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疑惑

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 渋谷区広尾。どこを見回しても高級住宅がひしめく中、頭一つ飛び抜けた立派な門構えの家松永まつなが邸。
 
 伊東遥いとうはるかは慣れた手つきでゆっくりとハンドルを切る。ハザードを炊くと、門の右上に設置された認証カメラに近づくように車を寄せた。
 赤いランプが点灯する。それを確認してから、運転席のパワーウィンドウを開け軽く会釈。錆び付く音を軋ませながら自動で開いた門の先に、ミニバン車を徐行で進めた。
 
 初めてこの松永邸を訪れたとき、遥は正直なところ少しひいた。
 膨大な数の、均一に刈り揃えられた植栽。石造の池で優雅に尾鰭おひれを振る錦鯉。そこにそれは必要か? と思わず首を傾げてしまうほどの短い橋。
 
 庭師や専門の清掃業者が、絶え間なく管理しなければ保てないであろうその庭園を見渡し、遥は真っ先にこう思った。
 
 
 世界って、狭い。
 
 

「では、ワンピースが三着とコートが一着、それとシャツが四枚ですね。ご確認宜しければ、こちらに印鑑をお願いします」

 遥は玄関先にしゃがみ込み、いつものようにビニールに覆われた服を並べる。
 
 今回も、相変わらずクリーニングの量が多い。毛皮や着物をこんなにも一度にクリーニングに出す生活とは、一体どんなものなのだろうか。月に二度、松永邸を訪れる遥は度々そう疑問に思う。まあ当然、そんなことは遥の知るところではないのだが。
 
「あの。松永様?」
 
 そう遥が声をかけるも、返事はない。
 並べられた服をしばらく見ても、なかなか受領書を返してこない客の松永涼子まつながりょうこに、遥は不審がり尋ねる。
 
「なにか不備がございましたでしょうか」
「あなた、あたしの服盗んでいるでしょ」
 
 思いもよらない発言に不意をつかれた。
 涼子は腕を組んで冷静に遥を見下ろしている。
 
「何着か無くなるのよ。あなたのところのクリーニング屋を使った日に、必ず。少しくらいくすねてもバレないと思った? 二、三着ならともかく、やり過ぎたわね」
 
 遥に身に覚えはない。勝ち誇るように動く涼子の眉毛を見ていると、遥は自分の喉元がギュッと締まるのを感じた。
 
「お預かりした商品に漏れがないか、状態に不備がないかの確認のある受領書に、毎回押印いただいております。その都度ないものを言っていただかないと、こちらも確認のしようがございません。いつもこうして、並べて見せています」
「受領書に押印した後、あたしが少し目を離した隙に盗ることもできるじゃない」
「そんなに毎回、目を離されるのですか」
「そうね。そんな時間もあるんじゃないかしら。なによ。目を離したあたしが悪いとでも言うの?」
 
 遥は何度か瞬きをした後、ため息を飲み込む。
 
「当店で松永様のお宅への集配訪問サービスを担当しているのは、私の他に白井しらいという男性スタッフだけです。顔を合わせて話をさせたいので、今連絡をして来させます」
 
 遥がスマートフォンを手にすると、涼子は慌てて止めた。
 
「待って。白井くんじゃないわ」
「私でもありません」
 
 間髪入れずに答える遥。涼子は左眉を上げてひるみ、咳払いをする。
 
「なら、犯人を探してちょうだい」
「……私がですか?」
「そうよ?」
「何故、私が?」
「何故、って。まあとにかく、あたしの話を聞いてほしいの。白井くんに連絡するのは、その後にして」
 
 栗色のカールした髪を振り払うように、肩あたりをサッと撫でれば。涼子は、さも当然とでも言いたげに鼻を膨らます。
 
 凛と立ち上がるまつ毛に、二重まぶたからこぼれ落ちそうな程まんまるな瞳。手入れのされた、その艶めく唇がムッと前に突き出た形で留まっているのを見て、遥はふいに視線を落とした。
 
 真っ暗なスマートフォンの液晶画面にうっすら映る、自身の顔。
 
 疲れ切った表情の先。うっすら表示された白井の連絡先に、遥は舌打ちをしたい気分だった。
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