【完結】バッカスの鍵にくちづけを

千鶴

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 北側の通路から、高く明るい声が手を振ってやってくる。その姿に東伍は震撼し、口を開けるも声が出せない。
 
「よかった! 私、水野先生が学校をクビになったと聞いて随分心配したんですよ?」
「す、須藤先生。どうして」
「署名ですよ! 私、水野先生がクビになるなんて絶対納得いかなくて。生徒や保護者に協力してもらって、たくさん異議の署名を集めたんです。それを見せたら、校長も今ならなんとかまだ解雇まで猶予があるし、警察が事件への水野先生の関与を否定するなら復帰もあり得るって! それをお伝えしたくて。でも私、水野先生の連絡先知らないでしょう? どうしたものかと思っていたら、小林さんが連絡をくれたんです。水野先生も水臭い、婚約者がいらっしゃるならそう言ってくれればよかったのに」
 
 早口で捲し立てるあすかは一人、空気を読まずに明るく喋り続けている。東伍が横目に睨みつければ、陽子千紗子は脂汗を滲ませた顔に勝ち誇った笑みを浮かべていた。恭一は小春の入ったカプセル含め、三体のカプセルの小窓の蓋を慌てて全て下ろす。
 一通り思いの丈を喋り切ったあすかは、フロアの異質さとサーバーの光に興味津々で辺りを見まわし、そのあとすぐに凛子と、床に仰向けで目を閉じる泉を見つけた。
 
「え、船井さん? それに鷹司さんも。どうして?」
「ああ、えっと……」
 
 凛子は気まずそうに東伍を見る。その視線に応えるように、東伍は精一杯の笑顔であすかに答えた。
 
「鷹司さんはもともと少し貧血体質で、今は少し、休憩を」
「休憩? それならそんな硬い床じゃなくて、すぐに布団に寝かせてあげた方が。親御さんに連絡は?」
「あ、いやその。親のことは俺も、詳しくは知らなくて」
「え? 鷹司さんて、水野先生の姪なのでは?」
 
 東伍は一瞬静止し、眉を上げる。その隙を陽子千紗子は見逃さなかった。
 
「そうね。須藤先生のおっしゃる通りだわ。奥に休める場所がある。東伍、泉さんを連れてこちらに」
 
 陽子千紗子、それからあすかの順に視線をスライドさせた東伍は、あすかの背後で不敵に笑う小瀬の存在に顔を顰めた。
 このまま東伍が指示に従わなければ、なにも知らないあすかが巻き込まれてしまう。
 
「……あの、須藤先生」
「はい」
「すみません嘘をつきました。鷹司泉さんは、俺の姪ではありません」
「え?」
「この場所は危険なんです。つまり、先生をこの場に呼んだ小林陽子は我々の敵」
「て、敵?!」
「すぐに離れて、今すぐ俺のそばへ——」
 
 東伍の言葉を最後まで聞かないうち。小瀬の腕はあすかの首に回され、その手に持つナイフのきっさきはあすかの鎖骨に触れていた。
 
「えっ、え?!」
「騒がないで。僕はジンのように人殺しには慣れていないから、できれば乱暴なことは避けたい。水野東伍さん、あなた次第ですよ」
 
 あすかは抵抗をやめてすぐさま両手を上げる。その状況に、東伍は唇を噛んだ。
 
 
 知らぬ間に——たくさんの人が傷つき、命を落としてきた。苦悩に震え、幾年もの時を耐え忍ぶために費やし、復讐を誓って消えていった。
 小春さんはなぜ死ななければならなかったのだろう。元を正せば美聖さんは、どうしてあんなに勇敢に不正に立ち向かえたのだろうか。
 順風満帆。清々しいほどに曇りのない人生。輝かしい過去。見通しのよい未来。
 ——そんな東伍の人生は、数えきれない犠牲の上で成り立っていた。

「……わかった。俺がいく。だから須藤先生と、鷹司泉のことは諦めてくれないか」
「うーん、東伍。話ちゃんと聞いてた? 須藤先生はよくても、泉はダメよ。あなたたち二人がいなきゃcopmonteコプモンテが抽出出来ない」
「コプモンテ? なんだそれ」
「プロトタイプB。copmonteコプモンテは全ての始まりのゲノム“バッカス”から作られた、世界最強のウイルス・・・・よ。copmonteコプモンテさえあれば、研究は何度だって、何回だってやり直しが効く。ママはまた、生き返る……!!」
 
 陽子千紗子の病的興奮に一瞬目を奪われるも、東伍はそれよりも強い衝撃にすぐに気がつく。
 あすかを捕える小瀬の背後。忍び寄った男は小瀬の左肩を背後から鷲掴みにし、振り上げた右手は小瀬の頸動脈目掛けて勢いよく振り下ろされた。
 
 
 絶叫。
 首を押さえ悶える小瀬を、無表情で見下ろすジン。右手には注射器、左手には小瓶を二つ持った状態で、床に転がる小瀬の姿を眺めている。
 解放されたあすかは一目散に東伍のそばへと駆け寄り、東伍から安全を託された恭一が凛子、そして泉と共にあすかを背後に押しやって警戒を見せた。
 
「ジン! お前っ!!」
「ケジメをつけようじゃないか、ソウ」
「今更なにを!」
「たくさんの人を殺した。非力でも、コツと慣れさえあれば人は切り刻める。僕はもう、生きていたって仕方がない。本当ならあの地下で東伍と二人、最後を迎えられたならそれが一番よかった。だけどあの東伍が、僕に対して責任を取るって言うんだ。だから言葉通り責任を取ってもらう。出口は、北側の扉を通って階段を上がればすぐだ」
 
 ジンの言葉を察した東伍は、恭一と凛子に振り返った。
 
「船井。須藤先生と一緒に今すぐ出口に向かえ」
「で、でも! ママが」
「小春さんは死んだ」
「違う! ママはここに!」
「小春さんは死んだんだ!!」
 
 東伍は語気を強めてすぐ、目を細めて平常を装う。
 
「強く生きるんだ船井。お前は、誰よりも優しい子なんだろう?」
 
 凛子の見開いた眼球で、涙の膜が揺れる。それを振り払うかのように勢いよく瞼を開閉すると、凛子はあすかの腕を掴んだ。
 
「須藤先生、こっち」
「え? あ、はい!」
「恭ちゃんも、泉を連れてここを出るよ!」
「承知しました」
 
 凛子に引っ張られるようにして走るあすかは、名残惜しげに東伍をみるも、すぐにその背中は扉の向こうへと消える。
 
「ダメよ……鷹司泉は、置いていきな、さい」
 
 手を伸ばす陽子千紗子に構わず、泉を横抱きに抱えた恭一もまた、出口へと消えていった。
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