

 あまりのおいしさに食べ過ぎてしまったお腹をさする。幸せの極みだ。 
 その幸せに思う気持ち。本当に私が感じてもいいの? という心の声が聞こえたけれど、そっと蓋をする。 
 誰も私が不幸になることを望んでいない。不幸になることが罪を償うことじゃない。 


「──りか、真理花!」 

 何回か呼んでくれていたようで、視線をあげれば心配そうな顔がそこにあった。 

「ごめん。お腹いっぱいでボーッとしちゃった」 
「いや、それならいい。この後、見たいものあるか? なければ、街の案内をしたい」 

 街の案内。それは、とても楽しそう。だけど、少しでも早く組紐を編んだり、他のものを作った方がいいんじゃないかな。

「気持ちは嬉しいんだけど──」 
「きっと、手がかりになる」 
「え?」 
「真理花が何を作るのか、手がかりを探そう」 

 ……手がかりか。確かに、作れそうなものを探すのは必要かも。できたら、手芸本なんかも欲しい。曖昧あいまいな記憶から作るより、きっと早く完成する。それに──。 

「ありがとう。案内お願いしてもいい?」 

 嬉しそうに笑う白樹は、どこかホッとしているようにも見える。
 その顔を見て、やっぱり……と思う。 

 気分転換をさせてくれようとしてるのだ。手芸品を見て、おいしいものを食べて……。それで十分過ぎると思っていた。
 だけど、そうじゃないのかもしれない。自分で思っている以上に余裕がなくなっていて、周りが見えていないのかもしれない。 
 ありがとう。また、心のなかでお礼を言う。白樹の優しさは、いつも私を支えてくれる。 


「ところで、名前で呼んでも平気なの?」 
「あぁ。この個室から外に声が漏れないように防音をしたから」 

 防音……それも契約なのかな? でも、風鈴の音は聞こえなかった。 

「防音って、契約? 風鈴の音がしなかったけど」 
「真理花は食べるのに夢中だったからな」

 な、なるほど。すき焼きに夢中だったからか。 何となく気恥ずかしくて、ごほんと咳払いを一つする。それは、私の気持ちを切り替えることにも繋がった。 


「私ね、昨日から時々呻き声が聞こえるんだ。それに、鉄格子にぶつかる姿も、砂のように消えていった姿も何度も見るの」 

 白樹は黙って聞いてくれている。 

「夜もあまり眠れなかった。夢に何度でも出てくるから。それでも少し眠れたのは、白樹がいてくれたおかげ。ずっと考えているの。私の行動は正しかったのか。もっと他に方法があったんじゃないかって」 

 ここまで話すのは怖くなかった。けれど、この後のことは嫌われるんじゃないか、軽蔑されるんじゃないかって怖い。自分の弱さを見せるのが怖い。
 でも……。それでも……。 

「本当はね、地下で逃げ出したかった。怖かったの。今だって穢れを浄化できるのは私だけで、助けられる命が私のせいで失われるかもしれないって思うと怖い。その事実に向き合うのも、目をそむけるのも怖い。強くなりたいと願っても、私はどこまでも私のままで、弱い部分は変わらない。そのことも苦しい」 

 こんな私だから、呻き声も、腐敗した臭いも、鉄格子にぶつかる姿も、抱き締めた腕から消えていく感覚も鮮明に残っているのだろう。 
 私が弱いから受け止めきれなくて、同じところをぐるぐると抜け出せないのだ。 

「ありがとう。話してくれて」

 白樹を見れば、その瞳が潤んでいた。そこには嫌悪など微塵もなく、いつもと変わらない温かさがある。 

「俺も真理花と同じだ」 
「え?」 
「俺も本当は怖い。討伐の時に判断を誤れば、仲間が傷付き、死ぬこともある。穢れに寄生され、地獄を強要し、仲間もその家族も不幸にする。夢に見ることもあるし、眠れないこともある」 

 私だけじゃない? 白樹も怖いの? 

「俺も弱い。だが、その弱さこそが人間なんだと思う。そして、その弱さが強さでもあると思っている」 
「……弱さが強さ?」 

 白樹は頷いた。弱さを強さにできたなら、私は何か変われるのだろうか。 

「もし穢れが怖くなくて、全ての命を救えるのだと思っていたら、それはただの過信だ。努力をしなくなるだろう。弱さがあっても、その弱さから目をそらさなければ、自分にできることを探すはずだ。真理花のように」 
「私のように? 私は何もしてないよ」 

 そう、何もできていない。誰一人として本当の意味では救えていない。 
 魂は救えたといっても、彼等の今の人生は終えてしまった。彼等にとって、大切な人たちと共に生きることは叶わない。 
 浄化しても、今の彼等は救われない。彼等の大切な人たちの心にも影を落としたままになる。 

「真理花は、もう誰も穢れの被害に合わないようにしようとしてくれている」 
「当たり前のことだよ。守れる可能性があるのなら、やらないと」 
「当たり前のことかもしれない。だからといって、誰もができることじゃない。真理花だから、できるんだ。弱さを抱えて、それから目をそらさないからこそ自分にできることを模索する。そんな真理花だから、未来に繋がる」 

 そうなのだろうか。 
 私の弱さが、臆病さが、私を突き動かしているのは事実だ。また同じことが起きることを恐れている。 
 地下に行ってからは、前よりも穢れに寄生されない方法を、倒す方法を探している。 

「人間、誰しも弱さを抱えている。地下でのことは、真理花のようになるのは当然だ。俺も地下に行った日は眠れなくなる」 

 私だけじゃなかった。そうだ。強くて完璧な人間なんていない。

「弱いけど、いいのかな」 
「俺が決めることじゃない」

 一見、突き放すような言葉。だけど、そうじゃないことを、私はもう知っている。 

「そうだね」 

 私も白樹に笑みを返す。 
 強くなりたいと思う。でも、私自身のこの弱さを認めよう。決して、弱さは悪いことじゃないのだと。 

「甘味でも食べるか?」 
「うん!!」 

 私は大きく頷いた。
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