上 下
32 / 62

手札

しおりを挟む
 清八は俯く。
 
「鉱山でのガスの後遺症だ。記憶が混濁し始めたのも、今になってガスの影響が出てきたのかもしれない」
「ここに居ては症状は悪くなるばかりよ? このままでは命にも関わるかもしれない。復讐なんかで意地になってる場合じゃないわ」
「復讐なんか?」
 
 清八と涼子のやりとりに博史が割って入った。
 
「そんなことは親父と俺が誰よりもよく分かっている。でももうすぐなんだ。三日後、正和が観光地開発計画の会見を開く。その時に全てを暴露して、正和に罪を認めてもらうんだ。その日のために、こうして何十年もかけて準備して来た。復讐は必ず俺が果たすんだ」
 
 興奮する博史。遥は冷静に訊いた。
 
「火事の件、何か証拠が?」
「証拠も何も麻耶さんが生きているんだ、証言できる。正和を前にすればきっと思い出すさ。それに計画に関わっている青池って奴と正和には、不正な金銭のやり取りがあるって噂なんだ。その話が本当なら、開発計画自体が頓挫する」
「それだけでは罪を認めさせることは無理です」
「なんでだよ! なんで正和みたいなのが裕福に飯食って、俺たちが我慢しなきゃならない! あいつは自分の息子が死んだことさえ隠し続け、火事の詳細も有耶無耶にして……状況を見れば、麻耶さんと洋平がいないことはわかったはずなのに! 死んだことにして探しもしなかった! 見殺しにしたんだよあいつは!!」 
 
 上下する博史の肩に、清八がそっと触れる。
 
「もうやめよう」
「親父!」
「ここまでよくやった。私たちのせいで狙われる必要のない人まで犠牲になりかけている。潮時だ。博史、お前にも辛い思いをさせた。お前が復讐する必要なんてない。その女性が言うように、すぐにでもこの島を出て自分の人生を生きるべきだ」
「何言ってんだよ。もうすぐだ、後三日なんだ。ここまで来て全部無駄にすんのかよ!」
「私が死んだ時! その時、麻耶を一人にはできない。もう正和もこんな老人をどうこうしようなどとは思わんだろう。ここを出てちゃんとした場所で麻耶をゆっくり休ませたい。お前にも苦労を強いたくないんだ。雪恵のように島を出て、外の世界に馴染むべきだ」
 
 みるみる弱くなる語尾に合わせて、清八は頭を下げる。
 
「博史、本当にすまなかった」
「やめてくれ。村に帰る? 俺の帰る場所はここだよ。この白群が俺の故郷だ! あんたが親父で麻耶さんが母親で、洋平と雪恵と俺は兄姉弟で、それのなにがいけないんだよ!」
「博史」
 
 雪絵は博史に落ち着くように声をかけ、俯いたまま口を開く。
 
「やるだけやってみようよ。だめだったら終わりにする、それでいいじゃない。どっちにしてもお母ちゃんはどうにかしなきゃいけない。このままここでの生活は続けられないよ」
 
 清八も博史も、心のどこかでは分かっていた。この十数年、復讐だけが全てではなかったこと。誰かのせいではなく、自分たちの意思でこの場所で生きて来たこと。分かった上で、この家族の形が終わりを迎えてしまう日が近いことに皆気が付きたくないのだ。
 
 沈黙する部屋の中は諦めの空気でいっぱいだった。
 


「……ぬるいな」

 皆が一斉に遥を見る。
 
「なにをトンチンカンな空気出してんですか。だめだったら諦める? あなたたちが過ごした日々は、苦しみは、その程度で終わりにできる年月じゃない。勝負は三日後なんでしょう?」
「でも、あんただってさっき罪を認めさせるのは無理だって」
「今のままでは、と言っただけです。しかも、勝負のカードは揃っている。それなのに気付かず手札に持たないなんて、灯台下暗しとはこのことよ」
「このことよ、って……」
 
