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「白井が盗った、とはお思いにならないのですね」
「彼は笑顔が素敵な好青年だわ。お話しするのを、いつも楽しみに待っているの。目を離す時間はないわね」
 
 自分の接客はそんなにぶっきらぼうな対応だったろうか。もし今より愛想よく対応していたら、こんなことには巻き込まれていなかったのでは……遥は頬に手を当て考えようとしたが、馬鹿馬鹿しくてやめる。
 
「いいでしょう。まあ、私が犯人だとも初めから思っていらっしゃらないようですし」
 
 膝を軽くはたきながら立ち上がる遥に、なぜそう思うのかと涼子が尋ねた。
 
「最初、私に服を盗んでいるのではと聞いてきた時。あなたはとても落ち着いて見えました。服を盗んだ犯人だと予想している私に対して、怒りや不安の表情がひとつもなかった。次にもし私を犯人として追及するなら、証拠を作るのが一番手っ取り早い。現行犯が望ましいでしょう。なんども繰り返されている犯行なら尚更。でもあなたは、目を離す時間を作る前に私に言及しました。まあ、そもそもそんな時間があったかどうかも、疑問ですけど」
 
 涼子は自分が攻められているような状況に若干引いている。
 
「そして一番の理由は、今日に限ってあなたが私を配達者指名していたことです。私がもし犯人なら、そんなことをされた時点でバレたと思ってまず来ない。私はたかがバイトですから。あなたは私が犯人ではないと知りながらも、私に用があった。そして犯人探しをして欲しいとおっしゃる。誰からか、私の小さな趣味を聞いたのでは? 誰なのかは大体察しはつきますが」
 
 少しの沈黙の後、涼子はどこからか出してきたスリッパを遥の足元に整えた。
 
「どうぞ。あがって」



◇◇◇

 

 リビング? ダイニング? 外観の予想を裏切らない広さのテーブルに案内されて、遥はとりあえずクリーニング店に連絡を入れた。
 今日の集配訪問はこの松永邸が最後だったこともあり、店長に事情を説明すると話を聞いてから帰ることを許可してもらえた。
 
「ごめんなさいね、試すようなことをして。蔵田さんに伺ったの。あなたに時々、悩みを解決してもらっているって」
 
 蔵田丈治くらたじょうじ。遥のクリーニング店に毎日やってくる、暇を持て余したおじさんだ。
 
 遥は小さな違和感によく気づいた。探し物や近所の揉め事もよく解決していて、いつしか皆トラブルがあると遥の元に相談に来るようになっていた。
 また遥は手先も器用だった。蔵田に関しては一人暮らしで大変だからと、ちょっとした裁縫や庭掃除、メガネやら時計やらすぐ無くすので、時々探してやっていた。格安で。
 
(蔵田のおやじ。面倒なことを)
 
 遥は次から駄賃の値上げをしようと心の中で毒づく。
 
「よく依頼するクリーニング店の方だったし、信用できると思ったけれど、周りにはわからないようにこっそり依頼したかったの。だけど、きっかけが無くて。そしたらね、ただ突然お願いするよりも、疑いを吹っかけて実力を試してみたらどうか、って蔵田さんが」
 
 値上げどころか、遥はもう蔵田の依頼は受けないことに今決めた。
 
「まあ、本題に。探して欲しいのはやはり、服を盗む犯人ですか」
「ええ。盗まれているのは本当なのよ」
 
 涼子が服がなくなることに気づいたのは、二ヶ月ほど前からだという。ある日クローゼットを確認すると、あるはずのコートが見つからなかった。
 
「二ヶ月前は四月ですが、そんな時期にコートを?」
「季節外れの雪が降った日があったでしょう、四月の頭に。玄関先に出たら風も強くて、慌ててコートを取りに家に戻ったの」
 
 シーズンを過ぎた服は、家政婦に頼んでクリーニングに出してもらい、その後指定の場所にしまうようにお願いしてあったという。
 だが涼子がいくら探しても、コートはどこにも見当たらなかった。
 
「変に思って、他にもない服があるのではと探してみたの。そしたら、わかるだけでも十着以上はなくなっていたわ」
 
 なくなった服はどれも、ブランド品や限定品の高価なもので、いつからないのかはわからないと涼子は言った。
 
「いくらお金に余裕があって無頓着でも、自分のクローゼットからそんなに服がなくなれば、普通気付くと思うのですが」
「いやね、それがものすごく絶妙で。気に入ってよく着ていたのは、ずいぶん前のものばかりなのよ?」
 
 それでも気づくものだけど、と遥は内心呆れていた。
 
「身内しか考えられませんね」
「え?」
「盗んでいたのは家政婦さんでしょう。よくクリーニングの受け取りをしていた彼女であれば、あなたが今どの服を気に入っていて、どの服を最近着なくなったかは把握できますし。何より私、あなたがクリーニングに出したブラウスを家政婦さんが身につけているのをみたことがあります。てっきり、差し上げたのだとばかり」
「やだ、本当に? まさかあの初枝はつえさんが……あ、初枝さんっていうのはうちの家政婦さんね」
 
 でもでも、と涼子はスマートフォンの画面を遥にみせる。そこにはSNSに投稿された一枚の写真があった。
 
「これ、近くにある私立小学校の親子遠足の様子をアップしているみたいなんだけど、ここ見て。この左側の女性が着ているの、あたしの無くなった服だと思うのよ」
 
 スマートフォンの画像を拡大し、間違いないと涼子は頷く。遥は涼子の顔を見つめた。
 
「それで?」
 
 えっ、と戸惑う涼子の顔を見て、遥は一瞬考える。
 
「……まあ、お宅の家政婦さんは盗んだ服を、この方に売ったか譲ったかしたのでしょうね」
 
 会話が流れたことに涼子は安堵し、少し晴れた表情で遥に言った。
 
「ねえ。この女性にこのワンピースをどこで手に入れたのか、訊きに行きましょうよ」
「この女性をご存じなんですか?」
「調べるのはそちらの得意分野でしょう?」
 
 いつの間にか涼子のことを『あなた』と呼ぶようになっていた遥は、涼子と自分が客と店員の関係性であることをいったん頭の中で消去する。
 色々思うところはあるが、面倒はひとまず置いてきっちり報酬をもらい、遥はこの件を引き受けることにしてみたのだった。
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