【完結】バッカスの鍵にくちづけを

千鶴

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番外

side 斎木の森①

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 二〇〇六年
 
 白く高い壁で外界から隔てられたその場所は、子供達を救済する最後の砦。ひどく汚れた外の世界を忘れさせてくれる、夢の場所。
 
 芝生と、それから手作りのブランコが揺れるその庭では、少女が少女の手を引き歩く。
 
「あら。千紗子ちゃん、また陽子ちゃんを連れて来たの? ご両親にはちゃんと言って来た?」
「……違う」
「ん?」
 
 ボソリとつぶやいた千紗子は、ガラス玉のように無機質な瞳を小春に向けた。
 
「小春先生間違ってる。この子はヒナタ。前にも言ったでしょう。それにヒナタに両親はいない。じゃあ、邪魔しないでね。さよなら」
「あ、ちょっと」
 
 千紗子に手を引かれる陽子……もとい、ヒナタは俯いたまま。
 小春が気になって追いかけようとしたその時、男の声が小春を呼んだ。振り向けば、そこにはメガネをかけたスーツ姿の男性。首には顔写真付きの社員証をぶら下げている。
 
「ああ、まもる先生」
「小春先生すみません、お引き留めして。今って忙しいです?」
 
 小春は、守の隣に立つ少年へと視線を落とした。
 
「この子は?」
「それが、例の夏川市議のお孫さん? 彼女が無理やり女の子を連れていく姿が見えたとかで、施設の入り口に立ち往生していたんです。中に入れてくれと」
 
 小春を一直線に見上げる少年は、少々お腹周りが豊かで健康的な男児。年頃は十歳ほど。
 
「きみは、千紗子ちゃんのお友達かな?」
「違うよ」
「じゃあ陽子ちゃんの?」
「それも違うよ。二人とも、今日初めて見た女の子たち」
 
 少年の言葉を受け、小春は守を見た。
 
「守先生、どうしてこの子を施設内に入れたんですか? 親御さんが一緒だったら居なくなって心配しているはずです。すぐに探さないと」
「僕もそう思ったんですけど、施設長が中に入れろって。それもなんだかコソコソしていて、担当を寄越すから関係者入り口からエレベータに乗せてくれっていうんです。僕、関係者入り口の鍵持ってないんで、どうしようかなって」
 
 小春が詳しく聞けば、少年は別件でなぎさ総合病院に掛かっていたらしく、検査の結果を待つ間にたまたま千紗子と陽子を見かけ、後を追いかけてきたようだと守は言う。
 
「なんでも、なぎさの医院長からうちの施設長に連絡があったみたいですよ。少しの間、ここに留めろと」
「なによそれ。そんなの誘拐と一緒じゃない」
「と、とにかく。小春さんは僕より職歴が長いし、関係者入り口の鍵も持っていますよね? 僕は雑務が溜まってるんで」
「はい?」 
「じゃあ、任せましたよ、お願いしますね!」
「あ、待って守先生!」
 
 少年を置いて、守はそそくさと小走りで去っていく。面倒ごとに巻き込まれたくない、その想いが背中から滲み出ていた。
 小春は小さく息を吐くと、少年に目線を合わせるように中腰になる。
 
「きみ、名前は?」
「トウゴ」
「うん。苗字は?」
「苗字は要らなそうだよ」
 
 トウゴの変わった物言いに、小春は首を傾げた。するとトウゴは遠くを指差す。
 
「あそこにいる子たち、それから僕が追いかけてきた女の子たちも、みんなあだ名で呼び合ってるみたい。ヒナタとか、チーちゃんとか」
「ああ、あだ名ね。なるほど。でも苗字が分からないと、お父さんとお母さんに連絡が取れないから」
 
 小春の言葉に、トウゴは気付いたようにハッとした表情を浮かべた。
 
「そうだ。ぼく、お母さんに何にも言ってこなかったや。どうしよう……うぅん。眠たくなってきた」
 
 アタフタしたり急に動きを止めたり。そんなトウゴを見ながら、小春は不思議な雰囲気の子だな、と感じる。
 
「トウゴくんはどうして、千紗子と陽子を追いかけて来たのかな」
「ようこ?」
「あ、えっと。ヒナタか。どうして?」
「声が聞こえたんだよ。助けてって。今も聞こえるよ。ほら、そこの人。そばにいる男の子を、強引にどこかへ連れて行こうとしてる。ソウ、って呼ばれてる人」
 
 小春が振り向けば、そこには確かに揉めていそうな男児が二人いた。
 
「こら。何してるのはやて
 
 近づき、声をかける小春。すると颯と呼ばれた少年は、気を悪くした様子で小春を睨んだ。

「だって。こいつが僕をはやてって呼ぶから。小春先生まで困るよ。僕のことはソウって呼ぶようにってヒナちゃんが」
「だとしても。自分より小さな子に強引に迫ってはダメよ。颯は十二歳、もうすぐ中学生になるお兄ちゃんでしょう?」
「だから! 僕は颯じゃなくてソウだってば!」
 
