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36話 女王様
しおりを挟むあれは、何の生き物だろうか。
熊を更に大きくし、肉食の獣の牙を、人を引き裂く爪を持ったそれは、まるで子どもがぬいぐるみを持つかのように軽々と人を持ち上げている。
持ち上げられた人は、爪が食い込まないように首を持たれ、痙攣をし、体がびくんびくんと跳ねている。
その気になれば、一瞬で散らすことができる命。それをギリギリのところで殺さずに生かしている。
「……助けないと」
でも、どうやって?
討伐隊の人たちだって、懸命に助けようとしている。それでも、どうにもならないのに。
ぐっ、と手の平を握れば、自分の持っているものを思い出す。
「あっ……」
そうだ。恋々に渡さないと。そうすれば、どうにかしてもらえるかもしれない。
自身の他力本願さに唇を噛み締める。だが、これが最善だと自分に言い聞かせ、恋々がいる運転席へと向かおうしたその時──。
視線を感じた。
二体いる穢れよりももっと奥。森の木々に隠れて見えないけれど、恋々に気を付けてと告げた穢れがいるあたりから。
「……もしかして、私?」
ぼそりと呟いた言葉に鳥肌が立った。
気が付いているのだろうか、私の存在に。
だが、近付いてくることはない。じっ……と観察をされているような、まるで知性でも持ち合わせているような、不気味な感じがする。
私が穢れの位置を察知できるようになったのと同じで、穢れも私の居場所が分かるのではないか……。
そんな思考にのまれそうになりながらも、恋々のところへと足を踏み出す。すぐ側なのに、遠い。
早く、早く、恋々のところに行かないと……。
「……嘘、何でいないの?」
運転席に着けば、恋々はいなかった。戦っているのかもしれないと、周りを見回しても姿はない。
もしかして、恋々に何かあったのでは……。
不安は穢れを喜ばせるだけなのに、嫌な妄想ばかりしてしまう。
「洋!!」
叫ぶような声。何事かとそっちを見れば、先程まで穢れに首を絞められていた人の頭と体が離れ離れになっていた。
頭は獣にゴキゴキと鈍い音を立てながら咀嚼され、落ちた体からは赤い液体が流れていく。
「あ……」
間抜けな声が出た。
その光景が現実だと思えなかった。
けれど、洋と彼の名を叫ぶ人たちと、水溜まりのように広がる赤が、現実なのだと訴えてくる。
助けに行かなかったからだ。足手まといになると言い訳をして、何もしなかった。見殺しにした。
ほんの少しなら勝てる可能性だってあった。それなのに、私は恋々を頼って何もしなかった。
叫び出したくなるような衝動を、ぐっと堪える。口の中は、鉄の味が広がった。
恋々がどこにいるのか分からない今、私も戦いに参加しないと。武器を持つ手が震えている。上手くいくイメージが持てない。
大きく息を吸い、長く吐く。自分に大丈夫だと言い聞かせる。
白樹に、一緒に守ろうと言った。あの気持ちに嘘はない。
獣を見て、弱点ではないかと思われる穢れの位置を確認する。
獣は既に殺した人間の体には興味を無くしていた。次の獲物を求め始めている。強そうな人を避け、余裕で勝てる相手を吟味している。
「行かないと……」
倒せるイメージは未だに湧かない。けれど、触れさえすれば浄化はできる。通用するか分からないけれど、武器も持っている。
大丈夫。私にもできる。みんなを守れる。
「どこに行くんですか?」
踏み出して進んだ足は、ほんの数歩で止められた。
振り向けば、眉間にシワを寄せた恋々が立っている。姿を見た瞬間、泣きたくなった。
「荷馬車で待つよう答えましたよね?」
向けられたことのない鋭い視線。その視線が気にならない程、安堵した。
「恋々が無事で良かった……」
「それは、私のセリフですよ」
鋭さはなくなり、代わりに困った子どもを見るかのような目を向けられる。
「ごめん、恋々。あとでいくらでも怒って。でも、お願い。今は助けて欲しい」
護衛対象に勝手に動かれたのだ。恋々が心配するのも、怒るのも当然だ。でも、それでも──。
「お願い。私には、救えないから……」
大丈夫だと思いたかった。思い込もうとした。けれど、どう考えても勝てるとは思えなかった。守るという大義名分を持って、無謀なことをしようとした。
ううん。恋々がいなかったら、していた。
戦えない自分が嫌だ。見殺しにした自分は最低だ。
それでも、今の自分を受け入れなくてはならない。私にできるのは、浄化と穢れに対するアイテム作りのみだと。戦えないし、物理的な攻撃を防ぐことはできないのだと。
「分かりました」
困ったような笑みを浮かべたまま、恋々は言った。そして、私から新しく作ったばかりの武器を受け取る。
「新しい武器はワクワクしますね」
普段は刀を使用する恋々にとって、使いにくくはないのだろうか。そう思ったが、恋々は恍惚とした表情をしている。
「もし、使いにくかったり、効果がないと思ったら、その場に捨てちゃって」
「分かりました。こちらのものではないですが、練習もしましたし、使いにくさは問題ありませんよ。折角なので、効果は花様も見ていてください。でも、ここからは動いちゃだめですよ?」
大きく頷いた私に、恋々は満足げに頷くと駆け出した。
「あ、弱点伝えてない……」
追いかけようにも、動かない約束をしてしまった。どうしよう、叫ぶ?
……うん。叫ぼう。それで穢れから注目を浴びてしまっても仕方ない。有利に戦いを進めることの方が大切だ。
「恋々!! 左の獣は右肩の上、右のは背中の左側を狙って!!」
私の声にちらりと視線を向け、恋々は口角を上げた。
あまりにも鞭が似合うような嗜虐的な笑みに、場違いにも女王様と呼びたくなった。
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