【完結】バッカスの鍵にくちづけを

千鶴

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 東伍の追憶は、思わぬ形で中断する。
 
 ランドラリーのガラス壁の向こう、コンビニの駐車場に、見覚えのあるシルバーの軽自動車が停まる。
 その運転席から出てきた人物を見て、東伍は反射的に立ち上がると、死角の壁に身を隠した。
 
(……陽子だ)
 
 壁から少しだけ顔を覗かせ、東伍は様子を伺う。
 陽子はキョロキョロ辺りを見回し、颯爽とした足取りでコンビニへと入店した。
 
 なぜ陽子がこの場にいるのか。陽子の実家から淑和学院近くにあるこのコンビニまでは相当な距離があり、わざわざ車を走らせてまでやってくる理由を東伍は考えあぐねる。
 
 だが、思考猶予はさほど貰えない。
 
 数分も経たぬうちにコンビニから出てきた陽子は、次なる目的地へと早歩きで向かっていく。
 
(う、嘘だろ)
 
 その足は着実に、東伍のいるランドリーを目指していた。
 ランドリーは真四角の一部屋。待ち時間を潰すための椅子とテーブルを隠すよう、簡易的なパーテーションは設けられているものの、室内に入られてしまえばすぐに見つかってしまう。
 
 距離にして十五メートル——五メートル——一メートル
 
 絶体絶命の足音が、東伍のいるランドリーの自動ドアを開けた。
 
 
 
 陽子は立ち止まると、顔を動かさないまま眼球だけで室内を確認。
 
「あ! それはりんごでしょ! Bの積み木じゃなくて、Aだってば!」
 
 キッズスペースのおもちゃで遊ぶ親子、その母親らしき背中を一瞥して、陽子はそのまま踵を返すと外に出ていく。
 
「ねえ。遊びたいならルールを守ってよ」
「ご、ごめん」
 
 男の子に指摘され、東伍はたじたじに手元の積み木をいじくる。
 
「そのスカートと帽子、おにいちゃんの?」
「いや」
「人のものは取っちゃいけないんだよ。パパがいっつも言ってる」
「そうだね。きみは正しいよ。本当にごめん」
 
 東伍は謝罪をしつつ、つばの広い帽子を剥ぎ取り、ズボンの上から履いていた足首まであるフレアのスカートを脱ぐと、忘れ物コーナーへと戻した。
 同時、東伍のスマートフォンが震える。
 
「あ、水野っち? ごめんごめん、泉とどっちが運転するかで揉めちゃってさ。洗濯は終わった?」
「それより。陽子が来た」
「え?!」
 
 東伍は耳にスマートフォンを当てながら外の様子を窺う。
 
「陽子が乗ってきた車ももうないし、なんとかバレずに済んだと思う。でも、なんでここに」
「水野っちさ。コンビニでパンツとかシャツとか買った時、コード決済したんじゃないの? そんでもってそれ、彼女と共有してたりして」
「え? ……あ!」
「え、って。まじ? まだ結婚もしていないのに?」
「いや、もう陽子とは付き合って十年経つし——ってそんなことより。今どこ?」
「ここ、ここ!」
 
 東伍がランドリーを出て辺りを探ると、パワーウインドウを開けて後部座席から顔を出した凛子が、ランドリーに向かって手を振る。そして、そのまさかの車に東伍は目を見開いた。
 
「おまたせ」
「いや、おまたせって。どうしたの、その車」
「ん? あれ、泉なんて言ったっけ。この車の名前。マ、マナスル、マナティ……」
「マセラティな」
 
 東伍がさくっと答えれば、凛子は感心したように眉毛を上げた。
 
「へえ。水野っち車詳しいんだ」
「詳しくはないよ。ただ有名だから。で、なんでわざわざそんな高級車借りてきたの? もっと手頃なやつがあったでしょう」
「手頃なやつを選んだんだよ。常用車は今、鷹司家から出払っちゃってさ。ガレージにあったのはリムジンとこれの二つだけ。胴体ながーいのよりかは、こっちの方が手頃でしょ?」
 
 凛子が眉を上げて得意げに言えば、東伍は凛子の隣に座る泉を見た。
 
「……この車、きみの?」
「ええ。正しくは祖父のですけれどね」
「すごいね。って、あれ。二人とも後部座席に乗っているってことは、運転は誰が」
わたくしが」
 
 疑問に思った東伍の耳元に、即座に答えが返ってくる。驚いた東伍が顔をのけぞらせて声の主を確認すると、それは知った顔だった。
 
「あなた……泉さんの、お父さん?」
「水野様、どうぞ。こちらにお乗りください」
 
 泉の父は、いつか見たように黒いエプロンに丸メガネ——ではなく、光沢のあるスーツを華麗に着こなした紳士で、更には優美な所作で助手席のガルウィングを開けていた。
 東伍は軽く会釈しつつ、促されるままに助手席へと乗り込む。扉は上から下へとゆっくりとした動作で閉まり、その間に泉の父は颯爽と運転席に着いていた。
 
 
 そうして。黒塗りのランボルギーニは、重低音をひとつふかして発進する。
 その走り去る車を横目に、男が一人、ランドリーの自動ドアを開けた。
 
 
 
 
 
「ごめんごめん。隣のコンビニ、りんごジュース売り切れてて。少し先の自販機まで行ってたら時間が」
「ねえパパ! 今の車みた?! ドアが上に開いたよ!」
「え? ああ、そうだな。それよりお前、その帽子どうした。それになんだそれ、腰に巻いてるの、スカートか?」
 
 父親に指摘された男の子は、照れたそぶりでへへっと笑う。
 
「変装ごっこ!」
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