 憤慨した颯は、大袈裟に手足を振ってその場から走り去っていく。小春は颯の後ろ姿に眉を上げると同時、もう一人の男児に目を向け、気にすることない、と声をかけた。
 
「まったく、ソウは融通が効かないのよね……あ。そういえばトウゴくん、なぎさで血液検査したって話だったけど、それって」
 
 振り返れば、そこにトウゴの姿はなく。
 
「え、え? トウゴくん?!」
 
 小春が大声で呼んでも、やはりトウゴはどこにもいない。
 
 
 
 ◇◇◇
 
 
 
「あれ。おかしいな、確か来た道はこっちだったような」
 
 トウゴはふらふら、それでいて何故か自信ありげな足取りで施設内を歩いていた。
 小春に言われ、なぎさ総合病院を出てきたことにじわじわと罪悪感を覚え始めたトウゴは、これまた勝手に斎木の森を出ようとしている。
 
「どこも似たような廊下で分かりづらいなぁ。あ、ここかな」
 
 そうして何度か扉を開けるうちに、とうとう無人ではない部屋に当たってしまった。
 東伍がそっと扉を開けたせいか、はたまた水道の流水音の勢いが強いせいか、後ろ姿で手を洗う少年はトウゴの存在に気づいていない。
 
「落ちない……落ちない……」
「あのー」
「くそっ! なんで僕が!」
「あの!」
 
 一瞬浮いたかと思うほど身体を跳ねさせて振り返った少年は、トウゴをみて目を丸くした。
 ふっくらとした腹回り。たぷたぷ柔らかそうな顎。なんだかマスコットのようなフォルムのトウゴに、警戒心が緩む。
 
「お前、どうやってこの部屋に」
「鍵掛かってなかったから」
「ここは関係者以外立ち入り禁止だ!」
「でも、この子が」
「……この子?」
 
 トウゴの背後からひょっこり顔を出した小さな存在に、少年はさらに顔をしかめる。
 
「誰だそいつ」
「サクヤくん、って聞いたけど」
「サクヤ?」
「人を探してるって。ぼくも出口を探していたから、ちょうどいいかなって」
「なんだそれ。っていうか、お前は誰なんだよ」
「ぼくはトウゴ。きみは? あだ名でいいよ」
「あだ名?」
「ここに居る子たちはみんな、あだ名で呼び合っているよね」
 
 少年は俯いて考える。するとすぐに何かに気づき顔を上げた。
 
「そういえば。金持ちの娘が変な遊びを始めたってはやてが言っていたっけな」
「その颯って子。自分はソウだ、ってさっき怒っていたよ」
「ソウねぇ。くだらないな。僕はリヒト」
「そっか。じゃあさリヒト」
「っていうかお前、僕より絶対年下だろ。初対面のくせに馴れ馴れしいな」
「そうかな。ぼくは今、十歳だけど」
「僕は十五。五つも違う」
「ふうん」
「なんだよ」
「手が気になるの?」
「ああ?」
「ずっと洗っていたみたいだから」
 
 気に障ったのか、少年はひとつ舌打ちをすると自分より背の低いトウゴを見下す。
 
「俺は潔癖なの。そんでもって、人にそのことを言われるのは嫌いなんだよ。お前だって人からデブって言われたらイラっとするでしょ? それと一緒だよ」
「ぼく、デブかな?」
「いや。別にそういうことが言いたいわけじゃ。お前、なんか変なやつだな」
「じゃあぼくは行くよ」
「……は?」
「帰らなきゃ。きっとお母さんが心配してる」
「あ、おい!」
 
 予測を超えた急展開にリヒトがトウゴを引き止めれば、振り返ったトウゴはサクヤを指差す。
 
「言ったでしょ。サクヤくんは人を探してるって」
「それがなんだよ」
「だから、後はよろしくってこと」
 
 そう言い残して、トウゴはさっさと部屋を出た。残されたサクヤを見下ろし、リヒトは仕方なく話しかける。
 
「お前、誰を探してんの」
「ジン」
「ジン? そんなやつここにいたかな」
「きみだよ」
 
 急展開再び。
 リヒトは、さっき出て行ったトウゴよりもさらに幼いサクヤをまじまじと観察する。
 まんまるな瞳。ドールのようにカールしたまつ毛は女子を思わせるが、ざっくり切られた短髪と名前の語感とで、リヒトはサクヤを男子だと認識する。
 年頃は七、八歳。だがそのどこか落ち着いた雰囲気に、リヒトはすっかり呑まれそうだった。
 
「ここは立ち入り禁止だぞ。鍵を開けたのはお前か」
「うん。そうだよ」
「そうだよ、じゃないよ。おかげで変なぽっちゃりまで迷い込んじゃって……俺になんの用?」
「旅をしようよ」
「旅?」
「僕と一緒に来てくれたら、良いものをあげる」
 
 サクヤは変わった形の鍵を片手に微笑む。
 その口元には、特徴的な黒子ホクロ
 
「いつか、きみに必要になるものだよ」
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