 博史が戸惑う様子に、涼子は小さく笑った。
 
「正和を追い詰めましょう」
 
 でもどうやって、と弱々しい博史に、遥は眉を上げる。
 
「皆さんは火事の話に重きを置いているようですが、切り札は先程博史さんが言った『青池って奴と正和の不正な金銭のやり取り』これです」
 
 あ、と涼子も気づく。
 
「青池ってまさか、青池事務次官!?」
 
 涼子が見ると遥は頷く。すると、雪恵が口を開いた。
 
「お二人とも青池さんをご存知なのですね。青池さんは、私が務めるクラブによく来る常連なんです」
 
 雪恵はこの島を出たあと、運良く住む場所を見つけて新宿のクラブで働いていると言った。
 
「クラブのママに連れられて食事をした席に青池さんが居たんです。そのとき雲島の観光地開発の話をしていて、正和とも古い付き合いだと知って驚きました。青池さんはママを気に入って、良くお店にも来るようになったけれど、あまりにも羽振りが良かった。いくら国の機関に勤めているからって一日に何十万も。だからママに聞いてみたんです、こんなお金どうしているんだろうって。そしたらママは『悪いお金かもしれない。でも私たちが気にすることじゃない』そう言いました。何かを知っているようだったけれど、それ以上は聞けなかった」
 
 気になった雪恵は酔った青池に雲島に興味があると話を振ると、『正和を紹介する。そうすれば君も甘い汁が吸える』そう言われたという。

 そうして雪恵は青池の提案により、今回遥と涼子が乗船した船へと乗ることになった。そこに開発計画のスポンサーである不動産屋の娘……つまり涼子も同乗すると聞いて、博史に例の怪我が治るパフォーマンスをさせたのだった。
 
「私が知っていることはこれで全て。青池さんのお金の出どころが正和と関係しているかどうかは、あくまで私の勘でしかなくて」
「いや、十中八九その勘は当たっています」
 
 遥は指で顎先を触りながら黙り込む。
 
「博史さんと清八さん、涼子さんも外に出ましょう。雪恵さんは麻耶さんのそばに付いていてください」
 
 外に出た遥は、皆を引き連れて遠くに見えるピラミッドへと歩き出す。
 
「先程、正和さんは麻耶さんと洋平さんを探さなかった、と博史さんは言いました。ですがそれは違います。公にはしていませんが、正和さんは二人を探す名目で一度、捜索隊をこの鉱山に出しているんです」
 
 清八と博史は驚いた。
 
「でも、それはお二人の安否を気遣ってのことじゃない。むしろ見つかっては困るとすら思っていたはずです。あの日、清八さんが村に戻らなかった選択は大正解。戻っていたら、最悪殺されていたかもしれません」
 
 探すのに見つかっては困る。
 遥の言葉の意味がよくわからないまま、皆は歩みを進めた。
 
「正和さんは火事で亡くなったのが健司さんと政尚さんの二人だと知りながら、公には健司さん一家が亡くなったことにしていた。その理由はおそらく保険金。当時、健司さんは生命保険に入っていました。死亡時に支払われた金額は五千万円。受取人は麻耶さんです」
 
 遥がそこまで言うと、涼子は思わず足を止めた。
 
「ちょっと待ってよ。受取人の麻耶さんは表向きには亡くなったことになっているのよね? ならそのお金は行き場を無くすんじゃないの?」
「保険金というのは、受取人が死んでしまっている場合その相続人に受け取る権利があるんですよ。麻耶さんの息子である洋平くんも、例の火事で一緒に亡くなったことになっていますから、この場合は麻耶さんのご両親になります」
「え、麻耶さんのご両親? 健司さんのご両親じゃなくて?」
 
 一体いつこんなことを調べたんだ、と涼子は心の中で呟く。
 
「そうです。正しくは、麻耶さんの父親の裕也ゆうやさんになります。そういう制度なんですよ。だから正和さんはこっそり二人を探したんです。裕也さんが保険金を受け取った後に、死んだはずの麻耶さんたちが現れたら困るでしょう?」
 
 あ、と清八が口を開く。
 
「そういえば。当時裕也は正和に借金があったと噂だった。でもまさか、保険金目当てに自分の娘を死んだことにするなんて」
「気になるのは、麻耶さんと洋平さんの捜索が村や本島にではなくこの鉱山に限定されていたこと。そしてその捜索を、たった一回で諦めていることです。今回のようにガスマスクがあれば、あの床の板を見つけ森まで出て、ここ白群にたどり着くことはそんなに難しくないはずなのに」
 
 顎を抑え考え込む遥に、涼子はとうとう詰め寄る。
 
「捜索隊とか生命保険とか、そんなこといったいどこで調べたの? 遥、昨日どこに行っていたのよ。いい加減に気になるわ」
「そう、ですよね。わかりました」
 
 遥はそう言うと、昨日のことを話し始めた。
しおりを挟む

処理中です...